artscapeレビュー
母袋俊也 展:Qf・SHOH《掌》90・Holz──現出の場─浮かぶ像─膜状性
2011年07月15日号
会期:2011/06/13~2011/06/25
ギャラリーなつか[東京都]
ギャラリー内にもうひとつ展示室をつくって内壁を黒く塗り(ホワイトキューブならぬブラックボックス、あるいはカメラ・オブスクラ?)、正面に1点だけ絵を設置。絵は正方形で、画面にはルブリョフのイコンや阿弥陀如来の掌を組み合わせた図像が描かれている。絵に厚みが感じられないので近づいてみると、画面より底面が狭くなるように側面が斜めに削られている。つまり闇のなかに画像だけが浮かび上がる感じ。脇に回ると、絵の掛けられた壁の後ろあたりにのぞき穴があり、のぞいてみると光しか目に入らない。もしそこにヌードが見えたら喜ぶ人もいるだろうが、母袋はそんなサービスはしない。ただ光があるだけ。これって、先史時代の洞窟壁画を思い出させないか。洞窟の闇のなかに描かれた動物の絵は、岩壁の奥にいるであろう動物の神と交信するために描かれたとする説があり、そうだとすると視線は絵の描かれた壁を貫いてあちら側に向かい、逆に神(光)は壁の奥から絵というスクリーンを通ってこちら側へ現われるはずだ。そのとき、絵はこちら側とあちら側の界面に現出する幻像のようなものかもしれない。これは洞窟壁画だけでなく、洞窟を模したといわれるキリスト教会の聖画にも当てはまるだろう。絵をタブローという単体で考えるのではなく、「絵」が現出する場として提示すること。はたしてこれは「プレ絵画」なのか、それとも「ポスト絵画」なのか。
2011/06/25(土)(村田真)