2021年09月15日号
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artscapeレビュー

セバスチャン・サルガド「AFRICA」

2009年12月15日号

会期:2009/10/24~2009/12/13

東京都写真美術館 2階展示室[東京都]

僕は1979年以来、ケニア・タンザニアを中心に東アフリカを何度も訪れている。通算の滞在期間は1年以上になるだろう。まだ個人的な趣味の範疇だが、そのうちスワヒリ文化を中心として何か書いてみたいとも思っている。だから、他の人よりは多少アフリカについて語る資格はあると思う。
結論的にいえば、セバスチャン・サルガドの「AFRICA」はアフリカではない。そこにあるのは壮大な自然と虐殺や飢餓の悲惨な状況だけで、その「間」が完全に欠落しているからだ。モノクロームの大きな写真は、例によって完璧な構図、ドラマチックな躍動感にあふれており、観客を引き込む力を備えている。サルガドのアフリカの人びとに対する善意、このような写真を通じてこれ以上の環境の悪化や貧困を食い止めたいという意志も充分に伝わってくる。にもかかわらず、肝心のそこに生きている人々の生の手触りがまったくというほど見えてこない写真は、ある種の誤解を引き起こしてしまうのではないだろうか。被写体と観客との間に横たわる大きなギャップ(実際にはそれだけでもない)のみが強調されてしまうからだ。
もう一つ感じたのは、たとえばルアンダの内戦を扱う場合、旧植民地時代から支配者の手先の役目を果たしてきたツチ族と、多数派のフツ族との複雑にねじ曲がった歴史を、キャプションの段階できちんと伝えないと、虐殺や難民化がなぜ起きたかが理解されず、単純に悲劇的な出来事として片付けられてしまうのではないかということだ。われわれはあまりにも簡単に「アフリカ」と一括りにしてしまいがちだが、北のイスラム圏と南のブラック・アフリカ、旧イギリス植民地の東アフリカとフランス植民地の西アフリカでは、歴史も文化も社会的な慣習もまったく違っている。しかもアフリカ諸国はモザイク状の部族社会の集合体であり、同じ国でも言葉が通じないというようなことはざらにある。残念なことに、サルガドの展覧会はそのあたりについての配慮を決定的に欠いている。会場の狭さとか、キャプションの翻訳とかの問題では片付けられない、基本的な鈍感さがそこにあるのではないかとすら疑ってしまう。

2009/11/06(金)(飯沢耕太郎)

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