2019年09月01日号
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artscapeレビュー

2011年04月01日号のレビュー/プレビュー

ハウスメイド

会期:2011/03/05~2011/03/13

大阪アジアン映画祭・ABCホール[大阪府]

いわゆる「名作」というものをリメイクする行為はつねにかなりのリスクをともなう。原作に寄り過ぎてしまうとやっぱり原作は超えられないといわれるし、原作を徹底的に解体してしまうと原作の面影の無さに怒りをぶつけられる。綱渡りのような危険で厄介な作業だ。2010年5月、韓国で公開された、イム・サンス監督の映画『ハウスメイド(原題:下女)』も同じ立場だったと思う。韓国映画史上もっとも優れた映画監督の一人とされる、キム・ギヨンの1960年作『下女』のリメイク作であるからだ。人間のエゴを、卓越した心理描写と独特な表現方法で描き続けた、映画監督キム・ギヨンの原点にして頂点に立つ名作と言われる作品だ。『下女』のリメイク版というレッテルは、それだけで乗り越えるべき壁になり、逆に宣伝にもなるはず。予想通りと言ったら失礼だが『ハウスメイド』に関する批評家たちの評価はそれほど芳しくなかったが、興行成績は良好だったようだ。ある意味勝負師としてのイム・サンス監督の一面が垣間見られる部分。この作品は昨年韓国で発売されたDVDですでに観たのだが、「大阪アジアン映画祭2011」のオープニング作品として招待されたことで、今回やっとスクリーンで観ることができた。ちなみに、今年で6回目を迎えた「大阪アジアン映画祭」は日本でもっとも歴史の浅い国際映画祭のひとつではあるが、日本未公開の、良質なアジア映画を紹介しているイベントだ。『ハウスメイド』は今年の夏公開予定だ(配給:ギャガ)。
主人公のウニは上流階級の家でメイドとして働くことに。そこには優しい主人と双子を妊娠中の妻、6歳になる娘、そして昔からそこで働くベテランメイドが暮らしている。ある日ウニは、主人に求められるまま関係を持ち、妊娠してしまう。未公開作品なので、あらすじの紹介はここまでにして、宣伝用小冊子にある文句を引用することにしよう。「彼女(ウニ)の【無垢】が凶器になる時、豪華邸宅は震撼の館に変わる」とある。これは『ハウスメイド』には当てはまらない表現だと思う。そこにはキム・ギヨン監督の下女が見せた、鳥肌が立つほどの狂気も破壊力も、緊張感さえもないからだ。またウニは無垢ではない。汚れのない、保護されるべき存在ではなく、ただ無知で無力な小市民に過ぎない。それは演出力の問題というより、イム・サンス監督(脚本も担当)が50年前の韓国と現在の韓国の違いをいかに認識しているかの問題である。だからこの映画を楽しむ方法は2つ。日本の観客には難しいと思うが、『下女』と『ハウスメイド』を比較してそこから見えてくる韓国社会の変化(資本主義や家族主義の澎湃[ほうはい])に驚くか、または原作の存在など忘れて『ハウスメイド』として楽しむかだ。[金相美]

2011/03/09(水)(SYNK)

AIR 3331

会期:2011/02/25~2011/03/13

3331 Arts Chiyoda[東京都]

国内外からのアーティストとキュレーターがアーツ千代田3331に滞在しながら制作した作品を同会場で発表した展覧会。9人のなかでもとりわけ際立っていたのが、東野哲史。ホワイトキューブのなかに、ここがもともと中学校だったことを彷彿させるインスタレーションを演出した。バケツ、黒板、下駄箱、そして机の上の教科書に隠されたマンガ。それらが縦横無尽に組み合わせられた歪な空間は、私たちの学校に対する捩れた想いと対応しているようだった。否応なしに集団に巻き込みながらも、同時に個人として自立することを迫る矛盾した論理。あるいは、惹かれつつも離れたいという二律背反的な心情。この矛盾に満ちあふれ、しかも強制力を伴った空間が、学校という特殊な制度であり、ここを通過してきたのが、ほかならぬ私たち自身であることを思えば、歪んでいるのはインスタレーションだけではなく、私たちの方なのかもしれない。

