artscapeレビュー

2012年01月15日号のレビュー/プレビュー

プレビュー:上村亮太とENK DE KRAMER

会期:2012/01/30~2012/02/11

Oギャラリーeyes[大阪府]

版画やドローイングの技法で制作される作品の赤い色彩や複雑な線の重なりが不穏なイメージを掻き立てることもある、ENK DE KRAMER(エンク・デ・クラマー)と上村亮太の二人展。二人の作品の印象がまったく異なるだけにどんな展示空間になるのか、とても気になる。

2011/12/23(金)(酒井千穂)

篠山紀信『ATOKATA』

発行所:日経BP社

発行日:2011年11月21日

篠山紀信が東日本大震災の被災地を撮っていることは知っていたし、作品の一部も『アサヒカメラ』(2011年9月号)の「写真家と震災」特集などで目にしていた。その時点では、どちらかといえば否定的な見方だった。これまで途方もないキャリアを積み重ね、現在もAKB48のような芸能界の最前線を撮ることができる写真家が、なぜわざわざ震災を撮らなければならないのか、まったく理解できなかったからだ。ところが、実際に書店に並び始めた大きく分厚い写真集『ATOKATA』のページをパラパラめくっていくうちに、自分でも意外な思いが湧いてくるのを感じた。むろん、釈然としない気分が完全に消えてしまったわけではない。だが、そこに並んでいる津波に根こそぎにされた松林や、散乱する瓦礫、破壊された家々の写真は、たしかに「写真家」の仕事としてのクオリティと強靭さを備えていた。こういう言い方は誤解を産むかもしれないが、そこには「見る」ことの健康な歓びがあふれ出ているようにも感じた。死の影に覆われた被災地の写真にもかかわらず、あらゆる場面に圧倒的な生命力が横溢しているのだ。どうしても認めざるをえないのは、これは篠山紀信以外にはまず撮れない「震災後の写真」であるということだ。ほかにもさまざまな理由があるだろうが。最初に彼を捉えたのは「見たい」という強烈な欲望なのではないだろうか。篠山の意志というよりは、彼の巨大で貪欲な「目ん玉」が、彼を現場まで引きずっていったという方が正しいかもしれない。結果としてその欲望のおもむくままに、見るべきものを見尽くすまで「全身全霊で向き合った」写真群が残された。この写真集を、売れっ子写真家の売名行為だとか、被災者を食い物にしているとか批判するのは簡単だ。だが、篠山自身は、そんな批判が出てくることなど百も承知だろう。自分の「目ん玉」の要求にとことん応えていくことが、この写真家の職業倫理であり、今回もそれを貫いているだけだと思う。ただ、5,800円+税という値段の写真集を、いったい誰が買うのだろうかという疑問は残る。巻末の「被災された人々」のポートレートも、いい写真だが、このままだとアリバイづくりに見えかねない。こちらを中心にした廉価版の写真集も考えられるのではないだろうか。それと、篠山にはぜひこの後も東北を撮り続けてもらいたい。彼の写真のポジティブな力が必要になるのは、むしろこれからだからだ。

2011/12/23(金)(飯沢耕太郎)

KANSAI 6 EXHIBITION IN OSAKA |ONOMATOPOEIA| つながる建築・ひらかれる言葉

会期:2011/11/26~2012/02/14

中之島デザインミュージアム「de sign de >」[大阪府]

オノマトペをテーマとし、遠藤秀平は「ぐるぐる」、宮本佳明は「ぐいぐい」、李暎一は「まぜまぜ」、長坂大は「じわじわ」、竹山聖は「ジグザグ」、米田明は「ぐんぐん」と、6名の関西建築家それぞれのデザインの特性と態度を言葉で表現している。ただし、こうしたキーワードはひらがなやカタカナではなく、基本的にアルファベットによるローマ字表記だったので、かえってわかりにくなっていたかもしれない。2階の展示スペースは川が見え、気持ちがよい空間だ。1階ギャラリーでは、同メンバーによる建売住宅企画展も開催している。どれもとにかく模型がデカいことが印象的だった。

2011/12/23(金)(五十嵐太郎)

生誕100年 ジャクソン・ポロック展

会期:2011/11/11~2012/01/22

愛知県美術館[愛知県]

遂に!という言葉がふさわしい日本初のポロック回顧展。もっと早くに行きたかったが、ぐずぐずしているうちに私自身へのクリスマスプレゼントになってしまった。出品作品は約70点。全盛期の作品がやや少ないのが残念だが、彼が独自のスタイルを構築するまでの過程が丹念にたどられており、ドラマチックな個展であることは間違いない。私自身は、代表作のひとつである《インディアンレッド地の壁画》と、その前段階の時期の代表作《トーテム・レッスン2》に見とれてしまった。

2011/12/24(土)(小吹隆文)

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感じる服 考える服:東京ファッションの現在形

会期:2011/10/18~2011/12/25

東京オペラシティアートギャラリー[東京都]

最終日なので混んでいる。おまけにクリスマスのせいか若いカップルばかりが目立ち、おやじ率は極度に低い。ぼくだって別にファッションを見に来たわけではなく、展示ディスプレイが変わっていると評判だから確認しに来ただけなんです。いちいち弁解することでもないが。ギャラリーに入ると、たしかにヘン。会場は10組のデザイナーの作品ごとにブース分けされているのだが、それが壁で仕切られているのでなく、ほぼ目の高さに設定された梁のような帯状の板で区切られているのだ。そのため、空間的な開放感がありながら隣の作品が目に入らず、とりあえず目の前の作品に集中できるというメリットがある。なるほど、これはよく考えられているなあ、と感心しつつ、しかし作品を見るとき以外は視野の中央部が遮られるわけで、これは想像以上にストレスを感じる。だいたい移動するのにいちいち頭を下げて板をよけなければならないのがメンドクサイ。肝腎の作品は、いわゆる先端のファッションを紹介するといった類のものではなく、ストリート系や社会学的アプローチからファッションを問い直すといったように、思った以上に「ファッション」から遠ざかっていてぼくのような門外漢でも楽しむことができた。だから後にこの展覧会のことを思い出すとき、作品よりまず目の前を遮っていた白い板が真っ先に思い浮かんでしまうのは少し残念ではある。この展示ディスプレイはしたがって、凡庸な展覧会の退屈さを少しでも和らげるために使うべきではないか。

2011/12/25(日)(村田真)

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