artscapeレビュー

2011年05月01日号のレビュー/プレビュー

SOMEWHERE

会期:2011/04/02

ヒューマントラストシネマ有楽町[東京都]

なんとも不思議な映画である。物語の骨格はいたって凡庸。快楽に溺れるまま人生の方向性を見失っていたハリウッド俳優が、別居していた娘と向き合うことで未知の方向に踏み出すことを決意するというもの。全速力を出し切れないままコースを延々と周回するスーパーカーをとらえた冒頭のシーンがやり切れない虚無感を、広大な砂漠を貫く一本道を自分の足でゆっくり歩き出す結末のシーンが未来へと踏み出す新たな出発を、それぞれ象徴的に描いていることも、じつにわかりやすい。しかも、舞台の大半は豪奢なホテルで、セレブリティーの私生活をあけっぴろげに披露するような映像がひたすら続く。こうした単純明快な映像はえてして眠気を誘うものだが、ちっとも眠くならないし、ますます画面から眼が離せなくなるのは、いったいどういうわけか。娘役のエル・ファニングがとてつもなくかわいいからなのか、西海岸の乾いた光を巧みに取り入れた映像が美しいからなのか、あるいは「おれは空っぽの人間だー!」と泣きながら絶叫する主人公が笑えるからなのか、よくわからない。そういえば、『ロスト・イン・トランスレーション』も似たような風情が漂っていたから、もしかしたらソフィア・コッポラの特異な才覚は、単純な物語を冗長になる一歩手前のリズムできわどく描き出すところにあるのかもしれない。

2011/04/13(水)(福住廉)

トゥルー・グリット

会期:2011/03/18

TOHOシネマズ六本木ヒルズ[東京都]

コーエン兄弟にしては珍しい、王道の西部劇。同時期に公開された『サイレントマン』(2009)がいかにもコーエン流の黒い笑いを伴った不条理劇だったのに対し、本作は父親の敵討ちを果たすために荒野を旅する少女を描いた、立派な物語映画だ。主人公の少女は聡明で理知的、しかも無骨な保安官や強気なレンジャーを従えるほど豪気でもある。百戦錬磨の猛者たちに囲まれたこのような少女像は、おのずとナウシカに代表される宮崎駿のアニメーションを連想させるが、決定的に異なっているのは、コーエン兄弟が映画の終盤で、この少女の行く末を描いていることだ。年齢を重ねた主人公は、かつてと同じように理知的ではあるが、顔の表情は硬く、聡明というよりむしろ高邁な印象を与える。孤独を自尊心で塗り固めるような生き方。必ずしもハッピーエンドとはいえない結末をあえて描き出すところに、コーエン兄弟の良質な悪意が込められているのだろう。

2011/04/14(木)(福住廉)

民藝運動の作家達──芹沢銈介を中心として

会期:2011/03/13~2011/07/18

大阪日本民芸館[大阪府]

熟練した職人による堅実な造形と無心の仕事から生み出される健康な美。そうした民衆の用いる日常品の美しさに着目した柳宗悦は、陶芸家・濱田庄司や河井寛次郎らとともに無名の職人たちがつくった民衆的工芸品を「民藝」と名付け、その真髄を説いた。1927年に発表された柳の論文「工藝の道」に感銘を受けた、染色家・芹沢銈介(1895-1984)もまた彼らの活動、すなわち「民藝運動」に参加、さらには沖縄の伝統的な染色である「紅型(びんがた)」に導かれ、「型絵染」と呼ばれる独自な染色表現を確立していった。「型絵染」という名称は、芹沢を重要無形文化財保持者と認定する際、文化財保護審議会が新たに考えたもの。芹沢の仕事の大きな特徴のひとつは、その多様性にある。観賞用の屏風や額絵から、着物、風呂敷、のれん、うちわ、葉書、カレンダー、ポスター、挿絵や本の装丁に至るまで、じつにさまざまだ。同展でも、多様なジャンルにわたる芹沢の型絵染作品が紹介されている。自然のモチーフを意匠化したその表現は大胆で、洗練されたモダンささえ感じさせる。[金相美]

2011/04/16(土)(SYNK)

artscapeレビュー /relation/e_00013097.json s 10000307

米子匡司「街の道具・その他のこと」

会期:2011/03/26~2011/05/08

梅香堂[大阪府]