2011/03/10(木)(福住廉)

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パウル・クレー おわらないアトリエ

会期:2011/03/12~2011/05/15

京都国立近代美術館[京都府]

クレーの個展は今までに何度も開催されているが、本展は過去のものとは趣を異にする。いわゆる名品展ではなく、表現のエッセンスに迫ることを第一義としているからだ。それゆえ、「油彩転写」「切断」「再構成」など技法別の分類が行なわれたり、「特別クラス」と呼ばれアトリエに留め置かれた作品や、表裏両面に描かれた作品など、彼がどのような思考に基づいて制作を行なったかが窺える作品構成がとられた。また、展示も凝っていて、あえて空間に対して斜めに壁を配したり、引きのない路地のような空間が多数つくられていた。これは、観客を観賞から思考へと誘うための仕掛けであり、本展の大きな特徴となっている。

2011/03/11(金)(小吹隆文)

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デザイン 立花文穂

会期:2011/03/04~2011/03/28

ギンザ・グラフィック・ギャラリー[東京都]

アートディレクター/グラフィックデザイナーの立花文穂の個展。これまでの創作活動を、いわゆる「紙もの」を中心に振り返る構成だ。ベニヤの合板を組み合わせた簡素な陳列台の上には、立花によってデザインされた印刷物の数々が無造作に並べられた。こうした見せ方にすでに示されているように、立花のクリエイションに一貫しているのは、昨今のデジタル・デザインとは真逆の、手のひらと指先を駆使した手作りのデザインだ。紙の質感や匂い、そして文字の物質性。それらを重視したぬくもりのあるデザインを、身体性を失ったデジタル・デザインへのアンチとして位置づけることはたやすい。けれども、むしろ立花のデザインには、こう言ってよければ、「図画工作」的な衝動が走っているように思われる。それは、何かと何かを切り貼りしたり、つなぎ合わせたり、削り取ったり、誰もが経験したことのある、非常に原始的なものづくりの真髄だ。デザインであろうとアートであろうと、この基本的な欲望からかけ離れたクリエイションが人の心を鷲づかみにすることはありえないのではないだろうか。

2011/03/11(金)(福住廉)

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石川光陽 写真展

会期:2011/12/07~2011/03/21

旧新橋停車場鉄道歴史展示室[東京都]

警視庁カメラマン・石川光陽の写真展。東京大空襲の惨状を撮影したことで知られているが、今回展示されたのは戦前の東京の街並みを写し出した写真、およそ80点あまり。銀座、浅草、上野、霞ヶ関、高円寺など、今では「昭和モダン」と呼ばれる街並みが、もちろん実際に見たことがあるわけではないにせよ、やたら魅力的に見えて仕方がない。小型のバスやおかっぱ頭の子どもたち、洋装と和装が混在した人びとの装い、そして街の看板に踊る文字の数々。都市と人間を同時にとらえることを念頭に置いて撮影されているのだろうか、街の表情と人のそれが的確に伝わってくる。昭和初期の都市風景が輝いて見えるのは、過ぎ去りし日を貴ぶ憧憬というより、むしろそのように見させてしまうほど現在の都市生活が限界を迎えているからだろう。例えば東京湾の埋立地は東京都から排出されるゴミによって造成されてきたが、もはや東京湾にその容量は残されていないという。しかも東京の電力を支えてきた原子力発電所の甚大な被害に苛まれている昨今、昭和初期の都市構造とライフスタイルは、いまやたんなるノスタルジーの対象にとどまらず、現実的に目指すべきモデルになりつつあるのではないか。石川光陽の写真は、原点回帰のための具体的な視覚的イメージとして活用できると思う。

2011/03/11(金)(福住廉)

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