artscapeレビュー
2011年08月15日号のレビュー/プレビュー
森花野子「lines. dots.」
会期:2011/07/14~2011/07/19
谷口雅の企画による現代HEIGHTS Gallery DENの連続展の第3弾。第2弾のシンカイイズミ「いつ どこで だれが」(7月7日~12日)を見過ごしたのは残念だったが、今回の森花野子の展示を見ても、各作家の作品のレベルがかなり高いのがわかった。
森が撮影しているのは、祖父や祖母が遺した器の類である。「戦時中に防空壕に埋めたという大皿」や「祖父がワインをたしなんでいたというグラス」などをクローズアップで、近親者の手の一部とともに撮影し、マット系の紙に大伸ばししたプリントが4枚、天井から吊り下げられている。写真の裏から強い光を当てているので、それがプリントの表面に滲み出し、モノクロームの微妙な陰翳をより際立たせている。森は武蔵野美術大学の出身ということだが、インスタレーションとしてなかなか工夫された展示といえるだろう。
日常の器に目をつけた視点もいいと思う。皿やグラスや壷は、それを使っていた家族の思い出とともに次の世代へと受け継がれ、また違う経験や記憶が付け加わっていく。その時、器は食べ物や飲み物の容器という実用的な役割を超えて、いわば「生と死を盛る器」としての存在感を強めていくといってもよい。その有り様をしっかりと見つめ、丁寧に写しとっていこうという態度が、きちんと貫かれていて気持ちがいい。このような身近な素材に注目する視点の取り方は、やはり作家の女性性のあらわれといえるのではないだろうか。次の展開にも期待したい。
2011/07/14(木)(飯沢耕太郎)
成層圏 風景の再起動 vol.3 下道基行
会期:2011/07/09~2011/08/13
gallery αM[東京都]
gallery αMで開催されている、3人のキュレーターによる連続企画展「成層圏 Stratosphere」。今回は高木瑞木のキュレーションで、「風景の再起動」の3回目として下道基行の作品展が開催された。下道は2004年から日本各地に残る戦争遺跡を「再利用して」記録していく「Re-Fort」のシリーズを制作しており(リトルモアから2005年に写真集『戦争のかたち』として刊行)、今回はその第6回目の展示の予定だった。ところが、「3.11」以降に心境の変化があり、急遽用水路などに架かっている小さな板きれのようなものを撮影した写真を展示することになったのだという。A4判ほどにプリントされた各写真には、「11/05/17 09:18」といった撮影の日時が付されている。実は下道はいま、日本全国を震災直後に購入した小さなバイクで移動しており、これらの「橋」を見つけるとすぐに撮影し、データをギャラリーのプリンターに送信し続けている。プリンターから出力された写真は、随時壁に貼り出され、その数は会期中にどんどん増えていくわけだ。
旅の途上にある下道自身の移動と発見の状況を、ヴィヴィッドに定着していくその方法論は、とても洗練されていて気がきいていると思う。作品そのものも、一点一点の撮影のコンディションとクオリティが的確に保たれており、それぞれの風景の差異と共通性を見比べていく愉しみがある。下道が会場に掲げたコメントに書いているように、これらの「橋」たちは「生活/風景に必要な最小単位の物体であり、行為のひとつ」である。このような、さりげなくもささやかな営みの意味が、震災以降に変わってしまったことを確認していくのはとても大事なことだと思う。この作品が、今後の彼の制作活動において、新たな大きな水脈となっていくのではないかという予感もする。
2011/07/15(金)(飯沢耕太郎)
アルプスの画家 セガンティーニ──光と山
会期:2011/07/16~2011/08/21
佐川美術館[滋賀県]
