2021年09月15日号
次回10月1日更新予定

artscapeレビュー

2015年05月15日号のレビュー/プレビュー

地点『CHITENの近現代語』

会期:2015/04/15~2015/04/16

アンダースロー[京都府]

明治期に制定された大日本帝国憲法に始まり、終戦の詔勅(玉音放送)、日本記者クラブでの昭和天皇の会見記録、夏が巡るたびによみがえる敗戦の記憶を扱った朝吹真理子の小説『家路』と、戦後の被爆者の生に触れた別役実の戯曲『象』という2編のフィクションを経由して、改正問題で揺れる現在の日本国憲法へ。『CHITENの近現代語』は、日本の近代の始まりから敗戦を経て現在へ至るまでのさまざまなテクストを引用し、コラージュすることで構成された演劇作品である。断片化されたテクストが、5人の俳優たちによって、アクセントや分節、音程やスピードを変幻自在に変化させて発語されることで、意味内容の伝達よりも音響的現前として迫ってくる。とりわけ、冒頭での大日本帝国憲法のシーンが圧巻。暴力的なまでに切り刻まれたテクストが、俳優の身体という楽器によってポリフォニックに奏でられ、戦慄的なまでに美しい。テクストの分裂、複数の声が口々に発語する多重化、詠唱のようにハーモニックな和音の同調性が共存することで、意味が破壊されたテクストの残骸が音響的に空間を漂っていく。あるいは、アコーディオンで、切れ切れの音程で引き裂かれるように奏でられる君が代の旋律の美しさ。
だがこの美しさは、単純な賛美ではない。アコーディオンの奏者は目を頑なに閉じ、両側から支えられないと自立できず、アコーディオンの蛇腹を他者に引っ張ってもらわずには演奏ができない。俳優たちの身体には常に外部からの圧力や負荷がかかっている。重力に抗えずくずおれる身体。あるいは機能不全や麻痺に陥る硬直した身体。それは発語を強要する負荷なのか、声を奪い沈黙させようとする圧力なのか。『CHITENの近現代語』は、空間(観客と今ここで共有する空間、日本語という共有空間、歴史と接続した空間、社会的現実と地続きの空間)に、俳優の身体性と音響的現前によって楔を打ち込もうとする。発語する複数の声たちは、「わたし」/「あなた」の指示的関係の中で幾重にも分裂し、「臣民/国民」として数値化され、「日本語」という言語的共同体の中にいくつものひび割れと異質さを打ち込んでいく。コラージュ素材として用いられるテクストの多様性もまた、祝詞のような大日本帝国憲法の御告文、戯曲の中の会話体、終戦の詔勅、議会での演説といった文体の差異を際立たせるとともに、声の主体のありかを問いかける。国家、国民、固有名を持った個人、「朕」という特殊な一人称……。ここでは、言語的パフォーマンスとその圧倒的な強度によって、言語的共同体の出現とその解体をもくろむことが仕掛けられている。


写真撮影:Hisaki Matsumoto(2枚とも)

2015/04/16(木)(高嶋慈)

宮本佳明《真福寺客殿》《澄心寺庫裏》

[長野県]

竣工:2013年/2009年

五十嵐研のゼミ合宿で、長野をまわる。宮本佳明が設計した《真福寺客殿》は、本堂の入母屋+唐破風の屋根と連なる、コンクリートによる地形のような白い屋根が特徴だった。一見、現代的なデザインの覆いだが、そっと屋根をつまみ上げるようなイメージで操作された形態は、入母屋や唐破風的なイメージを重ね合わせ、伝統の再解釈となっている。続いて、同じく宮本が手がけた《澄心寺庫裏》を見学した。実は、この建物のコンペの審査員を担当し、一次審査のときから宮本案を推していたが、ようやく完成した建築を訪問する機会を得ることができた。これもコンクリートの屋根がメインの建築だが、もっとシンボリックで大きな白い屋根であり、宗教建築として変わらないアイデンティティを担う。一方、屋根の下の居住部分は、時代に合わせて変化することを前提とした木造だ。

写真:上2枚=《真福寺客殿》、下2枚=《澄心寺庫裏》

2015/04/16(木)(五十嵐太郎)

ローザス「ドラミング」

会期:2015/04/16~2015/04/18

東京芸術劇場プレイハウス[東京都]

