2021年12月01日号
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artscapeレビュー

2015年05月15日号のレビュー/プレビュー

他人の時間 TIME OF OTHERS

会期:2015/04/11~2015/06/28

東京都現代美術館[東京都]

グローバル社会だからこそ露呈してきた「他人」との時間的・空間的隔たり感をいかに埋め、どのように接続していくか。そんなテーマに、日本、シンガポール、オーストラリアの4人のキュレーターが選んだアジア太平洋地域のアーティスト18人が向き合った。フィリピンのキリ・ダレナの《消されたスローガン》は、50-70年代のデモの写真からスローガンを消したもの。デモというのはスローガンの内容よりデモ自体の形式に訴求力があるということがわかる。インドネシアのサレ・フセインは、独立運動が起こった30年代の写真を元に描き起こした絵を100点ほど出品。写真を絵に描くのは、声を出して歴史を読むのにも似た行為かもしれない。ここに河原温が出ているのはいささか唐突だが、「日付絵画」シリーズは(ほかのシリーズもそうだが)まさに「他人の時間」を表現したものだろう。いま挙げた作品はすべてモノクローム。色彩もテーマも人選も華やかさに欠けるなあ。

2015/04/10(金)(村田真)

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三井の文化と歴史

会期:前期:2015/04/11~2015/05/06、後期:2015/05/14~2015/06/10

三井記念美術館[東京都]

三井記念美術館では三井文庫の開設50周年と三井記念美術館の開館10周年を記念して、春と秋に特別展が開催される。春季の前期展示は「茶の湯の名品」と題して、三井家に伝わってきた茶道具の名品──おもに北三井家六代高祐と室町三井家十代高保の蒐集品──と、三井家の当主や夫人が描いた絵画や書、手造りの茶道具など、「旦那芸」として制作されたにしてはとても質の高い書画、工芸が展示された(2015/4/11~5/6)。後期展示は「日本屈指の経営史料が語る三井の350年」(2015/5/14~6/10)。三井文庫が所蔵する17世紀半ばから20世紀までの経営史料、文書類、絵画などによって、三井350年の経営が紹介されているほか、三井文庫のアーカイブ活動、研究活動が紹介されている。吉川容・三井文庫主任研究員によれば、本展では三井文庫が所蔵する生の歴史史料を見せると同時に、史料を用いた歴史叙述のプロセスを見せ、また史料を残すことの大切さと史料館が果たす役割を伝えたいとのこと。三井文庫は公開されているとはいえ、事業の歴史に沿って体系的に史料を見せる機会はこれが初めてだという。経営史、経済史を学ぶ者ばかりではなく、歴史に関心がある人にはいずれも興味深い展示物であると思う。解説パネルはとてもわかりやすいが、近世の実物史料は古文書になじみのない人にとっては(私もだが)難しいので、音声ガイドの解説が参考になる。また本展に合わせて『史料が語る三井のあゆみ──越後屋から三井財閥』(吉川弘文館、2015)が刊行されている。同書は三井の歴史を50のテーマに分け、ひとつのテーマをひとつの見開きでわかりやすく解説しているほか、三井文庫の歴史も紹介されており、これも展示を見るうえで大いに参考になる。[新川徳彦]

2015/04/10(金)/2015/05/13(水)(SYNK)

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リッタ・パイヴァラネン「River Notes」

会期:2015/04/11~2015/05/02

YUMIKO CHIBA ASSOCATES[東京都]

フィンランドの写真家たちの作品は、日本人にはとても親しみを感じるものが多い気がする。YUMIKO CHIBA ASSOCATESで、同じくフィンランド人の写真家、アリ・サールトの展示に続けて開催された、リッタ・パイヴァラネンの「River Notes」展を見て、あらためてそう思った。
パイヴァラネンは1969年生まれ、ヘルシンキ在住の女性アーティストで、森の中に布の帯を張り巡らして撮影する作品を制作し続けている。川に沿って歩き回って、「最も良い視点」を探し求め、古着や古布をつなぎ合わせた長いリボンのようなオブジェを、樹々の枝に結びつけたり、垂れ流したり、花のように開いて「縫い付け」たりする。春や秋の、葉が落ちて「風景のかたちや構造がより見えるように」なった季節を選び、布の色を周囲の風景と調和させ、時には防水ズボンを履いて川の中に入り込んでベスト・ポジションを探すことで、作家と自然との一体化がより強まっているように感じる。その自然との間に細やかな共感を育てていく姿勢が、日本のアーティストたちとも共通しているように感じられるのだ。
フィンランドの写真家たちは、ヘルシンキ芸術デザイン大学出身者たちの「ヘルシンキ・スクール」の存在が広く知られるようになって、世界的に注目を集めつつある。写真集や展覧会を通じて、積極的に自分たちのスタイルをアピールしていく姿勢は、日本の若い写真家たちにも参考になるのではないだろうか。