生涯、アルプスの山々の風景を描きつづけた画家、ジョヴァンニ・セガンティーニ(1858~1899)を初期から晩年までの作品約60点によって紹介する展覧会。眩しい光を遮るようなポーズで、帽子に手を当てている女性が描かれた《アルプスの真昼》は展覧会のチラシやカタログの表紙も飾っている印象的な作品だが、ここでつかわれている分割技法は、スーラやシニャックの点描によるそのイメージとは異なり、細かい線による色の層で成立している。澄んだ空気や美しい光をとらえようとしたセガンティーニ独特のこの手法は、同じ時期のフランスの新印象主義とは関係なく試みられたと考えられるとのことで興味深い。雄大なアルプスや、痩せた土地で生きる人々の姿、素朴な農民の生活などが描かれた作品のなかには、若い動物の死を描いたものも数点展示されている。セガンティーニは生、死、母性といったテーマにも多く取り組んでいるのだが今展では、7歳で母をなくしその後孤児となってしまったというその生い立ちや人生と作品主題との連関にもふれられている。展示を注意深く見ていくと作家そのものへの興味が掻き立てられていく展示構成。できるだけゆっくりと堪能したい展覧会だ。
2011/07/15(金)(酒井千穂)
尾仲浩二「Tokyo Candy Box」
会期:2011/07/08~2011/08/06
EMON PHOTO GALLERY[東京都]
尾仲浩二の写真集『Tokyo Candy Box』(ワイズ出版、2001)を最初に見た時のショックはよく覚えている。尾仲といえば、やや寂れた地方都市のさりげない光景を、旅をしながら撮影し、端正なモノクロームプリントで発表する作家というイメージがあった。それがいきなり、東京をテーマとした妙にポップなカラー写真の写真集が登場したので、目が点になってしまったのだ。
一人の写真家の仕事をずっと辿っていくと、なだらかに継続性を保ちながら進んでいく時期と、大きく飛躍し、変化していく時期とが交互にやって来ることがよくある。尾仲にとって、1990年代後半の「世紀末」は、まさにその後者の時期だったのだろう。時代が大きく変わりつつあることへの予感と、たまたまカラーの自動現像機を手に入れたことが重なって、モノクロームからカラーへ、地方から東京へ、静から動へ、というような化学反応が起こっていった。こういう思っても見なかったような大転換は、作家本人にとっても、写真を見るわれわれにとっても実に楽しいものだ。このシリーズには、発見すること、つくることの弾むような歓びがあふれているように感じる。
ところが、写真集の刊行にあわせた展覧会も含めて、これまで尾仲はスライドショーや大伸ばしのデジタルプリントでしか、このシリーズを見せてこなかった。自分にとっても実験作だったので、写真集の印刷とどうしても比較されてしまう印画紙の作品の展示は、封印してきたということのようだ。ところが昨年、常用してきたコダックのカラー印画紙が発売中止になり、ストックがあるうちにということで、あらためてこのシリーズのプリントを焼き直した。それらを展示したのが今回の「Tokyo Candy Box」展である。
作品を見ると、この10年の東京の変化が相当に大きかったことがわかる。彼自身が既に刊行時に予感していたように、それはもはやノスタルジックな色合いすら帯び始めているようだ。東京の無機質化はさらに進行し、もはやこの都市はおもちゃ箱を引っくり返したようなポップなCandy Boxではなくなりつつある。逆にいえば、二度と見ることができない眺めを、写真という魔法の箱の中に閉じ込めておくのが写真家の大事な役目なわけで、尾仲のこのシリーズも、箱から取り出すたびにさまざまな形で読み替えられていくのだろう。10年くらい後に、もう一度この「東京の世紀末の晴れの日の光景」をじっくり眺めてみたいものだ。
2011/07/16(土)(飯沢耕太郎)
せんだいスクール・オブ・デザイン ARP2 S-meme#2 山内宏泰氏レクチャー
会期:2011/07/16
東北大学片平キャンパス[宮城県]
せんだいスクール・オブ・デザインのメディア軸/五十嵐スタジオにて、津波で自らも家を失い、被災した気仙沼のリアスアーク美術館の学芸員、山内宏泰のレクチャーを行なう。被災地をまわっているときにお会いし、当事者性のある文化論でもっとも強度のある人と考えていたが、想像以上に素晴らしい内容だった。レクチャーの前半は気仙沼の被害状況を報告しつつ、博物館の使命として被災地の記録作業を行なっていること。後半は雑誌『S-meme』の特集「文化被災」に関連して、被災後に地方の小さな文化施設が置き去りにされていく厳しい状況について語る。彼は、いま文化やアートに何ができるかで悩むのではなく、すべきことは何かを考えるべきだという。そして津波も文化であり、その被害を後世に伝えるために、今こそ文化やアートは踏ん張るときなのだと述べている。
2011/07/16(土)(五十嵐太郎)