2020年01月15日号
次回2月3日更新予定

artscapeレビュー

2011年05月01日号のレビュー/プレビュー

江戸民間画工の逆襲

会期:2011/04/02~2011/05/08

板橋区立美術館[東京都]

同館の所蔵品を見せる展覧会。酒井抱一、鈴木其一、司馬江漢、加藤信清、歌川広重、月岡芳年など56点が、幕府御用絵師の狩野派に相対する「民間画工」として位置づけられて展示された。大きな特徴は、お座敷コーナー。36枚の畳を敷き詰めた大広間に、河鍋暁斎の《龍虎図屏風》や英一蜂の《士農工商図屏風》などをそのまま置いて見せた。ガラス越しに眼を細めて鑑賞する通常の鑑賞法とは対照的に、珠玉の屏風絵を間近に座布団に座りながら心ゆくまで堪能できる仕掛けが心憎い。ただ、この露出展示という方法が、市井の人びとによって楽しまれた「民間画工」という文脈を効果的に際立たせていることは十分理解できるにしても、その一方でいくぶん中途半端な印象も否めなかった。というのも、せっかくここまで空間をつくり込んだにもかかわらず、照明には一切工夫が見られなかったからだ。屏風絵が生きていた空間を忠実に再現するのであれば、思い切って館内の照明を落とし、行灯のおぼろげな光だけで鑑賞させるべきだったように思う。むろん江戸時代には「電力」も「美術館」もなかったのだから、江戸の空間を完全に甦らせることはどだい無理があるのかもしれない。けれども、現代社会を代表する両者がいずれも隘路に陥っていることを思えば、いっそのこと「江戸」にあわせて「電力」と「美術館」のかたちを内側からつくり変えていくことも考えるべきではないか。社会革命や文明批判のためだけではない。そのほうが、「作品」がよく映えるに違いないからだ。

2011/04/16(土)(福住廉)

artscapeレビュー /relation/e_00012616.json s 10000419

TROPE

会期:2011/03/26~2011/05/15

graf mouth[大阪府]

大阪を拠点にデザインやアート、食に関する活動や商品制作を行なうgrafの新プロダクトブランドライン「TROPE」の展覧会。「TROPE」は、「言葉の比喩的用法/言葉のあや」を意味する英語。木製の組み合わせ家具のパーツにみえる同ラインは、通常のプロダクトのように使用法を限定していない。人々が言葉を比喩的に、曖昧に用いるのと同様、各々の感覚で自由に使えるような道具であることが企図されている。
T-2(商品番号。以下同様)の椅子のように、伝統的な椅子のフォルムに忠実なデザインもあるが、鍬のようなT-5、鋤のようなT-6は2本の直線を組み合わせただけという抽象的なデザインであり、「TROPE」のポリシーをもっとも体現するプロダクト──grafの企図に従えば「道具」──だろう。一番オーソドックスな使い方としては、壁に立てかけて衣服等を吊ることだろうが、会場で流されていた映像では、これらを手に持ってダンスをしたり、T-5を使って座っている人を動かす様子が紹介されていた。
この道具を使ってモダンダンスを踊る光景は確かに魅力的だ。しかし、同じ道具を壁に立てかけ、服や傘や帽子を吊るとすれば、それははたして美しく思えるだろうか。こう考えると、「TROPE」のラインもまた、古今のアヴァンギャルドなデザイナーたちが陥ったジレンマに辛くも陥ってしまっている感がある。そのジレンマとは、練り上げられたフォルムが実際に使用されることでかたちを変えられ、想定外の色彩やテクスチャーを与えられ、ついにはデザイナーの最初の構想が儚くも消え去ってしまうことだ。T-5やT-6がもっとも輝いてみえるのは、おそらくそれらがなにも吊り下げられず、それ自体として空間に存在するときである。ゆえに、ダンスの小道具であるときにはそれは美しい。
もっともこのように考えるのは、筆者の想像力がきわめて貧困であるせいで、商品を手にした人たちからは、grafの意図通り、思いがけない使用法が、なおかつデザインそれ自体がいっそう輝くような使用法が生み出されるかもしれない。そうなれば、新たなフォルムによる新たな機能の触発という、デザイナーたちが(いかに傲慢と言われようとも)追い続けてきた夢に一歩近づくことになる。[橋本啓子]

2011/04/17(日)(SYNK)

大倉摩矢子『Mr.』

会期:2011/04/07

中野テルプシコール[東京都]

