2018年10月15日号
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artscapeレビュー

今井祝雄「Retrospective─方形の時間」

2016年05月15日号

会期:2016/03/26~2016/04/23

アートコートギャラリー[大阪府]

1970年代半ば~80年代前半に制作された、今井祝雄の写真・映像・パフォーマンス作品を展示(再演)する個展。写真の多重露光、テレビ映像の再撮影、ビデオテープによる記録と身体パフォーマンスを行なっていたこの時期の今井の関心が、映像メディウムと物質性、時間の可視化、時間の分節化と多層化、映像への身体的介入、行為と記録、マスメディアとイメージの大量消費などに向けられていたことが分かる。
《時間のポートレイト》(1979)は、1/1000秒、1/30秒、1秒、30秒、60秒、600秒、1800秒、3600秒の露光時間設定でそれぞれ撮影したセルフポートレイトである。1/1000秒や1/30秒の露光時間では鮮明だったイメージが、次第にブレや揺らぎを伴った不鮮明なものになり、最後の3600秒(=1時間)の露光時間で撮られたポートレイトでは、タバコの光やサングラスの反射光が浮遊し、亡霊じみた様相を呈している。ここでは、秒という単位で分節化された時間が、段階的に幅を広げていくことで、ひとつのイメージに時間の厚みが圧縮され、時間の層が可視化されている。
また、「タイムコレクション」のシリーズ(1981)は、「7:10」「7:42」「9:54」など時刻表示のある朝のテレビ画面を、1分間以内に多重露光撮影したもの。1分という時間単位の間に放映された多様なイメージの積層化であるが、断片化した個々のイメージが重なり合って溶解し、人間の顔の輪郭が重なった事故現場(?)の映像とクラッシュするなど、お茶の間で日常的に受容している映像が、安定した知覚を脅かす不気味なものへと変貌していく。ファッション雑誌などに載った写真を15秒間ずつスライド投影し、画像の輪郭をなぞって抽出した線を描き重ねていく《映像による素描》(1974)と同様、マスメディアが大量生産するイメージの受容経験が、分節化した時間と行為の反復によって多重化/解体されている。
一方、今井が「時間の巻尺」と呼ぶビデオテープの記録性や物質性をパフォーマンスに持ち込んだのが、《方形の時間》(1984)と、初日に行なわれたその再演である。展示室の4m四方に設置された観葉樹に、撮影直後のビデオテープを手にした今井が巻き付けていく。そのビデオテープには、直前の作家の行為が記録されており、中央に置かれたブラウン管モニターに「中継」され続けるが、テープはリールに巻き取られることなくデッキから吐き出され、作家の手で四隅の観葉樹にぐるぐると巻き付けられていき、やがて黒い結界で囲まれた空間が出現する。フィルムと異なり、黒い磁気テープには記録された像が見えず、それは「物質」として立ち現われる。現在進行形の行為と一瞬遅れのディレイをはらむ記録が入れ子状に進行する時間と空間が、その黒いテープによって封じられていく。「製造停止となって久しい貴重な機材を入手できたことで可能となった」今回の再演・再展示は、テクノロジーの発展と表裏一体の技術的衰退という時間の流れとともに、アナログ機器ならではの「時間の手触り」を感じさせ、メディアの発展と知覚の変容(もしくは技術的衰退とともに失われてゆく知覚体験──低い解像度の粗い粒子という物質的肌理、ビデオテープ1本=「30分」という時間感覚、空間に置かれた機材やテープのもつ彫刻的性質など)の相関関係についても示唆していた。

2016/04/22(金)(高嶋慈)

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