2018年10月15日号
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artscapeレビュー

双六でたどる戦中・戦後

2016年05月15日号

会期:2016/03/19~2016/05/08

昭和館[東京都]

双六から戦中と戦後の歴史を振り返った企画展。双六は江戸時代には正月を楽しむ遊びとして親しまれていたが、明治以後、印刷技術の発達に伴い雑誌の付録として定番化すると、庶民の暮らしの隅々にまで浸透した。ある一定の定型をもとにしながらさまざまな意匠を凝らす遊戯。そこには同時代の社会情勢や時事的な風俗、政治的なイデオロギーなどが、ふんだんに取り込まれているため、双六の表象には社会や歴史のダイナミズムが如実に表わされていることになる。この展覧会は、昭和館が所蔵する130点の双六によって、戦中から戦後にかけての歴史的変遷を振り返ったものだ。
注目したのは、やはり戦中の双六である。戦後の双六が人気キャラクターによって未来社会や科学技術の発展を謳う、いかにも平和主義的なイデオロギーが反映されているのに対し、戦中のそれは露骨に軍国主義的なイデオロギーによって貫かれているからだ。前者に安穏としていられる時代はもはや過ぎ去り、後者へと足を踏み入れかねないキナ臭さを感じる昨今、戦中の表象文化から学ぶことは多いはずだ。
例えば本展の最後に展示されていた《双六式国史早わかり》(1931)は、178個のコマを螺旋状に組み立てた大きな双六で、円の中心のフリダシから右回りに外縁を進んでいく構成。中心の出発点に天照大神が描かれているように、双六の時間性と国史のそれを重ねながら体験することが求められている。だが恐ろしいのは、そのゴール。そこにはただ一言、「国民の覚悟」と書かれているのだ。1931年と言えば満州事変を契機に日本の軍部が暴走し始めた時代であるから、早くも庶民の大衆文化にまで軍国主義的なイデオロギーが行き届いていたことがわかる。
だが、軍国主義的なイデオロギーとは必ずしも強権的な暴力性によって庶民に強制されるわけではない。そのことを如実に物語っていたのが、横山隆一による《翼賛一家》である。1940年、大政翼賛会宣伝部の監修により朝日新聞社から発行されたこの双六は、大和家という一家のキャラクターの人生の軌跡をなぞったもの。国民学校を卒業したのち、八百屋や本屋、大工、サラリーマンといったさまざまな職能を経ながら、勤労奉仕、防空演習、国民服、回覧板、産業報国、枢軸一体、日満支一体といった戦時体制へと突き進んでいく。その先にあるのは「忠霊塔」であり「富士山万歳」であるから、当時の国民は戦争で死ぬこと、すなわち「英霊」となることが期待されていたわけだ。つまり庶民にとって親しみのある漫画的表象が、このような恐るべき既定路線を自然に受容させる、ある種の「イデオロギー装置」(ルイ・アルチュセール)として機能しているのである。
双六のもっとも大きな特徴は、それが直線的な時間性によって成立している点にある。どれほど進路が曲がりくねっていたとしても、あるいはどれほどそれを行きつ戻りつしたとしても、出発点と到達点を結ぶ時間の流れはあらかじめ決められている。逆に言えば、未知の時間に逸脱する可能性は最初から封印されているのだ。双六が、このような運命論的な受容性を日本人の国民性に畳み込んできたことは想像に難くない。だが戦前回帰の気配が漂い始めた昨今、私たちが想像力を差し向けなければならないのは、直線的な時間性を撹乱し、新たな時間の流れを切り開くことである。既存の価値観を根底から覆すことのできる現代アートのアクチュアリティーは、おそらくここにある。

2016/04/14(木)(福住廉)

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