川沿いに並ぶ古いトタン板の倉庫の一角に入ると、アートや思想関係の本が壁面に並べられた作業場のような空間に、なにやらわからないふたつの箱がある。良く見ると手作りの自動販売機とジュークボックスだ。OSB合板で無造作につくられた自販機は内部が丸見えで、配線コードの先からガラクタの瓶や美空ひばり、ゴダイゴのレコードなどがぶら下がっている。前面には「10円」「90円」「300円」などと手書きされたシールが貼ってあり、硬貨投入口らしき孔に恐る恐るお金を入れてボタンを押すと、商品がクッション敷きの底面に落ちてきた。ジュークボックスは制作途中で試せなかったが、仕組みとしては、観客が楽器などを用いて演奏したり歌ったりしたものを録音、番号をつけてジュークボックスに蓄積し、次に訪れた人が番号を押せば、それが聞けるというものらしい。
作者の米子匡司は1980年生まれ、トロンボーンやピアノ、コンピュータなどを用いた音楽活動とともに電話機や電光掲示板を用いた参加型アートを精力的に展開している。米子氏の話は聞けなかったが、このオルタナティヴ・スペース「梅香堂」を主宰する後々田氏によれば、作者は自販機やジュークボックスといった街の道具でありながら、その仕組みが秘匿的なもの、いわばブラックボックス的なものを解明し、将来的にはそれらを誰もが作り出せることを意図しているという。
自販機やジュークボックスはフェティシズム論的には、人間の本能的欲求とは無関係な、根拠を欠いた「過剰」な欲望の実体化と見なされうるだろうか。とはいえ、日本中にはびこる自販機は、われわれにとってはもはや「過剰」の象徴どころか、「自然」と化したものに違いない。それは景観においても「自然」と化したものだが、自販機で物が買えたり、音楽を吹き込んでそれを聴く行為自体、現代人にとっては疑似本能的、自然な行為だ。その「自然」のブラックボックスを解明し、それを誰もがつくれるようにするという米子氏のコンセプトは、それをわれわれにとっての完全な「自然」──たとえば、身体のように扱えるもの──にしてしまいたいという欲望の顕れなのだろうか。あるいは別の見方をすれば、コンビニやiPodなど、自販機やジュークボックスの代替物はいくらでもあるが、疑似本能的な欲求とわれわれとの関係性を実体化するという目的においては、自販機やジュークボックスというモニュメンタルなモノこそ相応しいということなのか。前者の解釈はアートの側からの、後者のそれはデザインの側からのとらえ方といえる。これ以外にこのふたつの作品については、記号論やノスタルジー論の立場から解釈しても面白いだろう。いずれにせよ、今回の彼の試みが、フェティッシュな文化に対するわれわれの意識のあり様を重層的かつ複雑に提示したものであることは間違いない。 [橋本啓子]

2011/04/16(土)(SYNK)

明治の視覚革命!──工部美術学校と学習院

会期:2011/04/08~2011/06/11

学習院大学史料館[東京都]

2000年に学習院大学史料館に寄託された松室重剛関係史料により、工部美術学校と学習院との関わりを中心に明治期における図画教育の一端を紹介する展覧会である。松室重剛(まつむろ・しげただ、1851-1929)は、明治22年から大正10年までの33年間にわたり学習院中等科の西洋画教師を務めた人物。その図画教育には当時まだ珍しかった石膏像が用いられ、また彼は学習院独自の図画教科書編纂も行なっている。
その松室が美術を学んだのが、工部美術学校であった。工部美術学校は、明治9年に設立されたわが国初の官営美術学校で、明治4年に設立された工学寮(後の工部大学校)の一機関であった。工部美術学校での図画教育はモノの形を立体的にとらえ、陰影や明暗、遠近を正確に描く技法が基本で、日本の伝統的な図画技法との相異は「視覚革命」とも言えるほどのものであったという。工部美術学校は開設からわずか6年で閉鎖されたが、近代日本美術の基盤を形成した人物を輩出したばかりではなく、図画教科書の編纂を通じて日本中にこの視覚革命を広めていった。学習院で図画教育に携わった松室もそのひとりなのだ。
学習院自体も工部美術学校と浅からぬ縁があるそうだ。工部美術学校の母体である工部大学校の初代校長・大鳥圭介(1833-1911)は、その後学習院の第3代院長を務めている。また明治19年に校舎を火事で焼失した学習院は、明治23年に四谷に移転するまで工部大学校の旧校舎を使用していた。展示会に先立つ調査によれば、松室が授業で使用していた多数の石膏像は、このような関係により工部大学校から学習院に持ち込まれたのではないかと推論されている。
展示のなかでもとくに興味深かったのは「用器画」に関する史料である。用器画とは、定規やコンパスを用いて幾何学的な図形を描くことで、正確な遠近法を用いるために必要な技法であり、工部美術学校における教育でも徹底されていたという。それが中等教育において実践された背景には、学習院の生徒の多くが陸軍士官学校あるいは海軍兵学校に進学していたことが挙げられている。当時の陸軍において、地形の見取り図や地図を作成する能力は重要であった。松室が編纂した教科書に陸軍兵士に関する題材が多く用いられていることも、同様の背景によるものだとされる。松室が残した教え子の作品のなかには、服部時計店や東京国立博物館本館を設計した建築家・渡辺仁の素描もある。このような人材の輩出に、学習院における図画教育の方法は大きく関わっていたであろう。明治期に進行した「視覚革命」が、教育の場でどのように実践されていたのか、後の世代にどのように影響を与えたのかを貴重な史料でたどる好企画である。[新川徳彦]

2011/04/16(土)(SYNK)

artscapeレビュー /relation/e_00012623.json s 10000315

2011年05月01日号の
artscapeレビュー