artscapeレビュー

2009年07月15日号のレビュー/プレビュー

柳宗理 展「手から生まれた、くらしのかたち」

会期:2009/05/16~2009/06/28

松本市美術館[長野]

家具、食器、文具、公共建築など、多岐に渡る柳宗理のデザイン制作をプロトタイプや図面を交えて紹介する展覧会。《バタフライ・スツール》や食器は 代表作としてよく知られているが、《関越自動車道:関越トンネル抗口デザイン》や《横浜野毛山公園案内図》など、こんなものまで!と驚くような、これまで あまり知られていなかっただろう作例も紹介されていて見応えのある内容だった。必ずプロトタイプによる実験を幾度も行ういう制作の行程からは、作り手では なく、使い手の立場から道具を考える徹底的な姿勢ががうかがえる。才能はもちろんだが、それ以上に才覚の偉力を感じる展示だった。

2009/05/30(土)(酒井千穂)

村上心『THE GRAND TOUR ライカと巡る世界の建築風景』

発行所:建築ジャーナル

発行日:2009年3月1日

建築を学び始めた人にぜひ手に取ってもらいたい一冊である。写真家であり建築研究者でもある村上心氏にいただいた。平易なテキストで、世界のさまざまな都市への旅の内容とともに描かれるエッセイ。そのなかには建築を学ぶための基本的な用語の解説も含まれている。建築を学ぶのに旅は不可欠であることは多くの建築家が語るところであり、旅に一眼レフのカメラを持っていく人も多いだろう。本書には写真の撮り方に触れられているページもある。建築風景という言葉が新しく感じた。風景として写真に撮られる建築は、街の一部として、建築と都市の熟成した関係を示している。風景と建築をつなげる思考というのも面白そうだと思った。

2009/06/01(月)(松田達)

張照堂「歳月・一瞥」

会期:2009/06/01~2009/06/12

PLACE M[東京都]

1943年生まれの張照堂(Chang, Chao-Tang)は台湾を代表する写真家の一人。日本でいえば木村伊兵衛と土門拳を合わせたような存在で、台湾では若い世代の尊敬を集めている。その彼の1970年代以降の代表作を集めた展覧会が、東京・新宿のPLACE Mで開催された。あまりまとめて作品を見る機会がない写真家なので、貴重な展示といえるだろう。
コントラストの強い、モノクロームのスナップショットに写っているのは、さまざまな場所で繰り広げられる、奇妙な仮面劇のような場面(実際に仮面をつけたり、厚く化粧したりした人物の姿が目立つ)である。その画面に封じ込まれたモノも人間も動物も、なんとも不可思議な気配を漂わせている。ユーモラスで、ちょっと不気味で、どこか肉感的でもあるそれら「異物」の存在感がとても魅力的だ。どういうわけか、会場の照明が観客の動きに反応して点滅するようになっていた。観客が作品に近づくとセンサーが働いてライトが点く仕掛けなのだが、それが作品の雰囲気に妙にはまって、仮面劇の効果を強めているのが面白かった。

2009/06/02(火)(飯沢耕太郎)

岸田劉生──肖像画をこえて

会期:2009/04/25~2009/07/05

損保ジャパン東郷青児美術館[東京都]

没後80年というが、なにか唐突感が否めないのは損保ジャパンの単館開催だからだろう。これが東京近美とか平塚市美だったらまだ納得もいくのだが、なんでほかの画家の名を冠した損保会社の美術館で劉生をやらなきゃいけないんだ? でも展示は自画像をはじめ肖像画に絞って、東博の重文《麗子像》が出てないのは残念だが、デューラーの影響の明らかな《麗子肖像(麗子五歳之像)》、妖怪みたいな《野童女》などが出ていて、なかなか見ごたえがあった。しかしこうして見ると、意外にヘタだったのね。もう少しうまいと思ってたのに。

2009/06/02(火)(村田真)

北島敬三「PORTRAITS」

会期:2009/05/22~2009/07/05

Rat Hole Gallery[東京都]

1992年から続けられている北島敬三の「PORTRAITS」のシリーズ。特徴のない白いYシャツを身につけた男女のモデルの正面にカメラを据え、同じ距離、同じフレーミング、同じ白バックのフラットなライティングで撮影。それを横位置、ほぼ等身大の大きさに引き伸ばし、フレームにおさめて均等に壁面に展示する。今回のRat Hole Galleryの展示では、「中年の東洋人の男性」4点、「若い東洋人の男性」6点、「若い東洋人の女性」4点のポートレートが展示されていた。それらの写真は髪型や髪の分け目、顔の皺などが少しずつ異なっており、明らかに一定の期間を経て何度も撮影されていることがわかる。
この「PORTRAITS」のシリーズについては、今後は判断を保留していきたい。なぜなら、何を書いても北島があらかじめ設定した「鋳型」に押し込められてしまいそうだからだ。写真を見ているうちに、この取り澄ました画面全体に無数の白蟻をたからせて、ぼろぼろに穴をあけて崩したくなってきた。狭い通路に想像力を閉ざしてしまうようなこの種の強制力は、まったく「写真的」ではないと思う。北島は最近になって、「PORTRAITS」以前に撮影していたスナップショットの封印を解き、ふたたび積極的に発表しはじめているが、それはどういうことなのか。彼の写真家としての生命力がそれを求めはじめているのではないか。東京都写真美術館で開催される「KITAJIMA KEIZO 1975-1991」(2009年8月29日~10月18日)では、そのあたりを再確認してみたい。

2009/06/03(水)(飯沢耕太郎)

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