artscapeレビュー

2010年04月15日号のレビュー/プレビュー

伊藤義彦「時のなか」

会期:2010/02/18~2010/03/31

フォト・ギャラリー・インターナショナル[東京都]

伊藤義彦は1980年代から、緻密な観察に基づいた、思索的な作品を作り続けてきた写真家。フィルム一本分を撮影したコンタクトプリントの全体が、あるパターンとして見えてくるシリーズで知られていたが、2000年代から新たな試みを開始した。印画紙を手で引き裂き、その切断面を薄く削ぐようにして別な場面と繋いでいく。フォト・コラージュの手法のヴァリエーションではあるが、そのイメージがずれながら継ぎ合わされていく細やかな手触り感には独特の魅力がある。
今回の展覧会の中心となるのは「ハシビロコウと影」(2008年)のシリーズ。嘴の広いコウノトリの一種が、壁に影を落としてじっと立ちつくしている写真を繋ぎ合わせている。鳥がそこにいる、というだけの写真の集積には違いないのだが、そこにはどこか不吉だが懐かしくもある実在感が備わっている。それはまた、このような光景を以前どこかで(夢の中で?)見たことがあるという既視感を呼び起こすものでもある。このような実在と夢想との間に宙吊りになるような感覚こそ、伊藤がこのフォト・コラージュの手法を使って定着しようと試みているものだろう。展覧会にあわせて刊行されたリーフレット(「P.G.I Letter 226」)にこんなことを書いている。
「時間と空間の切り目の無い世界のなかで、様々なものを観察しながら過ごしている。変わってゆくものと変わらないもの。変わりつつあるけれど気がつかないこと。このようなことを思っていると、空想が頭の中で増殖する。[中略]このような空想や幻想、妄想を抱え、想像しながら創作の入口を探すことにしている」。
創作者の探求の筋道とは、まさにこのようなことなのだろう。この文章を読んでから作品を見直すと、それが伊藤の観察と空想との見事な結合体であることにあらためて気づかされた。

2010/03/26(金)(飯沢耕太郎)

「私たちのアトリエ…女子だけ?!」展

会期:2010/03/23~2010/03/27

南洋堂書店4階 N+ギャラリー[東京都]

5大学7人の3年生建築女子学生によるグループ「建築女子」による展覧会。建築女子は、結成から展覧会まで2カ月足らずであったが、特にツイッターを中心に、さまざまな経緯が効果的に波及し、話題を呼んだ展覧会となった。そもそもツイッターで知り合ったメンバーもいたという。展示内容は、大学での課題をベースにしたもので、それぞれの個性がただよう。個人的に印象的だったのは水彩画を効果的に利用した冨永美保による飯田橋駅の立体的なアプローチ計画と、もっともメルヘンチックで、いわゆる女の子らしさを表現していた加藤悠による、部分的にドレープ化した曲面壁が構成する円形住宅であった(字数があればもちろんほかの作品についても触れた)。とはいえ、必要以上に内容を過大評価するわけではない。話題先行のところもあった。筆者は事前に彼女たちに、建築系ラジオとしてインタビューをしていた段階で、既存の「女子」のイメージに対して、異なる何かを提示するような「意図」があるのかと思っていた。しかし蓋を開けてみると、積極的にグループとして提示された展覧会意図は、なかったように感じられた。にもかかわらず、この展覧会には意図的にはできない何かがあったように思われたところが、この展覧会の成功の一因ではないかと思う。まず、本人たちが会場にずっといて、一人ひとりに根気よくプレゼンテーションしていた。このアピール力は相当のものだ。そして、好きな本や音楽など、作品以外のものを同列に展示していたこと。建築を学ぶ学生の環境そのものが展示されていた。そして、ネーミング。「建築女子」は、ほとんど一般名詞に近い。展示と同じで一見「意図」が欠けているように思われる名称である。そうであるがゆえに、見る側はそれぞれの「建築女子」のイメージをつくりやすいし、ほかの建築女子学生にとっては、メンバーの作品がたまたま自分たちをリプレぜントする存在であったかのように思いやすかったのかもしれない(実際、私こそが「建築女子」という人からの反応を何人も受けた)。話題にはなった。うまく批評のされやすい立場を獲得した。だからこそ、次回は、さらなる意図を込めた彼女たちの企画も見てみたい。

