artscapeレビュー

写真家・東松照明 全仕事

2011年07月15日号

会期:2011/04/23~2011/06/12

名古屋市美術館[愛知県]

会期ぎりぎりで、なんとか間に合って見ることができた「写真家・東松照明 全仕事」展。タイトル通り、デビュー作の《皮肉な誕生》(1950)から、沖縄・那覇をデジタルカメラでスナップした近作まで、名古屋市美術館の全館を使って500点以上の作品が並ぶ大規模展である。「記憶の肖像、廃墟の光景」「占領/アメリカニゼーション」「投影──時代と都市の体温」「長崎──被爆・記録から肖像へ」「泥の王国」「太陽の鉛筆──沖縄・南島」「“他者”としての日本への回帰──京・桜」「“インターフェイス”──撮ることと作ること」という8部構成は、東松の代表作を時間軸にそってほぼ全部フォローしており、ここまでかゆいところに手が届くような展覧会は、これまでなかったのではないだろうか。
ただ、これだけの量になると、観客は互いに衝突し、さまざまな方向に伸び広がり、飛び散っていくイメージのカオスに巻き込まれてしまって、ほとんど呆然としてしまうしかない。僕のように東松の作品をずっと見続けてきた者でもそうなのだから、初めて彼の写真に接するような観客にとっては、「この写真家は何者なのだ?」という疑問が深まるだけではないだろうか。むしろ、もう少しテーマを絞り込み、たとえば最後のパートで提示された「撮ることと作ること」という、東松の、対立的でありながらどこかつながってもいる問題意識に焦点を合わせて展示全体を再構築していくのも面白かったかもしれない。《ゴールデン・マッシュルーム》(1990~92)、《キャラクター・P 終の住処》(1996~98)、また1960年代に制作された《オリンピック・カプリッチオ》(1962)、《廃園》(1964)といった、いわゆる「メイキング・フォト」系の作品群については、これまであまり系統立ててきちんと論じられてこなかったからだ。それにしても、見れば見るほど謎が深まっていく東松照明という写真家の、どこか狂気じみた迷宮性を、あらためて強く感じざるをえない大展覧会だった。

2011/06/10(金)(飯沢耕太郎)

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