artscapeレビュー
2012年11月01日号のレビュー/プレビュー
牛島光太郎 展 意図的な偶然
会期:2012/10/03~2012/10/27
LIXILギャラリー[東京都]
アーティストを知らずに個展を訪れたとき、展示された作品を見ていくなかでアーティストの性別や年齢を無意識に判別していることが、よくある。彼ないしは彼女の作品が、おのずとその属性を物語っている(ように感じられる)のだ。どういうわけか、その判定を誤ることは滅多にない。
今回の個展でも、若い女性の作品だと勝手に思い込んでいたが、じっさいはそれほど若くもない男性だったので、驚いた。なぜそのような早合点をしてしまったかというと、展示が日常的なモノと文字を刺繍した布で構成されていたからだ。ティーカップ、靴紐、窓、ドア、レースのカーテン、そして黒耀石。いずれも繊細で、ひそやかな感性を物語るアイテムばかりだ。どうやらモノと言葉が正確に照応していることは、布の表面に描かれた文章を読めば一目瞭然だったが、特筆すべきは、そのテキストが子どもの頃の出来事を克明に綴り、しかもそこで当時の心情を深く再現していたことだった。
個人的で繊細な記憶をもとにした世界の構築の仕方が、女性的だと判断した大きな理由である。むろん、そのような記憶の語り方や記憶そのものも作者の想像の産物なのかもしれない。けれども、そのことを差し引いたとしても、こうした論理で構成されるアートが今日的であることもまた事実である。
2012/10/11(木)(福住廉)
日活創立100周年の上映会や企画展
1912(大正元)年9月10日、国産活動写真4商社が合併して日本活動写真株式会社(日活)が誕生した。創立100周年を迎えた今年、これを記念して各地で日活映画の上映会が開かれているほか、その映画づくり歴史を振りかえる展覧会も開催されている。展示テーマは撮影所であったり、映画の主題であったり、経営であったり、それぞれの館の特徴が現われていてとても興味深い。
日活創立の翌年1913(大正2)年、墨田区向島に向島撮影所が建設される。ここにはガラス張りのステージのほか、現像や編集の機材、衣装や道具を製作する設備が整えられ、1923年の関東大震災までにおもに新派映画と呼ばれる現代劇が、約760本も制作されたという。すみだ郷土文化資料館の展示では当時の写真資料と映画ポスター、雑誌を中心に、向島撮影所の歴史をたどる。東京大空襲でも多くの資料が失われたなか、向島撮影所に勤めていた樋口哲雄カメラマンのご子息が当時の写真アルバムを保存しており、これから資料館とご子息とで撮影所の研究と分析が進められるという。
1934(昭和9)年には調布市に多摩川撮影所が開設される。この撮影所は戦時統制による合併により大映多摩川撮影所(現・角川大映撮影所)となったが、戦後1953(昭和28)年に日活は新たに調布市に撮影所を建設した。調布市郷土博物館の展示は日活撮影所のほか、「東洋のハリウッド」としての調布に焦点をあてる。映画雑誌、ブロマイド、チケット、脚本やプログラム、役者が描かれたメンコやカルタなど、マニアックな展示品の多くは映画史研究家・畑三郎氏のコレクション。
川崎市市民ミュージアムでは、1950年代から60年代に制作された日活アクション映画の上映と合わせて、日活ダイヤモンド・ラインと呼ばれた俳優や共演した女優たちをポスターや撮影小物、衣裳などで紹介する。日活の女優たちの衣裳を手がけたのは、森英恵。日活からの貸し出し品とのことであるが、展示されている衣裳の保存状態がよいことに驚かされる。
