artscapeレビュー

2011年10月15日号のレビュー/プレビュー

ルイス・ルブルジョワ「Distant Vision」

会期:2011/09/13~2011/10/08

メグミオギタギャラリー[東京都]

波が打ち寄せる海、川が流れる葦原、月が大きく描かれた夜景などを正方形のパネルに描いている。一見アウトフォーカス気味の写真っぽい描写だが、ペインティングの醍醐味もしっかり残していて、不思議な魅力がある。しかし本名だろうか、不明。

2011/09/16(金)(村田真)

山下麻衣+小林直人「The Four Souvenirs and The Book」

会期:2011/08/06~2011/09/17

タクロウソメヤコンテンポラリーアート[東京都]

焼く前の陶土製の皿にエサを置き、それを食いにきたハリネズミが陶土に足跡を残し、それを焼いてオリジナルの皿を完成させる。丸太を抱えてアルプスに登り、雄大な雪渓を見ながらその風景を丸太に刻む。銅製のフタコブラクダをつくり、ふたりでコブをなでてツルツルにする。制作過程がひとつのパフォーマンスであるが、その結果どれもちゃんとした美術作品(陶器や彫刻)として残している。ただあれこれいろんなことをやってるので散漫な印象があり、たんなる思いつきの連発に見られかねない。

2011/09/16(金)(村田真)

「宮澤賢治/夢の島から」(飴屋法水『じめん』、ロメオ・カステルッチ『わたくしという現象』)

会期:2011/09/16~2011/09/17

都立夢の島公園多目的コロシアム[東京都]

舞台芸術の祭典「フェスティバル/トーキョー」のオープニングを飾る、飴屋法水構成・演出『じめん』と、ロメオ・カステルッチ構成・演出『わたくしという現象』のダブル公演。『じめん』では、クレーター状のコロシアムの盆地中央に白い椅子が数百席ほど並び、一番前の席に少年がひとりぽつんと座っている。やがて少年の座った椅子を残して椅子たちがゴトゴトと後退し始める。まるで生き物のようにうごめく、というより、津波に押し流されるガレキのようにといったほうが適切かもしれない。ここがいちばん心を動かされる場面だ。『わたくしという現象』は、『猿の惑星』のサルや『2001年宇宙の旅』のモノリスが出現したり、放射能研究やラジウムの発見で知られるマリー・キュリーが登場したり、飴屋が出て来てロメオと対話したり、めくるめく展開を見せる。最後に、日本の地形が消えた極東の地図が登場し、日本そのものが「夢の島」だったというオチ。「夢の島」で行なわれたサイトスペシフィックな野外公演でした。

2011/09/16(金)(村田真)

Art Court Frontier 2011 #9

会期:2011/08/19~2011/09/17

Art Court Gallery[大阪府]

アーティスト、キュレーター、コレクター、ジャーナリストなど美術関係者が推薦者となり、関西在住、ゆかりの若手作家を1名ずつ推薦する企画グループ展。9回目となる今年も、立体、インスタレーション、彫刻、染め、絵画など、表現も多様な11名の作家が紹介された。なかでも面白かったのが、森田るいの《パンの筋肉について》という作品。パンをフックにしたものにバールをかけたり、パンが重たい金属を持ち上げるというイメージのインスタレーション。既成概念とモノの物質感を変容させる作家の技量と同時に、言葉のセンスを感じさせるもので次々と想像が広がっていく。また、「盛る」という言葉もぴったりな、ぬいぐるみや貝などを派手に取り付けた西岡桂子のコスチューム、ミニチュアの鍬や鎌などの農耕具がぎっしりと壁面に並ぶあり様に凄い迫力が感じられる占部史人の作品など、その世界観がじっくりと楽しめる作品も良かった。これからの活動も気になる作家たちだった。

2011/09/16(金)(酒井千穂)

橋口譲二「Hof ベルリンの記憶」

会期:2011/09/14~2011/09/27

銀座ニコンサロン[東京都]

橋口譲二のひさしぶりの新作展である。もしかすると10年ぶりくらいかもしれない。1990年代の精力的な活動と比較して、その沈黙ぶりが際立っていたのだが、ようやく写真家として新たな領域へと向かう準備ができてきたようだ。とはいえ、今回展示された「Hof ベルリンの記憶」は、純粋な新作ともいいがたい。「ベルリンの壁」崩壊直後の1990年から93年にかけて、旧東ベルリンのプレンツラウアー・ベルク地区とミッテ地区の古びた集合住宅を、6×6判と4×5インチ判のカメラで中庭(Hof)を中心に撮影した一群の写真があり、それに2009~2010年に新たに撮り下ろした写真が付け加えられている。まだ本格的な始動の前の助走という感じなのかもしれない。
会場に入って、以前送ってもらっていた同名の写真集(岩波書店刊)の印象と、やや違っているように感じた。橋口本人に確認すると、やはりプリントを大幅に焼き直したのだという。写真集の時には、中判、あるいは大判カメラの視覚的な情報をどれだけきちんと伝えるかに腐心していたのだが、今回の展示のためのプリントの段階で「これではだめだ」と思ったのだという。もっと生々しく、実際に建物や中庭に向き合った時の感情を出すことをめざすようになった。結果として、プリントの陰翳はより濃くなり、陽が差さない中庭の湿り気を帯びた空気感が伝わってくるようになった。
このあたりには、両大戦と旧東ドイツ時代を生きのびた労働者階級の人々が多く暮らしていたのだが、その歴史の重みが壁に残る弾痕など、建物のさまざまな凹凸や歪みから浮かび上がってくる。写真を見ている時に、しきりに「皮膚」という言葉が浮かんでは消えていた。たしかに橋口がこのシリーズでめざしているのは、都市の表層を、ぬめりを帯びた「皮膚」の連なりとして捉え直すことではないだろうか。やや残念なことに、このシリーズには人間の気配は感じるものの、人間そのものは被写体として登場してこない。次はぜひ、橋口の本来の主題である、より直接的に人間の生に向き合い、寄り添った写真を見てみたいものだ。

2011/09/16(金)(飯沢耕太郎)

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