artscapeレビュー

2009年07月15日号のレビュー/プレビュー

フクシマサトミ「私の意思は細胞の意思?」

会期:2009/06/09~2009/06/21

立体ギャラリー射手座[京都府]

和紙にインクを垂らすという手法で無数の赤いドットが描かれた作品。ギャラリーの壁面を埋め尽くすように展示されていた。歪なかたち、大きさも不揃いな赤いドットがせめぎ合いながら密集しているかのようなその様子は、まさに分裂を繰り返しながら増殖していく細胞のイメージ。近づいて見ると赤インクの滲みやがさまざまな表情を生んでいて美しい。急に落ち着かない気分になったのは、宇宙というつかみどころのないものを連想したせいか。意思とは関係なく生命活動を繰り返す生きものの神秘と自らの存在という関係について問いつづける作家の眼差しがひしひしと伝わってくる作品。ちょっと怖いくらいの圧倒的な迫力にも満ちていた。

2009/06/13(土)(酒井千穂)

山本太郎 展「ニッポン画物見遊山」

会期:2009/05/22~2009/06/14

美術館「えき」[京都府]

「ニッポン画」を提唱し、2007年にはVOCA賞を受賞した山本太郎の10年の活動を回顧する展覧会。展示は学生時代の作品から最新作まで。訪れたときはちょうど本人による作品解説が行なわれていて賑わっていた。はじめは予定になかったそうだが、盛況につき追加で開催することになったのだという。山本太郎の「ニッポン画」は、技法や画材は伝統的なものだが、きっと普段着でふらりと行ける落語寄席のように、その場の雰囲気や、作品の好き嫌いという印象も含めた現在の「生」の感覚を楽しむものなのだと思う。古い作品から順に見ていくと、ユーモアが徐々に高度なものになっていることが解る。近作では、謡曲の一場面を題材にするなど、知識がないと解り難いものもあるのだが、かといって敷居が高い印象や気取りなどは相変わらずまったく感じられず、むしろ昔の作品よりも想像の余地が広がっている。展示を見ながら山本の解説にも耳を傾けていたのだが、「話し下手でして」という言葉に思わず笑ってしまった。いろんな意味で噺家のような作家だと思った。

2009/06/14(日)(酒井千穂)

北城貴子 展「Resonating light」

会期:2009/05/15~2009/06/14

sowaka[京都府]

実際に目にした光景の臨場感に溢れていた第一部のドローイングも素晴らしかったが、第二部となるペインティングの展示はまた異なる魅力に溢れていた。変化に富んだ筆致や色彩によって描かれた風景からは、水辺のじっとリとした湿度や、走るような風の流れが感じられて、画面に釘付けになる。なんといっても木漏れ日や、キラキラと降り注ぐような日射しなど光の描写がやはり素晴らしい。風や光が生き生きと描かれる北城の絵画を見ていると、まるで大きな窓から外を眺めているような気分になることがある。また見ることができてよかった。

2009/06/14(日)(酒井千穂)

松井沙都子 展「a ghost」

会期:2009/06/09~2009/06/14

neutron[京都府]

例えばメディアによって得る流行や理想のイメージを求め、消費を繰り返すわれわれと、現実の身体の間にある歪み。松井は、そんな現実社会と自らの身体との関係をテーマに作品を制作している。今展で展示された平面作品には、腕や手指などの身体の一部分の輪郭と、衣服の縫い目や皺を表わす線がつながり、一体化するような不思議な形態が描かれていた。さらに、ランダムに画面に並ぶ水玉模様が、黒い線の一部を覆い隠し、いっそう図と地の境界を曖昧にしていく。画面を見つめていると、私自身がモチーフと背景の間を行ったり来たり往復する感覚に陥っていく。そのうち、「ゴースト」は作品のタイトルというよりも、鑑賞者(私)自身を指しているような気がしてきた。今展で松井が展開した手法は、これまでなかった新たな試みだったと言うが、彼女が考える空虚な器としての身体も、不安定に揺らぐその存在感も、見事に表現されていた。なによりそのスマートなセンスに惹かれる。次の発表も楽しみになった。

2009/06/14(日)(酒井千穂)

『震災のためにデザインは何が可能か』

発行所:NTT出版

発行日:2009年6月5日

博報堂の筧裕介氏とstudio-Lの山崎亮氏らが中心となって「震災+designプロジェクト」を組織した。首都圏で震災が起こったという前提のもと、避難所でデザインに何ができるのか、学生が二人一組となってワークショップを行ない、そのデザイン案を競ったものを展示発表した。本書はその成果をまとめたものであり、社会とデザインの関係性についての提言にもなっている。
課題(イシュー)を発見し、それを解決すること。ごく当然のことのように思えるが、ここで注目されているのは単に問題を解くことではない。デザインによって問題を解くことである。既存のものにデザインをプラスし、デザインの力によって課題を解くことによって、単なる問題解決(ソリューション)から一歩前進する。見たいという欲望を喚起させ、共感を生み出す。またここでは震災という課題に対してデザインが適用されているが、デザインという行為を通じて、別の社会的問題の解決にも示唆を与える。
山崎氏はデザインと社会との関係性を問うている。震災は課題の一つであり、きっかけとなっているが、むしろそこからデザインとは何なのかという根源性について思考する。フランスのデザイナー、フィリップ・スタルクが「デザインの仕事に嫌気がさし、2年以内に引退する」と2008年に語ったことを引き合いに出しつつ、商業的なデザインと社会的なデザインを橋渡しする可能性に触れている。スタルクは商業主義的なデザインの限界を認識したのかもしれない。しかし、社会的なデザインはその限界を超える可能性もある。本書の大きな目的は、そうしてデザインと社会を架構していくことにあるのだろう。山崎氏らは、この後さらに別の課題に触れながら、デザインの力を試そうとしているようで、今後の展開が注目される。

2009/06/15(月)(松田達)

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