2015/04/11(土)(飯沢耕太郎)

大﨑のぶゆき ─Display of surface─ 「不可視/可視/未可視」

会期:2015/03/31~2015/04/11

galerie 16[京都府]

大﨑のぶゆきが2004年から続けている「Display of surface」シリーズと、制作プロセスの記録映像によるインスタレーション。展示されたキャンバスはいずれも、一見すると白の単色で塗られただけで、何も描かれていないように見える。だが作家によれば、実際には、ワセリンを指に付け、下地の上に手探りで描いているという。今回はカフカの小説『城』の登場人物が描かれているというが、それらは「不可視」の存在に留まっている。
では、指での描画、つまりキャンバスとの身体的接触の痕跡を「可視」化することは、どのようにして可能なのか。手がかりは、傍らに置かれた『城』の文庫本。持ち主が表紙に触れたことが、銀色に浮かび上がった指紋の痕跡によって示される。「Display of surface」シリーズにおける、潜在的な画像をはらんだ表面もまた、犯罪現場での鑑識捜査に用いられる指紋の検出方法を使えば瞬時に像が現われるのであり、あるいは酸化作用などの経年変化によって、何十年か後には自ずと像が顕在化するという。つまり、「不可視」は正確には「未可視」の状態にあるのだ。自然作用による像の顕在化までにかかる時間に耐えうるように、油絵の技法研究者の協力を得て、「表面が剥落せず、100年間もつ絵画」を制作するプロセスが映像で示される。
このように「Display of surface」シリーズでは、可視的なビジュアルイメージではなく、身体との物理的接触によって「表面」で起こる出来事(の痕跡)として、「絵画」は唯物論的に了解されている。その接触の痕跡が未可視にとどまる状態は、むしろ「ネガ」に近く、経年変化によって像が可視化されていくプロセスは、時間が極端に引き延ばされた「現像」と言えるだろう。その「現像」プロセスに、個人の生を超える時間的スパンを持ち込み、それに耐えうる下地を開発する大﨑の手つきは、両義的である。一方では、絵画という制度の「延命」を図りつつも、無造作に壁に立てかけられたキャンバスたちは、ただの白い板というモノにしか見えないからだ。
ポートレートや星座などの描画が水に溶け出し、おぞましさと美しさが同居する崩壊の過程を映し出した映像作品においても同様に、コントロールを手放した「時間的作用」が変容を駆動させる。本シリーズ作とは、イメージの消滅/顕現という点では逆向きのベクトルをなすが、絵具の層の堆積とは異なる「時間の相」と絵画の関係を考えることが、大﨑作品の基層のひとつにあると言えるだろう。

2015/04/11(土)(高嶋慈)

上野千紗「mirror」

会期:2015/04/07~2015/04/12

KUNST ARZT[京都府]

本物の植物の種と造花をそれぞれ用いて、生/死、自然/人工の境界の曖昧さを問うインスタレーション。病室に入るように半透明のカーテンをめくってギャラリーの第一室に入ると、植物の種が植えられたプランターが整然と並べられ、人工的な水色をした栄養剤が点滴のようにセットされている。ここは生命を育む場所でありながら、人工的な管理が行き届いた工場か実験室のような無機質さに支配されている。
一方、第二室では、一枚ずつ剥がされた造花の白いバラの花びらに、花言葉が刺繍され、蝶の標本のように並べられている。人工物である造花が、刺繍という手仕事を施すことで、むしろ生き物のような有機的な表情に近づいていく。管理された生/死や人工/自然の境界の撹乱に対する批評性を読み取ることは容易いが、詩的な美しさと相まって、今後の期待値を感じさせる展示だった。

2015/04/11(土)(高嶋慈)

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