2019年07月15日号
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artscapeレビュー

2011年04月01日号のレビュー/プレビュー

小林礫斎 手のひらの中の美──技を極めた繊巧美術

会期:2010/11/20~2011/02/27

たばこと塩の博物館[東京都]

福住廉氏がすでにここでレビューを書かれているとおり、まさに「超絶技巧」としか形容しようのないミニチュアの数々である。硯箱や煙草盆、印籠などの工芸品から、独楽や人形などの玩具、画帖や集印帖、和洋の絵画や豆本まで、身の回りのあらゆるものがミニチュア化されている。ケースのガラス越しに見ているにもかかわらず、息を詰めていないと吹き飛ばしてしまうような錯覚に陥る。ただ小さいだけではない。チラシや図録の写真ではそのスケール感は実感できない。まるでふつうの大きさの工芸品を見ているかのようだ。それほど微細な細工が施されているのだ。
今回の展覧会はおもにミニチュアの工芸作品を手掛けた小林礫斎(1884-1959)の技巧に焦点を当てたものだが、これらの作品の誕生にはコレクターであった中田實(1875-1946)のはたした役割がとても大きいようだ。礫斎は中田氏との出会い以前からミニチュアを手掛けていたのだが、「通常の礫斎作品を掌に乗ると表現するとすれば、中田コレクションは指先の世界」(『ミニチュア 増補改訂版』たばこと塩の博物館、2010、8頁)なのである。作品制作にあって両者の関係は、職人とコレクター、あるいは職人とパトロンのしあわせな出会いという以上に、ずっと密接なものであったようだ。
中田實は茶人の家に生まれ、一橋高商を経て日本郵船で会計係を務め、1922(大正11)年に退職。以来趣味生活を送ってきたという。昭和11年の『東京朝日新聞』趣味のページに中田氏へのインタビューが二回にわたって掲載されている(1936年11月3日、4日)。それによれば氏は小学生の頃からの切手蒐集家であったが、加えて昭和初年頃から「最小物(ミニチュア)」の蒐集を始める。しかも「ただ集めるだけでは承知が出来なくなり、自分で作ったり、人に註文して作らせたりして段々微に入り細を穿つような小さなものが殖えて来」たという。単なるコレクターであることに飽きたらず、彼は自らミニチュアの制作を始めたのである。中田氏自身が手掛けたのは「デザインと表装」。そして画を担当した小林立堂と細工を担当した礫斎を、彼は自分の「仕事」の「又とない協力者」であると述べている。コレクターの情熱が優れた職人たちの技巧と結びつき、かくも超絶的な作品の数々を生み出していったのか。となれば、いったい作品の誕生にとってどちらが主でどちらが従であったのだろうか。中田氏の遺族がたばこと塩の博物館に寄贈したコレクションには当時の新聞記事のスクラップなどの関連資料も含まれているといい、興味が尽きない。次の機会があれば、ミニチュア制作を「私のこの仕事」と呼び、その「デザイン」を行なった中田實の視点からこれらの作品世界を見てみたい。[新川徳彦]

2011/02/26(土)(SYNK)

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現代芸術創造事業 Breaker Project 絶滅危惧・風景

会期:2011/02/26~2011/03/21

大阪市立近代美術館(仮称)心斎橋展示室[大阪府]

通天閣で知られる大阪・新世界を中心とする下町エリアで、2003年から続けられている「ブレーカー・プロジェクト」。今回は、初めて本拠地を離れて心斎橋の美術館で開催された。地元を離れることで本来の持ち味が薄れるのを危惧したが、今回のゲストである西尾美也と下道基行が良質な展示を行ない、過去の参加者であるトーチカ、パラモデル、藤浩志の作品も見応えがあった。ちなみに、西尾の作品は、子ども時代の写真と同じ場所・服装で改めて記念写真を撮る《家族の制服[新世界編]》と、かつて新世界で行なわれていた仮装行列を再現する《新世界・節分仮装行列》の2点。下道は、市井の人々が芸術意識を持たずにつくった造形物を取材・紹介する《Sunday Creator》だった。

2011/02/27(日)(小吹隆文)

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橋本雅也 殻のない種から

会期:2011/02/05~2011/03/13

主水書房[大阪府]

鹿の骨を削ってつくられた花や植物のオブジェが、会場に点在していた。どれも驚くべき繊細さで、思わずため息がこぼれる。技術的にもハイレベルで、独学でマスターしたとは到底思えない。素材の鹿の骨は、以前は山で拾っていたが、今回は彼自身が狩猟に随伴し、制作のために1頭を仕留めたとのこと。解体と下処理も自分で行ない、その過程で残った肉や出汁は食事用にストックしているそうだ。今まではアクセサリーをつくっており、彫刻はこれが初制作。個展も今回が初めてだという。いやはや、凄い人が埋もれていたものだ。

2011/02/27(日)(小吹隆文)

悪魔を見た

会期:2011/02/26

丸の内ルーブル[東京都]

復讐は可能か。打ち振るわれた暴力に相応する暴力を敵に打ち返すことはできるのか。しかも、新たな苦しみと哀しみを生むことなく、復讐の応酬に終わりを告げるかたちで。キム・ジウン監督による本作は、この人間にとって根源的な問いを突き詰めた意欲作。しかし、この映画はその野心を実現させるには少々詰めが甘すぎた。殺人鬼を演じたチェ・ミンシクの演技は文字どおり鬼気迫るもので見応えがあるし、この猟奇犯に妻を惨殺された主人公のイ・ビョンホンが一気に復讐を果たすのではなく、GPSを内臓したカプセルを殺人犯に服用させ、監視と追跡を続けながら、悪事を働かせようとするたびにそれを暴力的に阻害するという復讐のかたちは、たしかに一理ある。しかし、主人公の捜査官と妻の関係が十分に描写されないまま妻が惨殺されてしまうので、残虐非道な描写に嫌悪感が募ることはあっても、この悲劇に感情移入することがまったくできない。2時間を超える全体の尺も長すぎで、編集も甘い。イ・ビョンホンの演技もいつもと同じだし、後半のカーチェイスのシーンはまるで「アイリス」のようだ。細部の綻びが、映画が志す構想を台無しにしてしまっているのである。綻びを修繕することができていれば、復讐は決して可能ではないことの哀しみを象徴的に描いたラストシーンも、今以上に効果的だったはずだ。

2011/03/01(火)(福住廉)

永原トミヒロ展

会期:2011/02/21~2011/03/05

コバヤシ画廊企画室[東京都]

青白い街並みを描く永原トミヒロの新作展。人影が一切見られない夢幻的な光景は以前と変わらないが、今回発表された平面作品には以前にも増して「郊外」の雰囲気が強く立ち込めていた。田畑の向こうに立ち並ぶ建売住宅。現在の日本のどこでも見ることができる凡庸な風景だ。けれども、それらがひとたび青白い色合いを幾重にも塗り重ねたマチエールによって見せられると、たちまち現実的でありながら非現実的な世界に見えてくる。陽光なのか月光なのか、地面に降り注ぐ光の影が必ずしも一定の方向を向いているわけではないところが、そうした空想性をよりいっそう際立たせているのかもしれない。窓のない家屋が立ち並ぶ茫漠とした風景は、おのずと寂寥感をかきたて、死の世界を連想させるが、この物寂しくも空ろな感覚は、中央と地方を問わず、現在の都市生活の核心にあることを思えば、永原の絵画はたんなる空想画というより、むしろ現実の本質を増幅させたうえで見せるという点で、リアリズム絵画というべきだろう。

2011/03/01(火)(福住廉)

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