URL=http://event.telescoweb.com/node/11161
建築系ラジオ=http://tenplusone.inax.co.jp/radio/2010/03/joshi1.php

2010/03/27(土)(松田達)

『「おいしく、食べる」の科学展』

発行所:日本科学未来館

同名タイトルの展覧会のカタログ。もっとも、いわゆる本の形式ではない。旅行先の絵葉書のようなフォトカードのセットになっている。したがって、展示コンテンツの再現というよりは(一部のパネルの情報は、カードの裏面に記されているが)、基本的に若手の建築ユニットassistantが手がけた会場構成の雰囲気を、新津保建秀が撮影した写真によって伝えるものだ。展覧会では、丸太と麻紐を用いて、建築的なフレームをつくりながら、知の空間化を試みている。フォトカードを眺めると、さまざまな展示の場面が思い出されるだろう。つまり、これは空間体験としての展覧会なのである。

2010/03/31(水)(五十嵐太郎)

中山英之『中山英之 スケッチング』

発行所:新宿書房

発行日:2010年3月

神戸芸術工科大学デザイン教育研究センターの特別講義をもとに制作された本である。個人的に、なんとも形容しがたいかたちをもつ京都の《0邸》を見学した直後、これを手にしたこともあって、中山英之が空間のイメージを練りあげる際、スケッチが大きな役割を果たしていることを痛感させられた。ハードなラインによる建築的なドローイングではない。むろん、古典的な透視図法でもないし、コンピューターのCGでもなく、手描きのスケッチ群。繊細でデリケートな手の技を見せる「エモーショナル・ドローイング」展(国立近代美術館)などにも通じる、きわめて主観的なイメージである。そこから建築が立ちあがっていることは、スケッチ群が模型や実際の写真と等価に並べられていることからもうかがえるだろう。

2010/03/31(水)(五十嵐太郎)

『建築雑誌3月号』

発行所:日本建築学会

発行日:2010年3月

特集の「ナイーブアーキテクチャー」が目を引く。現在、もっとも注目されている現象、すなわち繊細な空間のデザインにスポットを当てているからだ。本来、こうした企画は『10+1』や『建築文化』など、民間の雑誌が組んでいたが、いまや両者ともに存在せず、一方で老舗の『新建築』は特集主義をとらないので、結果的に『建築雑誌』がその役割を引き受けているのも興味深い。「ナイーブアーキテクチャー」は、真壁智治が提唱し、議論を巻き起こした「カワイイ」のコンセプトを発展させたかたちになっている。使い手の共感を得るためのナイーブさも、カワイイのときに提出されていた考え方だ。また、これをはっきりと日本発と打ち出しているのも、この企画の特徴だろう。日本の現代建築の動向は、ある種のマニエリスム、あるいはガラパゴス島化ともとられかねない側面をもつのだが、それを新しい建築のパラダイムとして肯定的にとらえようとしている。また私性、女性性、身体性といったキーワードも散見され、SANAA、青木淳、アトリエ・ワン、石上純也、中山英之らの(すでに)人気建築家をバックアップする特集だ。個人的に気になっているのは、カワイイの議論のとき、真壁は良い「カワイイ」(SANAA的なもの)と悪い「カワイイ」(キッチュなもの)を峻別し、前者のみを擁護していたが、こちらの方を今回、ナイーブアーキテクチャーとしてラベルを貼りかえたものと理解すれば、よいのか、ということである。

2010/03/31(水)(五十嵐太郎)

2010年04月15日号の
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