artscapeレビュー

2012年01月15日号のレビュー/プレビュー

薄井一議「昭和88年」

会期:2011/12/09~2011/12/22

ZEN FOTO GALLERY[東京都]

タイトルを見て、ある種の感慨を覚える人が多いのではないだろうか。もし昭和という年号が続いていたとすれば、2013年が「昭和88年」になるわけだ。たしかに単なる語呂合わせのようではあるが、この言い方にはなぜか実感がある。というのは、平成以降の生まれの20歳以下の人たちは別にして、実はわれわれの感受性の質を決定しているのは、「昭和」の空気感であるように思えるからだ。薄井一議が試みようとしたのは、そのいまだに強く残っている「昭和」の匂いを、丹念に写真のなかに採集することだ。彼が主に撮影したのは、大阪の飛田、京都の五條楽園、千葉の栄町の界隈。いうまでもなく、かつて色街があった旧遊郭の地である。いまなお現役で営業している店も多いこのあたりこそ、「昭和」を最も色濃く感じさせる場所だろう。エロスと食が表面に浮上する場面では、人間の地金がより強く表われてくる。普段は押し隠している「昭和」っぽい色や形や肌合いに鋭敏に反応する感受性が、そういう場所ではあからさまに押し開かれて出てくるのだ。特徴的なのは、このシリーズの全体を覆いつくしている「どピンク」だろう。いかにも下品で俗っぽいピンク色が、奇妙な優しさ、鮮やかさ、華やかさで目に飛び込んでくる。こうして見ると、この「どピンク」こそが、「昭和」の生命力のシンボル・カラーであるようにも思えてくる。その派手な色が、いやに目に染みるのは、今年が殺伐とした「震災と原発の年」だったことにかかわりがありそうな気もする。なお、展覧会に合わせて英文の写真集『Showa88』(ZEN FOTO GALLERY)も刊行されている。

2011/12/17(土)(飯沢耕太郎)

studio velocity《空の見える下階と街のような上階》

愛知県岡崎市高隆町[愛知県]

完成直前のオープンハウスで、愛知の期待の若手建築家の住宅を見学する。2階建てであり、外階段から上階のリビングにアクセスすると、小さな塔が林立し、それぞれが階段を内包しており、降りると、下階の個室に入っていく。まさにタイトル通りのことが実現されている家。しかも、完全なる円形プラン。考えてみると、こうしたベタな正円の建築は意外にもあまりなかったが、自然に成立させている。設計者は石上チルドレンの新感覚派であり、またそれをちゃんと受けとめる施主がいることにも感心した。石上純也がまだ住宅を竣工させていないあいだに、彼らは住宅や美容院を次々と完成させている。

2011/12/17(土)(五十嵐太郎)

森淳一展「trinitite」

会期:2011/11/24~2011/12/24

ミヅマアートギャラリー[東京都]

彫刻とは本質的に「固まり」の表現であるが、内部が充填している(つまり無垢)とは限らない。石彫は無垢であることが多いが、ブロンズのような鋳造彫刻はたいてい空洞だ(木彫は無垢も空洞もある)。ところが森の彫刻は石彫にしろ木彫にしろ、まるでブロンズ彫刻のように空洞になっている。あたかも彫刻の摂理に挑戦するかのように、あるいは既成の彫刻から脱皮したかのように、外皮だけ残しているのだ。その反彫刻的身振りがおもしろいと思っていたが、今回はさらにそこに重い課題を乗せてきた。ギャラリー中央に鎮座するドクロの面のグロテスクな木彫は、その名も《トリニティ(三位一体)》。その名は不遜にも、1945年、ニューメキシコ州で行なわれた世界初の核実験のコードネームとして用いられ、そのトリニティ計画で使われたのと同じプルトニウム爆弾が、森の出身地である長崎に落とされたのだ。森が生まれる20年も前のことだが。その隣の部屋には既視感のあるマリア像《シャドウ》が飾られている。黒光りするセラミック製のマリアは両目がくり抜かれ、その黒く虚ろな目に見覚えがあると思ったら、長崎の浦上天主堂に残る「被爆マリア」と同じだった。展覧会名の「トリニタイト」とは、トリニティ計画の核実験によって砂が溶融してできたガラス質の物質のことを指すらしい。この《シャドウ》は「被爆マリア」の影であると同時に、高温によって表面が溶融したトリニタイトでもあるだろう。2011年の末尾を飾るにふさわしい作品に出会えた。

2011/12/20(火)(村田真)

韓国建築の新たな地平 NEW HORIZON in Korean Architecture

会期:2011/12/02~2011/12/21

BankARTスタジオNYK[神奈川県]

韓国の若手建築家16チームの作品を紹介。それぞれマケットと映像を中心としたプレゼンだが、時間がないのでサッと見ただけの印象を記すと、建築そのものより展示ディスプレイの美しさが際立つ。ギャラリー内に照明を仕込んだライトボックスのようなテーブルを2列に並べ、その上に8チームずつマケットを置き、その下から壁に向けて映像を投げるという方法。なるほど、これなら映像とマケットを参照しながら建築を吟味できるし、ほかのチームとの比較も容易だ。

2011/12/21(水)(村田真)

壺中天『壺中の天地』

会期:2011/12/16~2011/12/25

大駱駝艦・壺中天[東京都]

我妻恵美子が壺中天公演の「名シーン」を「アレンジ&リミックス」したという今作は、壺中天公演をミュージカル化、より正確にはレビュー化する試みに見えた。その試みは壺中天の魅力を増幅させることに成功していて、痛快だった。冒頭と終わりに登場するセーラー服姿の我妻によって、その間のもろもろの演目が「少女の夢の中の出来事」として枠づけられている以外は、さしたる物語も起承転結もない。その分、一貫した魔界性ゆえに各シーンはゆるやかにつながっているものの、それぞれ自由にダンサーたちの力量を発揮する場になっていた。そうした構成法を「レビュー化」と呼んでみたわけだけれど、全体でトータルなイメージを呈示しようとする、公演の「舞台芸術化」にはない可能性を感じた。なによりもそれぞれがリーダーとなる公演を行なっている田村一行、向雲太郎、村松卓矢のソロ・パフォーマンスが一度に上演されたのは画期的で、豪華だった。それに、以前から壺中天の公演は、男子ダンサーの公演と女子ダンサーの公演に二分されることが多く、それは今日のアイドルグループのあり方と相似的であり興味深いものの、両者の力をぶつけ合う機会が少ないのは残念でもあったのだが、今回は男子ダンサーが踊ると次は女子ダンサーの番という「紅白歌合戦状態」になっていて、ファンとしての積年の夢が叶った気がした。こういう形式をとることで自分たちの武器を再確認し、壺中天が壺中天を解釈し続けると本当にレビュー形式のもつポテンシャルを活かすことになるだろう。その方向の展開に期待したい。最後に、村松のパフォーマンスにはあらためて脱帽した。10年前のアイディアらしいのだが、村松は口に開口具を着けて、足の裏と手のひらにお椀を固定し、踊った。踊れば見事に踊れる男が、踊れないが不器用には動かせてしまう不具な体をくねらせる。滑稽さを涙流して笑っているうちに、観客の体に不具の体の身体性がいつの間にかしみこむ。NHKEテレの番組「バリバラ」に匹敵する、人間の身体への思考の転換がこの瞬間、観客に起こったとすれば、それは間違いなく村松のダンスの力ゆえだろう。

2011/12/22(木)(木村覚)

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