大倉摩矢子の上演は、舞台奥からゆっくりと前に向かって大倉一人が歩いてくるといったミニマルな構成に特徴がある。気がつけばわずかとはいえポーズが変わっていたことにはっとさせられる彼女のスローモーションは「遅い」がゆえに「速い」。「遅い」ことで見る者の時間感覚が静かに混乱させられてしまう。あっという間に15分、20分が過ぎている。そうした彼女の魅力は本作でも発揮され、みだされる時間感覚を堪能した。実際に身体が行うスローモーションは、映像のそれとは異なり、均一に滑らかに遅いわけではない。不均一で滑らかではないからこそ、大倉の「ゆっくり」はスリリングであるわけで、映像の「ゆっくり」をモデルにする必要などない。いや、映像の「ゆっくり」に還元できない舞踏独特の身体性、時間性が提示されているからこそ、大倉の上演には価値があるのだ。だからこそ、音響の切り替わりで上演の構造をつくってしまっては、もったいない。中盤、街中の環境音からブルースに切り替わると、大倉の所作は音楽に動機づけられた動きを増幅させてゆくのだけれど、そうなったとたんに、踊る大倉の心情に見る者のフォーカスが移り、集中が途切れてしまった。終盤に、無音で再びゆっくり歩くと遅いがゆえの速さが戻った。やはりこれがいいと思わされる。

2011/04/17(日)(木村覚)

ジャケ買いのビガク──誘惑するジャケットデザイン

会期:2011/04/10~2011/05/08

世田谷文化生活情報センター「生活工房」[東京都]

「ジャケ買い」とは、音楽と無関係に、ジャケットデザインの好みだけでレコードやCDを購入すること。展示はふたつの企画で構成されている。ひとつは「ジャケ買い」ドキュメンタリー。アートディレクターの伊藤桂司、森本千絵の両氏がレコードをジャケ買いする。買ったレコードは互いに交換され、それぞれが曲を聴いて新たなジャケットをデザインする。相手に渡されるのはレコード盤のみで、元のジャケットデザインは参考にしないというルール。会場にはオリジナルのジャケットと新たにデザインされたジャケットが並べて展示され、またジャケ買いからデザインまで、両氏の姿を追った映像作品が流されている。
もうひとつは「ジャケ買い」体験。企画に参加したグラフィックデザイナーたちがジャケ買いしたレコードが展示されている。そればかりではない。ディスクユニオンの協力を得て、会場には2,000枚のレコードが用意されている。会場を訪れた者は、ラックの中から好きなジャケットデザインを選び、側に設置されたプレーヤーでそのレコードを試聴できる。つまりここではジャケ買いを疑似体験できるのだ。この企画はとてもスバラシイ。
アナログレコードからCD、そしてデジタル配信へと音楽メディアや流通形態が変化し、また音楽を聴く場も変わってきた。はたしていまの若者たちは店頭に足を運び、音楽を「ジャケ買い」することはあるのだろうか。二十歳前後の学生に「ジャケ買い」経験の有無を聞いてみた。150名のうち、経験アリは60名。ジャケ買い対象のほとんどはCDで、レコードと答えたものは1名のみ。本やDVDをジャケ買いするという者もいる。そしてジャケ買いの結果が「アタリ」だったという者は半数強。「ハズレ」も少なくないらしい。よくジャケ買いするという学生は「たいていがハズレだが、そのぶんアタリだったときの喜びが大きい」とコメント。なるほど、メディアは変わってもジャケ買いの「ビガク」は健在のようだ。[新川徳彦]

2011/04/18(月)(SYNK)

小島徳朗 展 tableau / sculpture

会期:2011/04/19~2011/05/01

アートライフみつはし[京都府]

絵画と彫刻を出品。絵画は、漢字の部首や平仮名の一部を思わせる線や点が画面に点在する抽象的なもので、見ようによっては風景画や書の一種として観賞することもできる。彫刻は、細い鉄線を組み合わせており、やはり文字をモチーフにしているかのようだ。タイトルにも特徴があり、熟語ではない2文字または3文字を組み合わせた独特のもの。造形と直接的な関連はないが、見ている方が自然と両者を結びつけて想像をたくましくする。絵画、彫刻、タイトルの響き合いが心地よいハーモニーを奏でる個展だった。

2011/04/19(火)(小吹隆文)

2011年05月01日号の
artscapeレビュー

文字の大きさ