artscapeレビュー
2012年01月15日号のレビュー/プレビュー
南相馬市プロジェクト「塔と壁画のある仮設集会所」塔の完成
会期:2011/12/12~2011/12/13
南相馬市[福島県]
塔の建設を見届けるべく、南相馬市の仮設住宅地を訪れた。11月に建設資材は運び込み、基礎のコンクリートと中央の支柱はすでに完成していたので、この日はクレーンで三角形の木のフレームを持ち上げ、積んでいく作業が始まった。鮮やかに着彩されたユニット群が垂直に立ち上がっていく。彦坂尚嘉が和歌の形式にならって、5、7、5、7、7のパターンで色を塗り分けているが、高くなるにつれて、色の組み合わせ効果も見えてきた。機能をもたない純粋な塔は、幾何学的な抽象彫刻である。集会所の内部を見ると、さまざまな飾り付けが増えていた。天井から吊り下げられた折り紙群、カラオケ大会の記念写真、標語などである。三角形のユニットは、微妙にズレながら、回転しつつ空に向かう。近隣の仮設住宅地の人たちからも、ここに何ができるか、大きな関心をもたれているようだった。全部で90段を積み、8mの高さに到達する予定だったが、日が暮れるのが早く、初日は全体の1/3程度で切り上げ、翌日に完成した。そして後日、これを「復活の塔」と命名する。また12月23日には、NHK BSの番組「地球テレビ:エル・ムンド クリスマス・スペシャル」において現場から中継された。
2011/12/12(月)(五十嵐太郎)
イエロー・ケーキ クリーンなエネルギーという嘘
会期:2012/01/28
渋谷アップリンク[東京都]
昨今、原発についてのドキュメンタリー映画の上映が相次いでいるが、この映画もそのひとつ。原子力発電に必要な天然ウランの採掘に焦点を当て、旧東ドイツやナミビア、オーストラリア、カナダの採掘現場にカメラが入っていく。古い資料に登場する人物にインタビューしたり、空撮によって取材拒否された採掘場を撮影するなど、粘り強い取材態度は評価できる。けれども、全体的に大仰な音楽が耳障りであり、肝心の放射線の種類や線量の単位を詳らかにしないなど、不満が残らないわけではない。とはいえ、ウランを100%完全に輸入に頼っている日本で、その採掘現場の実態がまったく知られていないことを考えれば、やはりこれは見ておく必要がある映画だといえる。旧東ドイツの採掘現場跡地にそびえ立つボタ山や、アボリジニの土地を奪って造成されたオーストラリアの採掘場で垂れ流される排水からは、いまも放射線が発せられているという。放射性廃棄物の行く末を追跡した『100,000年後の安全』とあわせて見ると、結局のところ、原子力エネルギーは人間の手には負えないという厳然たる事実を明快に理解することができるはずだ。これから手を引くことができるかどうかに、人間が人間たりうるかがかかっている。
2011/12/13(火)(福住廉)
中山岩太 安井仲治 福原信三 福原路草─ペンタックスギャラリー旧蔵品展─
会期:2011/11/29~2011/12/25
JCIIフォトサロン/JCIIクラブ25[東京都]
東京・西麻布にペンタックスギャラリーが開設されたのは1967年。翌68年に戦前から写真家、編集者として活動してきた鈴木八郎が館長となり、写真展の開催とともに、写真機材、プリントなども収集・展示し始めた。ペンタックスギャラリーは1981年に新宿西口に移転し、機材関係はペンタックスカメラ博物館として、1993年から栃木県益子町の旭光学工業益子事業所内で公開されてきた。ところが残念なことに、同カメラ博物館は2009年に閉じられることになる。その所蔵品を引き継いだのが日本カメラ博物館で、隣接するJCIIフォトサロンとJCIIクラブ25での今回の展覧会では、そのうち中山岩太、安井仲治、福原信三、福原路草の1930~40年代の写真印画を中心に展示していた。