2021年09月15日号
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artscapeレビュー

2013年12月15日号のレビュー/プレビュー

JITTER「#01 CCAA」

会期:2013/11/02~2013/11/11

CCAA アートプラザ ランプ坂ギャラリー(ギャラリーランプ1)[東京都]

JITTERは佐藤志保、畠山雄豪、人見将、山元顕史の4人によって結成された写真家グループ。2011年の東川町国際写真フェスティバルの行事の一環として開催されたリコーポートフォリオオーディション(2012年から赤レンガ公開ポートフォリオオーディションと改称)で最優秀賞を受賞したのが北海道札幌市在住の山本で、僅差で優秀象に選ばれたのが佐藤、畠山、人見だった。彼らはその縁で、グループ展を定期的に開催するようになり、2012年には『JITTER』という名前でZineを刊行した。それが今回東京・四谷のCCAAで開催された展示に結びついていったのである。
回を重ねるごとに、彼らの仕事の質は高まりつつある。今回は山本が札幌の「雪捨て場」を真夏に撮影した作品(4点)を、佐藤が「思い出の場所に花を咲かせる」というコンセプトで「オアシス」と題する新作(2点)を、人見がレース布を題材としたフォトグラム作品(5点)を出品した。最も力が入っていたのが畠山の「浸透─プロローグ」で、交差点に立ち「目線の高さより各方向の街の表層が入るように撮影」した写真を、1枚ずつめくれるポートフォリオの形で展示していた。2004年から続けている作業で、すでに5万3千カット以上に達しているという。
僕自身が審査員のひとりだったこともあり、こういう地道な活動がきちんと根づきつつあるのはとても嬉しい。畠山が作品のコメントに書いているように、「足下にある大地には絶え間なく変化する小宇宙が広がっている」のではないだろうか。その宇宙の胎動を、彼ら一人ひとりがしっかりと感じとっていることが伝わってきた。

2013/11/05(火)(飯沢耕太郎)

アナト・パルナス「夜気:Stillness of Night」

会期:2013/11/05~2013/11/18

新宿ニコンサロン[東京都]

アナト・パルナス(Anat Parnass)は、1974年、イスラエル・テルアビブ出身の写真家。1995年、20歳の時に初めて東京を訪れ、驚きと懐かしさとを同時に感じたことが忘れられず、大学で日本学を学び、2006年に再来日する。文部科学省の国費留学生制度で日本大学芸術学部写真学科に入学し、2013年に同大学大学院博士課程を修了した。博士論文のテーマは「日本における現代女性写真の研究」である。
今回展示されたのは、彼女が2006年以来撮り続けている、東京とその周辺の夜の景色を撮影した写真群(34点)である。闇の中で息づいている植物たち、灯りに照らし出されて浮かび上がる建築物、どこからともなく湧き出してくる輪郭が定かではない人物たち、夜空に大きく広がる花火──被写体はとりたてて特異なものではないが、それらのすべてが「夜気」に包み込まれることで、どこかアニミスティックな化け物じみた存在に変容し始めているように感じる。このようなミステリアスな影絵芝居を思わせる眺めは、むろん東京に短期滞在している旅行者には撮影不可能だが、逆に日本に生まれ育った者にとってもエキゾチックな光景として見えてくるのが面白い。東京在住の「外人」という、宙吊り状態の彼女の立場をうまく活用して撮り続けていくと、このシリーズのさらなる展開が期待できそうな気がする。
なお展覧会にあわせて、作品20点をおさめた同名の小冊子も刊行された。

2013/11/05(火)(飯沢耕太郎)

ジョセフ・クーデルカ展 Retrospective

会期:2013/11/06~2014/01/13

東京国立近代美術館[東京都]

