artscapeレビュー
2012年01月15日号のレビュー/プレビュー
寺田コレクションの若手作家たち
会期:2011/10/18~2011/12/25
東京オペラシティアートギャラリー[東京都]
企画展示場の上階で開かれているコレクション展。寺田とは代々この辺の土地を所有する大地主さんで、オペラシティの出資者であり、そこで得たお金で購入した作品をアートギャラリーに寄贈しているコレクターでもある寺田小太郎氏のこと。寺田氏が集めていたのは当初、難波田龍起はじめ日本的モダンアートや具象絵画が多かったような気がするが、これを見るとごく最近の若手作家までカバーしていることがわかり、なんとも心強い。展示は山本麻友香から伊庭靖子、小西真奈、蓜島伸彦、そして84年生まれの時松はるなまで、50歳以下の画家たちばかり。これは驚いた。寺田氏は何歳なのか存じあげないが、ぼくも知らない若手まで目配りしているとは。しかし余計なお世話だが、これは本当に彼のテイストによる収集だろうか。おそらくアドヴァイザーはいるだろうが、なかば公人とはいえ当たり障りのない人気作家ばかり集めていたら公立美術館のコレクションと代りばえしなくなってしまう。個人コレクションは独断と偏見で固めたほうがはるかに価値も高まるはずだし、そこに個人コレクションの意義もあるのではないか。本当に余計なお世話だが。
2011/12/25(日)(村田真)
キルコス国際建築設計コンペティション2011(テーマ:変わること/変わらないこと)
北川啓介が企画した新しいタイプのアイデア・コンペである。20組の審査委員がいるのだが、最優秀賞をひとつに絞っていくのではなく、それぞれが金賞、銀賞、銅賞、佳作を決めるために、大量の受賞者を生みだす。とくにユニークだったのが、結果発表がユニークである。12月25日の正午から、建築系ラジオを用いて、約20分程度の講評を連続的に配信していく。立ち上げからかかわっている筆者にとっても、建築系ラジオの斬新な使い方だった。まだ気づいていない可能性を発掘している。建築系ラジオに対し、何が「目的」なのかと聞いて批判する人がいるが、新しいメディアは使ってみないとわからないことが多いことを改めて痛感させられる。
2011/12/25(日)(五十嵐太郎)
感じる服考える服:東京ファッションの現在形
会期:2011/10/18~2011/12/25
東京オペラシティ アートギャラリー[東京都]
目的はファッションというよりも、中村竜治による会場構成である。ちょうど目の高さだけに梁が縦横にとび、空間を仕切る思い切ったデザインだ。多くの出品者のエリアを分けつつ、連続性も確保し、さらにほかの来場者の顔の部分だけを隠すために、その人たちのファッションだけが強調される。室内において不思議な高さに水平面を設定する方法は、2010年に開催された代官山のLLOVEプロジェクトにおける中村竜治のデザインも想起させるだろう。おそらく頭をぶつけるから、監視員はみなヘルメットを脇に置いているし、梁も下部が養生されている。また腰が痛い人にとっては、にじり口ではないが、いちいち身をかがめさせられる地獄のような展示で、問題がないわけではない。しかし、この方法は支持したい。
2011/12/25(日)(五十嵐太郎)
You Make The Rule 再描写を試みる家 展 PeclersParis × 谷尻誠
会期:2011/12/15~2012/01/31
リビングデザインセンターOZONE 3F OZONEプラザ[東京都]
2階建て以上のヴォリュームの巨大発泡スチロールをくり抜き、部屋をつくる。根源的な空間への欲求を表現すると同時に、どこかの地中海の集落を連想させるような風景が吹抜けに生まれ、楽しい展示なのだが、しつこいまでの「撮影禁止」の表示が残念。この楽しい空間をみなが撮影し、それぞれネットにアップすれば、もっと人が来るだろうに。
2011/12/25(日)(五十嵐太郎)
快快『ゆく年くる年 "SHIBA⇔トン" 歳末大感謝祭』
会期:2011/12/27~2011/12/28
M EVENT SPACE & BAR[東京都]
今年は、大阪での『SHIBAHAMA』以外は海外での公演に明け暮れていた快快。久しぶりの東京でのイベントは『SHIBAHAMA』の基本フォーマットを利用しつつ、立川志ら乃、遠藤一郎、core of bells、捩子ぴじん、安野太郎らのゲスト・パフォーマンスを織り交ぜる、いかにも彼ららしい忘年会。いや、彼ららしさは別の意味でも発揮されていた。それは端的に言えば彼らのミュージカル(レビュー)的傾向だ。三時間を超えるパーティはさながらバラエティ・ショー。それだけでも多様な要素をごちゃまぜに上演するレビューに似ているのだが、より重要なのは、最後の演目として『SHIBAHAMA』リミックス版で見せた、大阪と海外での公演の報告会という体裁をとりながら、いまの日本と世界の状況を彼らなりに振り返り、批評していく演出だ。「地震が来た!」「津波が来るぞ!」と叫び、テレビに映った会見の様子を演じるなど東日本大震災を振り返るイメージをあれこれとり上げたり、今年亡くなった著名人を舞台に召還したりと、震災以降のしょげかえった日本人の心には「どぎつい」と思わせるほどストレートに、今年の出来事をリプレイしてみせた。ミュージカルの一形式であるレビューには、もともと演し物で今年の出来事を振り返るという意味があった。そう思えば、立川流の志ら乃をはじめ、遠藤やcore of bellsのパフォーマンスもレビューの一演し物とみなしうる。彼らが意識しているか否かはともかく、イベント全体が自分たちのいまを歌って踊って笑いながら振り返るレビューに見えた(こうしたバラエティはぼくが小学生の頃のテレビではよく見たものだ。なぜいまないのだろう)。さらに冒頭で、メンバー一人ひとりが落語「芝浜」の物語世界を自分なりに研究する「ワークショップ」の報告会をし(ある者はドラッグ体験を、ある者は風俗体験を、ある者は海外の浮浪者とのやりとりを報告した)、その逸話が後半の上演に散りばめられるという発想も興味深かった。彼らはしばしば、芝居のなかで役から離れた役者本人のパーソナリティに光を当てる。さりげなく置かれた「ワークショップ」の報告会は、役者本人のパーソナリティを強化し、そうすることで役者を演劇のキャラクターにする(やや強く解釈すれば、役者を役にする)機能を担っていた。いまここにいるすべての人を巻き込みながら(言及しなかったが、観客も例外ではない)上演が進んでいく彼らの方法は、演劇らしくない。演劇じゃないのであれば、そう、これは最新型のミュージカルだ。ああ、でもこの「快快流ミュージカル」には、まだまだ未知の潜在的な力がもっとあるはず。それが炸裂する日はきっと、近々やって来る気がする。
2011/12/27(火)(木村覚)