artscapeレビュー
鷹野隆大『カスババ』
2011年04月15日号
発行所:大和プレス(発売:アートイット)
発行日:2011年1月1日
「カスババ」とは「カス婆」ではなく「滓のような場所」の略だという。その複数形なので「カスババ」。この国に暮らしていれば、誰でも日々出会っている「あまりにも当たり前で、どうしようもなく退屈な場所」ということだ。分厚い写真集には、たしかにそのような身もふたもない場所の写真が170枚もおさめられている。なんの変哲もないビル、無秩序に幅を利かせる看板類、どうしようもなく直立する電柱や信号機、自動車やバイクや自転車がわが物顔に路上を行き交い、どこからともなく通行人が湧き出しては、不意にカメラの前に飛び出してくる。撮影場所は作者の鷹野隆大が住んでいる東京が多いが、広島や仙台や沖縄の那覇のような地方都市もある。もっとも、とりたてて地方性が強調されているわけではなく、沖縄と東京の写真が並んでいてもほとんど見分けがつかない。
いったいこんな「カスババ」だけを集めて写真集が成立するのかと思う人もいるだろうが、ページをめくるうちに不思議な興奮を抑えられなくなってくる。
面白いのだ。写真を見ていると、たしかにこのとりとめのなさ、つまらなさこそが、奇妙な輝きを発していることに気がつく。それは撮影者の鷹野も同じように感じているようで、あとがきに「明確な憎しみの対象として、踏みつぶすように撮り続けて来たのだが、長年付き合ううちに、いつのまにか『嫌な嫌なイイ感じ』へと変化してしまった」と書いている。
どうしてそんな魔法じみた「変化」が起きてしまうかといえば、それは鷹野が「カスババ」を撮影する態度にかかっている気がする。「踏みつぶすように」と書いているが、悪意をあらわに乱暴に被写体に向かうのではなく、かといっておざなりにでもなく、いわば「平静な放心状態」を保つことで、街や人がそこにあるがままに呼び込まれているのだ。「滓のような場所」がまさに「滓のような場所」として見えてくることを、1カット1カット、シャッターを切るごとに、歓びを抑え切れず確認しているようでもある。もしかすると、「嫌な嫌なイイ感じ」というのは、日本の都市風景に対するわれわれのベーシックな感情なのではないかという気もしてくる。
2011/03/05(土)(飯沢耕太郎)