東京芸術劇場プレイハウスにて、ローザスの「ドラミング」を見る。この楽曲から刺激されるクリエイターは多いが、あまりメカニカルな感じではなく、12人のダンサーが自律的でありながら、相互影響しつつ、優雅に華麗に、そして複雑に折り重なっていく。どうやって、全体が振付けられているのか、感心させられる。

2015/04/16(木)(五十嵐太郎)

KYOTOGRAPHIE 京都国際写真祭2015

会期:2015/04/18~2015/05/10

虎屋 京都ギャラリー、有斐斎 弘道館、京都市役所前広場、コム デ ギャルソン京都店、堀川御池ギャラリー、嶋臺ギャラリー、ギャラリー素形、誉田屋源兵衛 黒蔵、無名舎、花洛庵(野口家住宅)、両足院(建仁寺内)、ASPHODEL、祇園新橋伝統的建造物、SferaExhibition、村上重ビル 地下[京都府]

京都市内の伝統的建造物、寺社、現代建築などを舞台に開催される国際写真展。3回目となる今年は、「TRIBE ─あなたはどこにいるのか」をテーマに市内中心部15会場で開催されている。出品作家は、ジャズの名門ブルーノートで写真撮影を担当したフランシス・ウルフ、20世紀を代表する写真家の一人マルク・リブー、現代文明に背を向けて自給自足生活する人々を捉えたルーカス・フォリア、大阪で共に過ごしたパンクスやスケーターたちとの破天荒な日常を生々しくドキュメントした山谷佑介、1950年代に能登の海女を取材したフォスコ・マライーニ、アフリカ・コンゴの平和主義のお洒落紳士たち「サプール」を紹介するボードワン・ムアンダなど、9カ国14組。全体を通して多文化主義が貫かれており、企画時期から直接の関係はないと思われるものの、結果的に今年1月にパリで発生したシャルリ・エブド紙襲撃事件への応答となっている。毎回、優れた写真作品と京都の歴史・文化を共に味わえる「KYOTOGRAPHIE」だが、今回はテーマの時事性という観点からも高い評価が得られるだろう。
ウェブサイト:http://www.kyotographie.jp/

2015/04/17(金)(小吹隆文)

西山美なコ・小松敏宏「On the Exhibition Room」

会期:2015/03/28~2015/04/18

CAS[大阪府]

「空間の中に(in)ある美術作品ではなく、美術作品が導く場所について(on)の意識を前景化する」ことを、小松敏宏と西山美なコの作品を通して試みた二人展。
小松敏宏の作品は、展示室の壁の向こう側に存在する空間を撮影した写真を、同寸で当の壁に貼り、写真の縁と白い壁の境界線を曖昧にぼかすことで、外部の現実空間をホワイトキューブの中へ召喚してみせる。ギャラリーの事務所、作品の保管場所、廊下や階段、非常灯……あたかも壁の向こう側を「透視」しているかのように、壁の一部が透明化したような錯覚に陥る。ただし、それは「写真」であるがゆえに、現実空間との時間差をはらんでいる。「透視」しているのは、現実にあった空間だが、既に過去のものなのだ。小松の作品は、純粋なホワイトキューブとして虚構化された空間を、写真というイメージを用いて、「今ここ」の現実とは微細な差異を伴ったものとしてもう一度虚構化するような、ねじれた構造をはらんでいる。
一方、西山美なコは、展示室の壁のみならず、天井や梁にまで、鮮やかなピンクの曲線によるウォール・ペインティングを展開した。それは紋様化された植物や花のようにも、飛沫のようにも見え、フラクタルのようにどこまでも増殖しながら空間を覆っていく。また、描線の上に白い絵具を薄く塗り、さらにその上から描線を重ねることで、ギャラリー空間の「壁」の物質性は後退し、絵画的イリュージョンが生成する場へと変貌していく。
ホワイトキューブの虚構性に裂け目を入れつつ、写真というメディウムの特性によって再虚構化するような小松と、物理的な壁を支持体としつつも、イリュージョンの生成によって半ば非物質化させていく西山。物理的な「壁」を出発点としつつ、写真/ペインティングというメディウムの違いによって、異なる空間を呼び込んだ両者の対比が興味深い展示だった。

2015/04/17(金)(高嶋慈)

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