2019年12月01日号
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artscapeレビュー

2011年04月01日号のレビュー/プレビュー

プレビュー:山口和也 写真展「プロボクサー小松則幸」

会期:2011/04/06~2011/04/13

HEP HALL[大阪府]

約6年間にわたってプロボクサー小松則幸を撮り続けたドキュメント写真を展示。リング上での拳によるコミュニケーション、試合前日に対戦相手と顔合わせをする時の空気感、控室での表情、プライベートショットなど、ひとりのボクサーの姿を赤裸々に捉えた作品が並ぶ。ちなみに小松は、亀田大毅戦を1カ月後に控えた2009年4月13日に滋賀県の滝壺で亡くなった。「チャンピオンになったら写真集を出す」という約束は果たせなかったが、ボクサーと写真家の6年間の交流は、展覧会というかたちで結実する。

2011/03/20(日)(小吹隆文)

プレビュー:新野洋 展「いきとし“いきもの”」

会期:2011/04/09~2011/05/07

YOD Gallery[大阪府]

新野は、自然界には存在しない空想の“いきもの”を樹脂で制作している。複数の節足動物の部位や植物の部分などを組み合わせた造形は、自然界に存在する美しいものを「ただただ自らの手で表現したい」というシンプルな衝動に基づくものだ。今回は、日本の生物を題材に制作した作品群をインスタレーションのスタイルで展示する。

2011/03/20(日)(小吹隆文)

プレビュー:VISUAL SENSATION vol.4

会期:2011/04/03~2011/04/23

Gallery Den mym[京都府]

1995年から2009年まで大阪市内で活動し、2010年に京都府南山城村へ移転したGallery Den(移転後にGallery Den mymと改称)。その後、住居でもある古民家をコツコツ改修していたが、ついに本格始動に至り開催されるのがこの「VISUAL SENSATION」だ。vol.4とあるとおり、大阪時代に3度開催された企画展で、今回も画廊オーナーの目に適った若手作家6名が紹介される。都会のビルの片隅とは違う、大自然の真っただなかで、若き6つの個性がどのような煌めきを見せるのかに注目したい。

2011/03/20(日)(小吹隆文)

新宿中村屋に咲いた文化芸術

会期:2011/02/19~2011/04/10

新宿区立新宿歴史博物館[東京都]

明治末から大正期にかけて新宿中村屋を舞台に交友していた芸術家や文化人による作品を集めた展覧会。小規模とはいえ、見応えのある展示だった。中村屋の創業者、相馬愛蔵・黒光夫妻のもとに集っていたのは、荻原碌山(守衛)をはじめ、戸張孤雁、柳敬助、中原悌二郎、社会運動家の木下尚江、演劇の松井須磨子、秋田雨雀、そしてインドの独立運動家ラス・ビハリ・ボースやロシアの盲目詩人エロシェンコなど。展示された絵画や彫刻などは、それぞれ単体として見れば、いかにも古色蒼然とした近代美術の典型にしか見えない。ただ、それらが「中村屋サロン」という物語のなかに位置づけられることで、絵だけからは決して見えてこない一面が浮上するところがおもしろい。例えばフランスでロダンから学んだ荻原碌山は、彫刻の本質を外形の写実から内的な表現へと転回させたことで知られているが、会場のはじめに展示された《女》は黒光夫人をモデルにした彫像だという。すると、この両膝で立って天を仰ぐ彫像には黒光夫人に寄せる碌山の叶わぬ想いが凝縮されていることになり、その湿度を帯びたあまりにも重たい想いが鑑賞者にじわじわと迫ってくるのである。さらに中村屋裏のアトリエを借りて夫妻の娘俊子をモデルにして絵を描いていた中村彝は、二度にわたって俊子にプロポーズするが、夫妻の猛烈な反対にあって二度とも失敗に帰している。ところが会場に展示された新聞記事を読むと、当の俊子はその後中村屋で亡命生活を送っていたボースと結婚してインドへ渡るが、不慣れな海外生活が祟って若くして亡くなってしまったのだという。同胞の絵描きより異国の亡命活動家を選んだ相馬夫妻の真意は知るよしもないが、この物語をとおして中村彝の絵を見てみると、俊子への募る想いが透けて見えるようで、なんとも痛々しい。彝は「欲望に囚われず、感傷に堕せず、神経に乱されず、人生を貫く宿命の中に神の真意を洞察すること」(「洞察」)を芸術的な信条としていたようだが、それは裏返して言えば、彝自身がことほどかように「欲望に囚われ、感傷に堕し、神経に乱され」ていたということなのだろう。そこに「芸術家」というより、ひとりの人間の生々しいリアリティがある。時を越えて、それが私たちのもとにたしかに届くからこそ、芸術はおもしろいのだ。

2011/03/20(日)(福住廉)

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大駱駝艦『灰の人』

会期:2011/03/17~2011/03/21

世田谷パブリックシアター[東京都]

3.11に未曾有の大地震と大津波が起き、その間、ぼくはほとんど外出せず、家族とシェルターに暮らすかのごとくひっそり生きていた。「計画停電」という名の短時間の停電が関東でもあり、ときには大停電の危険もアナウンスされた。そんな10日が過ぎた。「観劇どころではない」という気分は拭えぬまま、暖房もなく照明も減らされた、寒く暗い電車に乗って三軒茶屋へ。街中で荷物運びをしている人を見るだけで、被災地の映像を連想してしまうメンタリティからすると、震災のメタファーだと思わずにはいられないタイトルの『灰の人』(このタイトルはいうまでもなく震災以前につけられていたものではある)。以上の文章から察してもらえるように、正直ぼくの精神状態は観劇にふさわしいものではなかった。その事実は無視できないとはいえ、ぼくがこれまで見た彼らの公演のなかで、本作は最良の作品に思われた。
なびく髪に赤い火の粉のついた女がマッチを擦り、火を灰の円に落とす。やがて二人の男たちが火箸らしき棒をくわえ、不敵な笑みを見せたかと思うと、2本の箸の先を合わせ、器用に歩いたりする。この者たちは、麿赤兒が演じる男(ときに「翁」に見える)にこの箸を突き刺し、エンディングを引き寄せることになる。この一種の「父殺し」が本作のベースになっていることは、大駱駝艦の師弟関係が背景に透けて見えることも手伝って、説得力がある。と同時に、そうした世代交替劇(?)も含め「自然の摂理」が本作の大きなテーマになっていたことは、彼らの取り組みがスケールの大きいものであることを示していた。「津波」のように巨大な黒い布が人々を覆い尽くすシーンなどは、その一例。自然の過酷さとのコントラストによって、人の身体の美しさが際立つ。とくにキャスターの付いた大きな円卓状のオブジェの内側に、12人ほどのダンサーたちがほぼ全裸の白塗り状態で入り、うごめきながら舞台の上を右に左に進んだシーンは、その美しさと官能性において圧巻だった。大駱駝艦の追求してきた群舞の魅力が、たんに自由に踊るのではなく、オブジェの導入によって、ダンサーの動きに枷がはめられ、それによって、独特のエロティシズムが引き出されていた。さらに人と自然とを、シュルレアリスティックなイメージでつないだのが、火鉢だった。真ん中におかれた火鉢は、ちっぽけな地球に見え、また奇想天外なものたちの詰まった壺のようでもあって、そうしたイメージのダイナミズムもきわめて効果的だった。

2011/03/21(月)(木村覚)

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