東京国立近代美術館フィルムセンター展示室では、1912年の創業から現在までの日活の包括的な歴史を、撮影所の立地や経営主体の推移によって5つのパートに分けてたどる。特筆すべきは会場の一角につくられた小部屋。18禁の表示。ピンク色ののれんをくぐると、そこは日活ロマンポルノのコーナーである。数々のポスターと、ロマンポルノカレンダー(展示は複製)は、いずれもフィルムセンターの収集品。日活の歴史のなかでも、あるいは今日の映画界で活躍する才能を輩出したという点でも、1970年代から80年代のロマンポルノの時代は避けて通ることができない存在であるはずだが、諸事情で他館ではなかなか展示できないようだ。11月からはフィルムセンターの大ホールで、ロマンポルノを含む日活作品の上映会が開催される。[新川徳彦]
日活向島撮影所 展
会期:2012年7月28日(土)~11月4日(日)
会場:すみだ郷土文化資料館
東京都墨田区向島2-3-5/Tel. 03-5619-7034
日活100年と映画のまち調布
会期:2012年8月12日(日)~10月21日(日)
会場:調布市郷土博物館
東京都調布市小島町3-26-2/Tel. 042-481-7656
日活創立100年記念資料展
会期:2012年8月4日(土)~11月4日(日)
会場:川崎市市民ミュージアム
神奈川県川崎市中原区等々力1-2/Tel. 044-754-4500
日活映画の100年 日本映画の100年
会期:2012年8月14日(火)~12月23日(日)
会場:東京国立近代美術館 フィルムセンター
東京都中央区京橋3-7-6/Tel. 03-3561-0823
2012/10/11(木)ほか(SYNK)
日本の70年代 1968-1982
会期:2012/09/15~2012/11/11
埼玉県立近代美術館[埼玉県]
同館の開館30周年を記念した展覧会。70年代の文化芸術を68年から82年までに及ぶ現象としてとらえ、美術・出版・演劇・舞踏・映画・文学など多様なジャンルの作品から振り返った。
いうまでもなく、この時代を象徴するのは雑誌をはじめとする紙媒体の隆盛である。展示の中心も、その誌面を彩っていたアートやデザイン、写真に置かれていたが、その迫力は今もってなお瑞々しい。あらゆる知識や情報をネットという手の触れることのできない空間に非物質化している現在から見ると、それらはある種のユートピアにすら思える。
だが、この展覧会の白眉は、むしろ展覧会の最後にいかにも取って付けたかのように展示されていた大量のスナップ写真であるように思われる。それらは一般から募った家族写真で、おおむね70年代に撮影されたものだ。きわめてプライヴェートな写真ばかりだから、退屈といえば退屈である。それまでの華やかな作品群とのつながりも、特にない。
けれども、そこに写し出されている個人的な歴史や風俗、文化を立て続けに見ていくと、それらこそが歴史の根底を形成していることに気づかされる。美術や文化の歴史は、そのような無名の人びとによる歴史があってはじめて成り立つものである。美術であろうとなかろうと、多くの専門家はこの厳然たる事実を忘れがちだが、本展は観覧者の眼を歴史の底流に向けさせたという点で、高く評価できる。
今後は、双方を還流する歴史の語り方が待望されるのではないだろうか。
2012/10/12(金)(福住廉)
懐かし うつくし 貝細工
会期:2012/10/07~2012/11/25
大田区立郷土博物館[東京都]
JR京浜東北線大森駅(東京都大田区)のプラットホームには、「日本考古学発祥の地」と記された碑が建っている。これは明治10(1877)年、アメリカ人エドワード・モース博士が当地を汽車で通った際に車窓から貝塚を発見し、それを契機として日本の考古学が発展したことを記念するものである。貝塚は縄文人が食用のために採取した貝殻の廃棄場所であるが、貝は食用ばかりではなく、その殻は器や道具として用いられ、また縄文時代にはすでに貝輪と呼ばれるブレスレット型の装身具が交易品として流通していた。貝殻を用いた装飾品は、日本だけではなく、世界中でつくられてきた。
