artscapeレビュー

2015年09月15日号のレビュー/プレビュー

ASIAN KUNG-FU GENERATION Tour 2015「Wonder Future」

会期:2015/08/24

鎌倉芸術館 大ホール[神奈川県]

建築家の光嶋裕介が、直方体を組み合わせ、街に見立てたステージセットをデザインしている。新作アルバムからの楽曲では、彼の描いた幻想建築が動いたり、変化するイメージを投影し、各メンバーの立ち位置を固定したPVのようだ。モニターの置き場がない空間なので、全員がイヤーモニターを使用している。アジカンはわずかなMC、ライブ的な曲のシメも入れず、間髪入れずに次曲に続く展開だが、最初から総立ちのクールで熱いライブだった。ベタなラブソングなどない、独特の世界観の歌詞は絵画のような舞台とよくあう。メンバー退場の終演時のみ、音を出しっ放し。最近見たライブのなかでは凛として時雨、アレクサンドロスもやっていた。

2015/08/24(月)(五十嵐太郎)

裸って何? 現代日本写真家のヌードフォト2015

会期:2015/08/25~2015/08/30

ギャラリー新宿座[東京都]

1990年代は「へアヌード」のブームなどもあり、写真におけるヌード表現はより開放的な方向へ向かうのではないかと思われた。ところが、2000年代以降のネット社会の成立とともに、逆に裸体の露出に対して、自己規制を含めた圧力が強まっているように感じる。TVや新聞などでは、おとなしいヌード写真でも発表がむずかしくなってきているし、昨年8~9月に愛知県美術館で開催された「これからの写真」展に出品された鷹野隆大の作品「おれと」が、官憲の介入で画像の一部を布で覆って展示せざるを得なくなったことも記憶に新しい。
そんな中で、写真における「裸」の意味について、あらためて考え直そうという意図で企画されたのが「「裸って何? 現代日本写真家のヌードフォト2015」展である。出展者は大坂寛、金澤正人、菅野秀明、憬(Kay)、小林伸幸、小山敦也、今道子、白鳥真太郎、杉浦則夫、鈴木英雄、高井哲朗、谷敦志、東京るまん℃、中村 、中村成一、永嶋勝美、ハヤシアキヒロ、舞山秀一、水谷充、宮川繭子、村田兼一、山田愼二、善本喜一郎の23人。過激な緊縛写真の菅野秀明や杉浦則夫から、日本広告写真家協会会長の白鳥真太郎の「芸術的なヌード」まで、まさに百花繚乱の作品が並んでいた。プリントのクオリティにこだわる大坂寛や今道子の作品と、チープなデジタル写真が同居し、最年少25歳の宮川繭子は、プライヴェートな空間でのセルフヌードを披露した。写真家たちの年齢、経歴、作風はまったくバラバラ、表現の幅も驚くほど広い。逆にいえば、ヌードというテーマに潜む奥深さ、底知れなさが、極端に引き裂かれた写真群に露呈しているといえるだろう。
このような企画は、一回限りで終わるのはもったいない。回を重ね、さらに参加者の数を増やし、海外の写真家たちにもアピールしていけば、ヌード写真の冬の時代に、新たな展望が開けてくるのではないだろうか。

2015/08/25(火)(飯沢耕太郎)

知っていますか・・・ヒロシマ・ナガサキの原子爆弾

会期:2015/08/04~2015/08/30

JCIIフォトサロン[東京都]

「戦後70年」ということだけではなく、8月に原爆投下直後に広島、長崎撮影された写真をあらためて見直すことには大きな意味がある。極限状況下で写真家たちによって遂行されたドキュメントがもたらす衝撃を、どんなふうに受け止め、咀嚼し、投げ返していくべきなのかを、より身近に、生々しく感じとることができるからだ。
今回JCIIフォトサロンで開催された「知っていますか・・・ヒロシマ・ナガサキの原子爆弾」展には、広島を撮影した深田敏夫、松重美人、岸田貢宜、尾糠政美、川原四儀、宮武甫、佐々木雄一郎、菊池俊吉、林重男、田子恒男、長崎を撮影した山端庸介、林重男の写真、約60点が展示された。中国新聞社の写真部員だった松重、陸軍船舶司令部写真部員だった尾糠、陸軍西部軍管区報道部員だった山端など、公的な立場で撮影にあたった者もいれば、偶然カメラを手にしていた者もいる。菊池俊吉、林重男、田子恒男は、1945年10月に文部省学術会議原子爆弾災害調査研究特別委員会の調査団に同行して、広島と長崎を撮影した。いずれにしても、写真家たちには、眼前の惨状を個人的な感情を抜きにして、できる限り平静に、克明に記録しようという強い意志が共有されていたと思う。
原爆の被害状況の写真の発表は、GHQの報道規制によって1952年まで封印されていた。写真家たちはその間、貴重なネガを守り続けていたのだ。そう考えると、2011年の東日本大震災や原発事故の直後に撮影された「発表できない」写真群も、いつか公開できる日が来るかもしれない。記憶をきちんと受け継いでいくことの重要性を、写真家たちの仕事から学び取るべきだろう。

2015/08/26(水)(飯沢耕太郎)

緑の森の一角獣座 1995-2015 記録

会期:2015/08/03~2015/08/29

ギャラリー福果[東京都]

《緑の森の一角獣座》は、東京・日の出町のゴミ処分場建設に疑問を抱いてトラスト運動に参加した彫刻家の若林奮が、建設予定地の森のなかにつくった作品のこと。作品といっても森の下生えを整備して道や階段をつけ、石を積んで椅子とテーブルにし、せせらぎに橋を渡すといったように、その土地全体を作品化したもので、どっちかというと作庭に近い。こうした方法をとったのは、作品の撤去命令が出ても土地と作品が一体化したものだから撤去できないし、もし撤去(破壊)されたら著作権侵害に当たるという論理で戦うため。文字どおり「地の利」を生かした不動産美術の闘争だったといえる。ところが、作品がつくられたのは事業認定後なので訴えは無効とされ、最終的に行政代執行により「庭」を構成する石や木は撤去されてしまう。この間に「日の出の森と作品を守る会」が結成され、現地を訪れる鑑賞会が何度も行なわれ、ファクスによる『UNICORN NEWS』が配信され、各地で展覧会が開かれてきた。同展ではそれらの写真、映像、文書のコピーなど関連資料を公開している。敗れた(といっていいのか)とはいえ、「芸術の著作権」を盾に戦った日本では珍しい例として、これらの記録は今後ますます重要性が増すだろう。

2015/08/27(木)(村田真)

試写『わたしの名前は...』

これまでにも映画のプロデュースや衣装デザインを手がけたことのあるアニエス・ベーが、アニエス・トゥルブレの本名で監督した初めての作品。父親から性的虐待を受けた少女が失踪し、トラック運転手と各地を放浪したあげく、最後はちょっと意外な終わり方をする。途中で暗黒舞踏が挿入されたりアントニオ・ネグリが登場したり、突然映像が切れるように場面が変わったりして、必ずしもスムーズに話が展開していくわけではないし、けっして後味のいい映画でもない。そんな映画を、有名ファッションブランドの創設者・デザイナーが撮ること自体、尊敬に値する。


映画『わたしの名前は・・・』予告編

2015/08/28(金)(村田真)

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