artscapeレビュー

2017年01月15日号のレビュー/プレビュー

谷原菜摘子展──私は暗黒を抱いている

会期:2016/12/13~2016/12/25

ギャラリー16[京都府]

黒や赤のベルベットに、油彩、ラメ、スパンコール、ラインストーンなどを駆使して、毒々しいまでに妖艶な世界を描き出す谷原菜摘子。若干27歳でいまも京都市立芸術大学大学院博士課程に在籍していながら、すでに各方面から高い評価を得て受賞歴もある彼女が、新作個展を行なった。作品に登場する人物は作家本人に似ているが、それもそのはず、彼女の作品は自身に内在する負の記憶やルサンチマンを、現代の社会問題とリンクさせて吐露したものなのだ。例えば《バイバイ・パラダイス》という作品では、世界に吹き荒れる紛争や難民問題はどこ吹く風で高級ファッションに身を包んだ女性たちが登場する。彼女たちは自分の身体が砂となって消えつつあるのに、それに気づかぬまま所在なげに立ち尽くすのみだ。また《アイアム・ノット・フィーメール》は、谷原が10代の頃に抱いていた、自分が女性であることの嫌悪感を表現した作品。男装の女性が自分の髪と乳房を切り取って血まみれのまま座ってこちらを見つめている。このように自身の心の闇を吐き出すように描き切るのが谷原の特徴だ。煌びやかな画面は傷ついた心を慰撫するための、一種の荘厳なのだろう。自身の内実をあけすけに語る作家はほかにもいるが、ここまで強力な個性を持つ作家は稀だと思う。個展の度に感心させられてきたが、今回もこちらの期待を遥かに上回った。

2016/12/13(火)(小吹隆文)

開館記念展「北斎の帰還─幻の絵巻と名品コレクション─」

会期:2016/11/22~2017/01/15

すみだ北斎美術館[東京都]

数日前に入館者が3万人に達したと報道されてたので行ってみた。開館記念展の会期43日間で3万人を目標にしていたのに、わすか15日間で達成されたという。予想の3倍近い動員ってわけだ。今日も平日ながらけっこうにぎわってる。まず建物だが、基本は立方体の大きな固まりで、縦方向に何カ所か鋭角の切り込みが入り、下のほうは十字形に貫通している。つまり1階は4つの部分に分かれ、上のほうはひとつにつながってる四つ足構造だ。1階でチケットを買い、4階の企画展示室へ行くのだが、小さいエレベータが2機しかなく、混んでるため待たなければ乗れない。「なんで階段がねえんだ?」とスタッフに詰め寄るおばあちゃんもいる。客の8割方を占めるお年寄りに階段を要求されるほどの混雑ぶりというか、うれしい見込み違いというか。
展示場は3、4階の2フロアだが、ロビー(なぜか3階はホワイエ、4階はラウンジと称している)が広く、各フロアの3分の1を占める。4階のラウンジに切り込まれた窓からはスカイツリーが遠望できる仕掛け。展示室は4階が常設と企画に二分され、3階は企画のみ。4階の常設展示室には、長屋の一室で絵を描く北斎と娘の応為の等身大フィギュアもある。これがよくできていて、じっと見てたら動いてるように感じるではないか。あれ? と思って見てると、実際に手と首がわずかに動くようになっているのだ。ああ驚いた。さて、4階から3階へは螺旋階段とエレベータが使えるが、3階から1階へはエレベータしか使えず、これは不便というより不安が先立つ。もちろんいざとなったらどこかにある非常階段が使えるんだろうけど、気分的に地に足がつかない感じ。場所は両国から徒歩5分ほどで、下町情緒を期待してたけど、まるでそんな雰囲気はない。まあそこまで期待するのは酷か。

2016/12/13(火)(村田真)

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高山登展「漂う遊殺」

会期:2016/12/01~2016/12/17

Gallery TURNAROUND[宮城県]

高山登「漂う遊殺」展@仙台のギャラリーターンアラウンド。見慣れた展示室の全体がシートに覆われ、異空間に変容していた。そこに高山作品でおなじみの枕木と、壊れた椅子が置かれている。否応なく3.11を想起させる作品だった。

2016/12/14(水)(五十嵐太郎)

南村千里『ノイズの海』

会期:2016/12/15~2016/12/18

あうるすぽっと[東京都]

オーセンティックな芸術家像とは相容れない人物が(たとえば非西洋人が、女性が、そして障害を持つ人が)芸術の場を更新するという美術史ならば周知の傾向と並べてみるほかに、本作のダンスを受け止める術はない。南村千里の新作は、もし「ろう者でもあるダンス・アーティスト」という前提なしに見たら、ライゾマティクスのハイクオリティな装置による刺激的なイメージに圧倒される分、ダンスとしては印象に薄いという感想しか残らなかったかもしれない。ただし、この前提こそ看過できぬものなのだ。とはいえ、そうである限り、既存の批評軸で評定しても意味がないような気がしてくる。否定であれ肯定であれかつてのダンス史と向き合いながら、そこにない何かを提示することが通常、作家に求められているものだとして、南村の振り付けには歴史への応答が希薄で(南村が学んだイギリスにおける何らかの流派への応答は行なわれているかもしれないが、私はそこに疎い)、それより何かもっと別のトライアルに挑戦しているように感じる。ただし、それがどんなポイントなのか、俄かにはわからない。客席に注意を向けると、手話の手に気づく。聞こえない人が客席に存在することを前提に、普通はダンス公演を作らない。その「普通」に慣れた体で、聞こえない人とともに見ている目の前の光景を判断してよいものかどうか戸惑う。とはいえ、舞台には音声も用いられており、健常者の聴覚が無視されているわけでもない。だが、強烈な振動を伴う大音量もあり、そこでは「聞く」のとは異なる視聴(つまり振動を感じること)が想定されていそうだ。それを、さて、聞こえない人はどう「聞く(感じる)」のだろうと、耳を塞いで見たりするが、想像が膨らむだけで実感はわかない。聞こえない人にも聞こえる人にも開かれた公演であるということは、誰にとっても感知し得ない空白が必ず残るということでもある。この批評し難さ、批評の疎外状態が、まず、何よりも本作を興味深いものにしている。直接の関連があるかないかはともかく、今後「2020」へ向けて、このようなコラボレーションが顕著になることだろう。そうした傾向がダンスを変えていくのか、一種の流行に過ぎないのか。どっちに転ぶのかは、ダンスの内容もさることながら、観客の多様性をどう生じさせ、それによって鑑賞の質をどう変容させていくかという視点にオルタナティヴなダンスの道筋を見るか否かにかかっていることだろう。

2016/12/15(木)(木村覚)

こどもアートひろば展覧会「アッペトッペ=オガル・カタカナシ記念公園」

会期:2016/12/15~2016/12/26

地下鉄東西線 国際センター駅 青葉の風テラス[宮城県]

仙台アートノードの皮切りとなるプロジェクト、KOSUGE1-16「アッペトッペ=オガル・カタカナシ記念公園」@国際センター駅2階。文学館と共同しつつ、童話詩人スズキヘキと郷土研究家の天江富弥の仙台での活動を発掘し、子どもが遊ぶ広場を創出。カタカナ詩がそのまま円環構造となり立体空間化!

2016/12/15(木)(五十嵐太郎)

2017年01月15日号の
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