ペンタックスギャラリーの旧蔵作品のレベルが相当に高いものであることは知っていたが、実際に見て感動した。中山岩太の全紙サイズの《上海の女》(1936頃)、《イーブ》(1940)など、まさに美術館のコレクション並み、いやそれ以上の名品といえる。しかも中山の《卵と手》(1935~45頃)、安井仲治の《魚》(1935頃)、《絣》(1939)など、これまでほとんど展覧会に出品されてこなかった作品も含まれている。今回公開された作品は、同コレクションのほんの一部であり、ぜひその全貌を一堂に会する機会を持っていただきたいものだ。鈴木八郎のような目利きがいれば、一企業の収集活動が日本の写真文化の発展に大きく寄与できることを、あらためて教えられた展覧会だった。
2011/12/13(火)(飯沢耕太郎)
藤田匠平 展
会期:2011/12/02~2011/12/17
六々堂[京都府]
藤田は京都在住の陶芸家だが、全国各地から引き合いが多く、意外と地元での個展は少ない。貴重な機会となった本展では、約60点と彼にしては大量の作品を出品した。器としての実用性を保ちつつ、抽象的なオブジェ性も併せ持つのが彼の特徴だが、本展では鯉の置物や半分に切断されたゴマサバなど、これまでとは異なる作風も。それらに共通するのは驚くほど細かい絵付けがなされていることだ。なるほど、いまの彼はこんな作風だったのか。普段行き慣れない画廊での個展だったが、出かけておいてよかった。
2011/12/14(水)(小吹隆文)
Chim↑Pom展 LEVEL7 feat. 広島!!!!
会期:2011/12/10~2011/12/18
原爆の図丸木美術館[埼玉県]
丸木美術館で催されたChim↑Pomの展覧会。広島の原爆や福島の原発について彼らが表現してきた一連の作品が、丸木夫妻による《原爆の図》と同じ美術館で展示されたことの意義はとてつもなく大きい。《原爆の図》の圧倒的な重さと対比されることで、いままで以上にChim↑Pomの軽さの意味が際立って見えたからだ。これまでChim↑Pomの作品は不当にも軽佻浮薄な印象で判断されることが多かったが、それは必ずしも現在の若者文化を体現した彼らの佇まいに由来しているだけではない。原爆と同じ原子力エネルギーを「平和利用」することで繁栄してきた戦後社会が、そのような相対的な軽さを要請したのだ。その恩恵のもとで生まれ育ったChim↑Pomにとって、原子力は原爆という絶対的な暴力を告発するほど外部にあるものではなく、むしろ自分たちの内側に内蔵されているものだった。肉眼で見ることができない以上、重さを実感することができないといってもいい。だからこそ、それは絵画の対象になりうる重さを持ちえず、飛行機雲というたちまち雲散霧消してしまう軽薄なメディウムを選び取ったのではなかったか。もちろん原爆の被爆地へ赴いた丸木夫妻と同じように、Chim↑Pomも原発事故の現場に足を運んでいる。けれども、そこには建物の破壊こそあれ、大量死のような地獄絵図があるわけではなく、肝心の炉心さえ、いまだに誰も見ることができない。つまり放射能の被害は、いまのところ想像するしかない以上、想像力を使って思い描く空想の世界ではおのずと軽くならざるをえないのだ。広島と長崎に落とされた原爆が私たちの戦後史の出発点であり、なおかつ原爆美術の原点だったとすれば、Chim↑Pomが刻印したのはその「現在地」にほかならない。本展において、その両極が同時に示されたことによって、重い原爆美術から軽いそれへと変遷した過程を想像することができた。そのあいだを数々の視覚芸術によって架橋するのが、おそらく目黒区美術館が準備していた「原爆を視る」展なのだろう。このほど正式に中止が決定されたようだが、時期と場所を改めて開催することが大いに待望される。
2011/12/14(水)(福住廉)