1938年、チェコスロヴァキア出身のジョセフ・クーデルカの日本では最初の本格的な回顧展である。初期作品から「ジプシーズ」(1962~70)、「エグザイルズ」(1970~94)、「カオス」(1986~2012)などの代表作、さらに新作の「Lime(石灰岩)」(2012)まで、300点以上の作品が並ぶ展示は圧巻だった。現代の写真家のなかで、実力、ヴィジョンともに抜きん出た存在であることを見せつける展示だったと思う。
特に興味深かったのは、初期の実験的な作品(1958~64)と、プラハの劇場のために撮影した舞台写真(1962~70)のパートだった。クーデルカは本格的に写真を撮影するようになってからすぐに、ハイコントラスト画像、グラフィック的な効果を活かした単純化や抽象化、いわゆる「アレ・ブレ・ボケ」などの、反写真的な手法を積極的に使った作品を制作していた。これらは後年のドキュメンタリー的な写真とはかなり肌合いが違っている。クーデルカがスタイルを変えたというよりも、「エグザイルズ」や「カオス」の緊密でダイナミックな画面構成の能力が、これらの実験の積み重ねから形をとっていったことがよくわかった。
もうひとつ、これはちょうど上階のコレクション展に森山大道や土田ヒロミの1960~70年代の写真が並んでいたことで気づいたのだが、クーデルカと日本の写真家たちの作品世界には共通性があるように思える。自らの身体性を介した被写体へのアプローチ、常に揺れ動く視点の取り方、祭りや民間儀礼など劇場的な空間に対する強い関心など、かなり似通っているのではないだろうか。クーデルカがジプシーたちを撮影していたのと同じ頃に内藤正敏、須田一政、土田ヒロミ、北井一夫、山田脩二らも、日本各地を移動しながら土俗的な「ムラ」の習俗にカメラを向けていた。まだ明確にその差異と共通性を論じるまでには至っていないが、今後の課題になりそうだ。

2013/11/06(水)(飯沢耕太郎)

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森村泰昌「ベラスケス頌:侍女たちは夜に甦る」

会期:2013/09/28~2013/12/25

資生堂ギャラリー[東京都]

森村泰昌の表現力は、今やピークに達しつつあるのではないだろうか。いかなるテーマでも作品世界のなかに取り込み、自ら登場人物になりきって、演じつつ再構築していく、その魔術的とさえ言える能力はさらに凄みを増しつつある。
今回のテーマは、言うまでもなくスペイン絵画の巨匠、ベラスケスの最大傑作「ラス・メニーナス」(1656)である。プラド美術館所蔵のこの名画を、森村は全8幕の「一人芝居」(活人画)として演じきった。森村はすでに1990年にベラスケスが描くマルガリータ王女に扮した作品を発表しているから、原美術館で展示された「レンブラントの部屋、再び」と同様に、旧作の再演と言えなくもない。だが、今回の展示は23年前とは比較にならないほど手が込んでおり、絵の中に描かれた11人の人物の一人ひとりを、意匠を凝らして演じ分け、森村本人らしき人物も登場させるというマニエリスティックな仕掛けは、ただごとではない高度なレベルに達している。以前のように絵画の中の世界に閉じこもるのではなく、現実とイリュージョン、見る主体と見られる客体、過去と未来とを軽々と行き来する千両役者のパフォーマンスが、目覚ましいパワーで観客を巻き込んでいくのだ。
そこで展開される「画家とモデルと鑑賞者の視線の蔓の縺れ」は捩じれに捩じれていくのだが、その最後に待ち受けているのは「そしてだれもいなくなった」と題するプラド美術館の展示室の虚ろな空間だ。見事な大団円。次の「一人芝居」の幕が開くのが待ち遠しくなってきた。

2013/11/07(木)(飯沢耕太郎)

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不可解のリテラシー

会期:2013/11/08~2013/11/15

東京都美術館ギャラリーA[東京都]

地下の巨大なギャラリーを数本の赤い糸が斜めに横断し、床に置かれたモニターには赤い糸が画面中央を水平に横切るように映し出されている。壁には赤い線を引いた透明なビニールシートが貼られていて、全体でひとつの作品と見なせるインスタレーションだ。フライヤーを見ると出品作家は4人で、ほかにアートディレクター、コーディネーターの名が入っているが、この6人のコラボレーションということだろう。フライヤーには「“不可解”は決して悪ではない」「“不可解”は楽しく美しいものだし、それに、本当は幸福なことだ」などと書いてあるが、それと作品との関係が不可解だ。

2013/11/08(金)(村田真)

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