2019年07月15日号
次回8月1日更新予定

artscapeレビュー

2011年04月01日号のレビュー/プレビュー

時松はるな「ライツ、カメラ、アクション!」

会期:2011/02/28~2011/03/12

ギャルリー東京ユマニテ[東京都]

おかっぱ頭と体操服の少女たちの群像を描く、時松はるなの新作展。前回に引き続き女子ならではの集団心理を巧みに描き出していたが、今回はこれまであまり見られなかった色彩を取り入れることに挑戦した。モノクロームの画面に淡い色合いがよく映えて美しい。控えめな色彩は、描かれた少女たちの喜びや楽しみを倍増させる一方、見えない暗部を逆照する装置としても機能していたようだ。前者を描き出すことは容易である。けれども、カラフルな装いによって、その下に隠れるドロドロとした嫉妬や羨望などをありありと浮き彫りにすることは、なかなか難しい。それをひょいと軽やかにやって見せるところに、時松の真骨頂がある。

2011/03/01(火)(福住廉)

アンチクライスト

会期:2011/02/26

ヒューマントラストシネマ有楽町[東京都]

タイトルが示しているように、この映画は天国に昇天する話ではなく、地獄に落ちる話である。登場人物は、セックスに明け暮れている最中に、愛する幼子を事故で失ってしまった夫婦。悔やんでも悔やみきれない悔恨から精神を病んでしまった妻(シャルロット・ゲンズブール)を、精神科医の夫(ウィレム・デフォー)がなんとかして快復させようと孤軍奮闘する物語だ。ハイスピードカメラを多用した映像美と重厚で荘厳な音楽、さらにデヴィッド・リンチを彷彿させる山と森、暗闇といったモチーフが、映画の深度を効果的に深めている。たった2人によって繰り広げられる物語の悲劇的な展開を見ていると、底なしの深い沼に引きずり込まれるような恐怖を覚えるほどだ。とりわけ、映画の随所に仕掛けられた謎めいたメタファーは鑑賞者の眼を幾度もかどわすが、これを真正面から受け止めてしまうと、地獄の底から抜け出せなくなってしまう。なぜなら明快な解答は最初から用意されていないからだ。いったい何を暗示しているのかをつまびらかにすることなく、暗喩や寓意を画面に仕込む手法は、一部の現代アートにも見られる、芸術のもっとも性悪な一面である。見る者をうまい具合に煙に巻くことが、作品に高尚で深遠な価値を与えるといった思い込みは、依然として根強い。こうした地獄のスパイラルを打ち破るには、いくつかの方法が考えられるが、もっとも効果的なのは、それを丸ごと笑い飛ばす身ぶりである。悲劇を喜劇へ、難解な芸術を滑稽な芸術へ読み換えること。ラース・ファン・トリアー監督による本作でいえば、激怒した妻が夫の脚にドリルで穴を穿ち、そこに重たい砥石をネジ付けしてしまうシーンは、格好の手がかりとなるにちがいない。固く締めつけられたナットを外そうとして隠されたスパナを這いつくばって探し出す夫の姿は、涙なくして見ることはできない。おお、なんという悲喜劇!

2011/03/02(水)(福住廉)

『ケータイのデザイン』

著者:ヒヨコ舎
発行日:2010/12
発行:アスペクト
価格:1,600円(+税)
サイズ:A5変型、128ページ

1985年のショルダーフォンから現在、そしてまだ実現されていないコンセプトモデルまで、過去四半世紀にわたる期間に日本で発売・発表されたさまざまな携帯電話の写真集。面白いのはその構成。「The Future」「Today」「Classic」の順に3つの部に分かれている。過去から未来へと時系列に辿るのではなく、未来から過去へとデザインの変遷を遡る。そしてもっとも多くのページが割かれているのが「The Future」である。ここで未来の携帯電話として紹介されている製品は、ひとつを除いてすべてコンセプトモデル。携帯電話のデザインがこれからどのような方向を目指すのかを示すものである。その未来像には二つの種類があるようだ。ひとつは将来の技術やサービスの変化や進歩の方向性を設定し、それに基づいた新しい端末の提案。もうひとつは、コミュニケーションのありかたの変化を設定し、そこから新しいサービスをも提案するもの。もちろん両方の未来像をともに取り入れているものもある。これらのモデルの発表年はさまざまであるが、古いものでは2001年に発表されたものも含まれている。すなわち、ここに示されているのは、そのほとんどが過去にデザイナーたちが夢見た未来なのだ。「The Future」においてデザイナーたちがテレコミュニケーションにどのような未来を見ていたのかを考え、「Classic」でカタチのないその存在を彼らがどのようにハードウェアに落とし込んできたのかを振り返る。そして「Today」のページの少なさに、ケータイデザインの「今」の儚さを憂うのだ。[新川徳彦]