おもに明治期以降を対象に、貝殻を素材として用いたさまざまな日本の工芸品を紹介する本展の展示は、調度類とお土産品とに大別できよう。漆地に文様を切り出した貝殻を沈める螺鈿細工の洋櫃や茶箪笥。螺鈿細工に似ているが、貝の裏に色を着けた青貝細工の盆、重箱、箪笥やライティング・ビューロー。貝殻で絵画的なレリーフ装飾を施した芝山細工の額や衝立など。明治期から昭和初期にかけてつくられた展示品の多くは輸出品として海外へと渡ったもので、その大ぶりな装飾は、美術館や博物館で日本人向けの繊細な工芸品を見慣れた眼には奇異に映るかもしれない。
観光土産としての貝細工が大量につくられたのは昭和30年代。高度成長期を迎えて人々が国内各地の観光地を訪れるようになった時代のお土産品である。貝殻を組み合わせて人形や動物、船などをつくりあげたものもあれば、他の産地でつくられた木地と組み合わせた人形もあった。貝殻を花びらに見立てた造花や、羽根に見立てた鷹や孔雀もメジャーなモチーフだったようだ。貝殻を用いた細工物の歴史は古く、江戸時代には貝細工による菊人形のような見世物もあったという。
500点超出品されている展示品のほとんどは、輸出工芸研究会会長の金子皓彦氏の蒐集品である。金子氏よれば、これまでに蒐集したさまざまな工芸品は大小合わせて100万点を超えるとか。その規模にも圧倒されるが、蒐集の特徴はものを取りまく歴史にまで関心が及んでいる点にある。いや、むしろそのような関心が金子氏の蒐集の根底にあるのだろう。工芸品ひとつにも、原材料の入手、職人の出自、製造工程、流通にまで調査が広がる。例えば江の島の観光貝細工の製造では、原材料となる貝殻は大阪の業者からトン単位で買い付けられ、製造の一部は千葉の下請けにだされていた。製品はアメリカに輸出されるほか、国内の米軍施設にも出荷されたという。ナイフやフォークのハンドル、ボタンなどに用いられる白蝶貝・黒蝶貝の採取はオーストラリアの小島で行なわれ、明治初めにはすでに多数の日本人ダイバーが貝の採取に従事していた。かつて人々の家の棚を飾っていたお土産品にも、小さなボタンにも、背後にはグローバルな歴史が存在するという金子氏の話には、工芸の歴史ではほとんど語られることがない、市井の職人たちの生き生きとした姿を見ることができる。ただ見るだけでも十分に楽しいオブジェの数々であるが、ぜひ図録(フルカラー、128頁が700円!)の解説とともに観賞して欲しい。[新川徳彦]
2012/10/13(土)(SYNK)
宮永愛子 なかそら─空中空─
会期:2012/10/13~2012/12/24
国立国際美術館[大阪府]
ナフタリンを素材にした、時と共に形状が移ろう作品で知られる宮永愛子が、大規模な個展を大阪で行なっている。大きく4セクションに分かれた会場には、6点の作品が配置されている。導入部では、全長約18メートルのケースにさまざまな日常用具からかたどったナフタリンのオブジェが並び、その隣には天井まで伸びた糸のはしごがある(はしごには時間の経過と共にナフタリンが付着する)。次の部屋には樹脂の立方体に閉じ込められたナフタリンの椅子のオブジェがあり、さらに進むと沢山の柱が並ぶ空間(柱は本物とフェイクが混在している)にはしごとナフタリンの蝶のオブジェを配した広大な暗室が。その暗がりを通り抜けると薄明るい広間に出て、そこには金木犀の葉脈を素材にした全長約33メートルの布地のような大作と、20リットルの海水などを素材にしたもう1点の作品がたたずんでいた。特定のストーリーが示されているわけではないが、観客は会場をめぐるうちに一編の物語を読んでいるかのような感興に浸される。完成度の高い作品と、細部まで緻密に計算された空間による、見事な個展であった。
2012/10/13(土)(小吹隆文)