2021年11月15日号
次回12月1日更新予定

artscapeレビュー

2014年11月15日号のレビュー/プレビュー

仮想のコミュニティ・アジア─黄金町バザール2014

会期:2014/08/01~2014/11/03

高架下スタジオ Site-Aギャラリーほか[神奈川県]

会場隣に直接止められる便利なチョイモビで、黄金町バザールの「仮想のコミュニティ・アジア」に行く。以前に比べて、作品の数が減ったようだ。ややパワーダウンしたように思うが、不気味なインスタレーションのポール・モンドック、建築家チームによる黄金茶室、レジデンスのスタジオにアンナミラーズやメイドカフェの誘致を試みて「失敗」し、あえて空室を展示する太湯雅晴などが印象に残った。



左:ポール・モンドック《住めば都》

右:チーム《黄金茶室》

2014/10/16(木)(五十嵐太郎)

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林忠彦「日本の作家109人の顔」

会期:2014/09/26~2014/11/25

日比谷図書文化館1階特別展示室[東京都]

林忠彦の「文士」シリーズはなぜこれだけ人気があるのだろうか。太宰治や坂口安吾や織田作之助といえば、林が撮影したポートレート以外の顔を思い浮かべるのはむずかしい。単純な記録写真というあり方をはるかに超えて、いまや彼らの肖像は時代のイコンとしての役割を果たしているように思える。現代において、ある一人の写真家が撮影した作家のポートレートが、これほど絶対的なイメージとして固定することはまずないのではないだろうか。
なぜ、そうなっているのかといえば、一つには作家と読者との関係のあり方が、林が「文士」シリーズを撮影した1940~50年代と現在ではまったく違っているからだろう。当時の作家とその作品の愛読者は、まさに一心同体であり、読者は小説や詩を読むことを通じて作家たちと対話しようと願っていた。その時の手がかりとして必要だったのが、作家の人間性をいきいきと表現したポートレートであり、林の「文士」シリーズはまさにその欲求に応えるものだったのだ。ひるがえって、現代の作家たちと読者との間に、そのような切実な関係が成り立つとはとても思えない。
それにしても、何度見直しても、読者の欲求にきちんと対応しながらも、細やかな人間観察力を発揮して、モデルの「これしかない」という表情や仕草を定着していく、林の写真家としての能力の高さには感嘆してしまう。林忠彦はプロ中のプロであり、そのような「職人的」といえそうな技巧の冴えも、デジタル化以降の現代写真の状況では発揮しにくくなっているのも確かだ。今回の日比谷図書文化館の林忠彦展には、新装版で刊行された写真集『日本の作家』(小学館)におさめられた作品の他に、コンタクトプリント、モデルとなった作家たちの初版本なども展示され、時代の雰囲気を立体的に浮かび上がらせていた。これから先も、図書館という場所にふさわしい、文学と連動した写真展の企画を期待したいものだ。

2014/10/18(土)(飯沢耕太郎)

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種村季弘の眼 迷宮の美術家たち

会期:2014/09/06~2014/10/19

板橋区立美術館[東京都]

何とか会期に間に合って、最終日に「種村季弘の眼 迷宮の美術家たち」展を見ることができた。イメージの迷宮に遊ぶ「怪人タネムラ」の世界を堪能することができたのだが、あらためて強く感じたのは、種村は写真表現に対して強いシンパシーを抱いていたのではないかということだ。実際に展覧会に出品されていた写真作品は、ポスターやチラシにも使われていた今道子の「種村季弘氏+鰯+帽子」(2000年)をはじめとして、ハンス・ベルメール、鬼海弘雄、細江英公、さらに種村自身が蒐集した作品を並べた「奇想の展覧会──種村コレクション」のパートに展示された石内都、渡辺兼人のプリントなど、それほど多くない。とはいえ、彼の偏愛の触手が写真にも伸びていたことは間違いないと思う。
といっても、種村は現実世界をそのまま再現・描写するドキュメンタリー系の写真の仕事にはまったく興味がなかったのではないだろうか。柿沼裕朋が同展のカタログを兼ねた『種村季弘の眼 迷宮の美術家たち』(平凡社)で、「その好みは、はっきりしている。抽象よりも形のはっきりした硬質な画面とリアリズム、べたべたした情念よりも恐怖や不安を笑いに転化したような作品である」と述べているように、種村の「好み」は、まさに今や鬼海の写真がそうであるように、現実世界をくっきりとした白昼夢に変換してしまうような「硬質な画面」の作品に傾いていた。それは彼の著作でいえば『魔術的リアリズム メランコリーの芸術』(PARCO出版、1988年/ちくま学芸文庫、2010年)で扱われているドイツの「ノイエ・ザハリヒカイト」の画家たちの作品と共通する、細部までリアルに描写すればするほど魔術的、幻想的に見えてしまうような世界への志向ともいえるだろう。
残念なのは、種村が本格的な写真論を最後まで書くことなく亡くなってしまったことだ。「魔術的リアリズム」の系譜に連なる写真家たち、たとえばフレデリック・ソマーやマニュエル・アルバレス=ブラボについての論考を、ぜひ読んでみたかった。

2014/10/19(日)(飯沢耕太郎)

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美少女の美術史

会期:2014/09/20~2014/11/16

静岡県立美術館[静岡県]

展示のハイライトは、展示最後に配置された、谷口真人の鏡を使った少女のイラストのインスタレーション(と感じた)。この作品の構造、あり方は少し説明っぽいけれど、清々しくて、腑に落ちる。それまでに展示されていた全ての作品を資料のように、いわば前菜として味わい、さて、最後に主菜をいただきましょう、というような趣向で楽しんだ。その楽しみ方だと、谷口真人作品の展示の仕方は少し雑に見えた。スペースの都合上、最後の部屋の壁に寄せとこう、といった感じで余韻もあまりない。さりげないといえばさりげないのかもしれないけど。

2014/10/19(日)(松永大地)

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リアス・アーク美術館開館20周年記念特別展 震災と表現

会期:2014/09/17~2014/11/03

リアス・アーク美術館[宮城県]

前回は荒天で往生したが、今回は晴天なので運転を見合わせることはないだろうと安心していたら、反対方向の電車にカモシカが衝突し、大船渡線が単線のために到着が遅れた。展示は参加者が多いため、BOX ART形式をとり、サイズを制限しつつ、さまざまなアーティストのほか、美術系や建築系の研究室から震災に関連した作品が並ぶ。各自の感じた311への長いテキストも寄せられ、資料的な価値をもっている。

関連シンポジウム「震災と表現 美術の社会的役割について」では、椹木野衣、槻橋修らと登壇した。福島/原発を軸にゲリラ的な活動を展開する前者と、宮城・岩手/津波被災地において記憶を喚起する失われた街の白模型による支援型のワークショップを行なう後者が対照的である。おそらく、これはたまたまというよりは、アートと建築のジャンルの違い、あるいは異なる被災地における時間の流れの違いを反映していると思う。

2014/10/19(日)(五十嵐太郎)

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