2021年08月01日号
次回9月1日更新予定

artscapeレビュー

隈研吾 展「Kengo Kuma Studies in Organic」

2009年11月15日号

会期:2009/10/15~2009/12/19

ギャラリー間[東京都]

ギャラリー間で開かれている隈研吾の展覧会。下階には多くのスタディ模型やサンプルの展示、中庭には水を入れたポリタンクでできた《ウォーターブランチ》が原寸大で設置、上階には《グラナダ・パフォーミング・アーツ・センター》や《ブザンソン芸術文化センター》の1/25の大型模型等が展示。大きなテーマは、抽象的なるものから抜け出した先にある有機的なるものだという。
有機的?建築を消す、溶かす、砕く、といっていた隈が、その方向性を180度変えたようなキーワードではないか。晩年のコルビュジエのロンシャンの礼拝堂にはじまる見かけ上の大きな転向も想起されよう。あるいはフランク・ロイド・ライトか。しかしこれは転向ではないはずだ。過去に、一度も隈は転向していない。今回は、建築的遺伝子が、環境に負けながらある全体を生成していくプロセスによって、有機体にたどり着こうとする試みだという。展示のポイントは、まさにタイトルにあるように「Studies」と「Organic」にあるだろう。「Organic」を実現するために、その生成をシミュレートしたかのような「Studies」が、下階にて展示されているのだ。この生成の過程が興味深い。OMA/AMOの「Contents」展やHerzog & de Meuronの「NO.250 An Exhibition」展を見たときの印象に近く、膨大なスタディ模型がところ狭しと並べられていた。おそらく、状況は近い。数年前にOMAとH&dMが近づいてきたと感じたのと同じような状況を感じた。グローバルな状況下においては、設計事務所のスタッフの流動化も起こり、情報や考え方も似通ってきてもおかしくはない。
にもかかわらず、それらの展覧会とは何かが違う印象も受けた。OMAやH&dMの展示は、多くのスタディ案を「進化」させていくことにより、従来なかった建築に到達するという方法論による最良の展示であった。これは、建築においてはいわば一般的な方法論であるともいえよう。多くの案をつくるうちに、突然変異と自然淘汰によって、結果的に進化が起こる。選択は暗黙には建築家が行なうといえるので、ダーウィンの自然選択説になぞらえて建築家選択説といってもよいだろう。一方、隈の展示から感じたのは、そのような「進化」ではないという印象だった。それに変わる言葉として「エピジェネティクス」が最も適切であるように思われる。「エピジェネティクス」とは、個体におけるDNA配列の変化によらない後天的な作用が、遺伝子発現を制御する仕組みの総称のことである。「進化」が世代を超えることによって生まれる変異であるのに対し、「エピジェネティクス」は同一個体における環境の違いによって生じる変異である。隈は、細胞が環境に応じてさまざまな紆余曲折を経て有機体にたどり着くイメージについて語っていた。これは、「建築家」が複数の変異体の中から、もっとも適した案を「選択」することを、他世代にわたって繰り返しつつ案を「進化」させていくというモデルとは明確に異なり、個体としての「建築」がそれを取り囲むさまざまな条件といった「環境」的な要因に影響を受けながら、後天的にある「形質を獲得」するというモデルである。このモデルは「獲得形質の遺伝」を主張したラマルク説に近いものである。ラマルク進化論は、歴史上批判され続けてきたが、エピジェネティック機構の発見により、完全に否定はできなくなった。
つまり、隈の考える建築の生成のイメージは、ダーウィン的な進化モデルより、ラマルク的な進化モデルにむしろ近いものである。ある建築が、環境に応じて、自分自身を発見していくというプロセスは、従来のダーウィン進化論的な建築生成モデルに対して、オルタナティブをつきつけるものとなるのではないだろうか。今回見た隈のいくつかのプロジェクトから感じたのは、多世代に渡り行き当たりばったりな突然変異を繰り返すうちに、一定の段階に到達したような建築ではなく、ある環境に応じて変化を繰り返しているうちに確実に解にいきつくような、生命として連続的同一性を持ったような建築であった。

2009/10/14(水)(松田達)

artscapeレビュー /relation/e_00006214.json l 1210067

2009年11月15日号の
artscapeレビュー

文字の大きさ