2011/03/03(木)(SYNK)

包む──日本の伝統パッケージ展

会期:2011/02/10~2011/05/22

目黒区美術館[東京都]

アート・ディレクターの岡秀行氏(1905-1995)は日本各地を旅するなかで、土地々々の素朴なパッケージに心を惹かれ蒐集をはじめたという。その蒐集品は1960年代から80年代にかけての国内外での展覧会の開催、書籍の刊行を通じて、世界に日本の伝統パッケージの魅力を広めた。今回の展覧会は、1988年に目黒区美術館で開催された展覧会を契機に岡氏より譲り受けた「日本の伝統パッケージ」の数々を23年ぶりに展観するものである。
展示の構成は大きくふたつに分けられる。ひとつは伝統工芸的な商品パッケージ。これはさらに木、竹、笹、土、藁、紙と、おもに素材別に分けられている。多くはお土産品としてつくられたもので、実用というよりは、買う人、貰う人を楽しませる工夫に満ちている。もうひとつは人々の生活に根差した実際的なもの。たとえば藁という素材のみで卵、魚、米などを包む工夫がすばらしい。また、結納目録、千歳飴など、ハレの行事に見られる包みの持つ華やかな演出効果にも感動する。会場では一部のパッケージのみではあるが、外観ばかりではなく内容をも紹介する3D映像が上映されている。これはとてもよかった。美術館という場である以上しかたがないのだが、展示において私たちが見ることができるのは「包まれたもの」だけである。何が包まれているのかも、包むという行為も、受け手が行なうであろう包みを解くという楽しみも知ることができない。3D映像は、長期の保管が困難な自然素材のパッケージをアーカイブするうえでも、ものを媒介にした人びとの行動を記録するうえでも、とても優れた手段ではないかと思う。
展示されている「伝統パッケージ」は岡氏が自ら集めたものであり、その時点ではまだ各地で実際につくられ、使われていたものである。さらに、目黒区美術館のコレクションは1988年の展覧会の際に新たに集められたものがほとんどであり、必ずしも歴史的な意味での記録ではない。今回の展覧会のために求められたパッケージもあるという。となれば、ここで「伝統」とは何を意味しているのだろうか。
「たしかに最初は『かたち』そのものが魅力であった。どの一つを取っても、それらはあまりにも美しかったし、その見事さに私は当然のことながら酔ってしまった。そのうちに何故か私は『かたち』以上の何かを見始めた。『かたち』の奥に呼吸している人間、しぶとく今日に生き続けている人間そのものへと、私の関心は変わって行った」と岡氏は書く(岡秀行「包装の原点」[『包む──日本の伝統パッケージ』展覧会図録、11頁])。岡氏がこれらのパッケージに見た「伝統」とは、ものそれ自体のことではなく、「包む」という行為に現われた日本人の美意識であり、素材と対峙する心の継承のことなのである。それゆえ、デザイナーとしての岡氏はプラスチックなどの素材を否定するわけでも、過去への回帰を提唱しているわけでもない。氏のコレクションは、伝統パッケージから「日本人の価値観や自然観を探り、あるいは日本人固有の美の倫理を追究する試み」(同、15頁)であり、そこに見られる精神や価値観はけっして過去に留まるものではなく、これからのものづくりに生かされるべきひとつの指針なのである。[新川徳彦]

2011/03/03(木)(SYNK)

artscapeレビュー /relation/e_00012008.json s 1231656

酒井抱一 琳派の華

会期:2011/01/22~2011/03/21

畠山記念館[東京都]

江戸琳派の創始者、酒井抱一の生誕250年を記念して同館が所蔵する抱一の作品を公開した展覧会。《十二ヶ月花鳥図》を会期中の全後半に分けて半分ずつ展示したほか、《風神雷神図》《四季花木図屏風》など30点あまりが展示された。日本美術の伝統のひとつが、余白によって空間を構築しながら限界ぎりぎりまで簡略化した線によって対象を再現することにあるとすれば、抱一の絵にはそれがあらわになっている。とりわけ《月波草花図》は、夜月のもとではね上がる白波を、ごく簡素な線だけで巧みに描き出し、冷たい海と空の拡がりを存分に感じさせた。

2011/03/04(金)(福住廉)

artscapeレビュー /relation/e_00011952.json s 1231887

2011年04月01日号の
artscapeレビュー

文字の大きさ