artscapeレビュー
2010年04月15日号のレビュー/プレビュー
青木拳 展「流転」
会期:2010/03/02~2010/03/14
ギャラリーはねうさぎroom2[京都府]
会場に数千個という数の直径3~4センチほどの小さな丸い陶の塊が壁面にインスタレーションされていた。まるで天の川の帯のような、その光景を見た瞬間ゾクッとして鳥肌が立った。圧倒的とまではいかないのだが、押し付けがましさのない美しさと説得力が感じられた。土の色や灰色の混じったその一つひとつは石ころのように地味なのだが、当然、質感や表情はそれぞれに異なり、貝殻やガラス質が混じったものはキラキラと輝いている。星が移り変わるというけれど、小さな陶の一つひとつから空間全体へと視界を広げていくと、増殖、破壊、再生と言葉の連想も連なっていくよう。青木は信楽にアトリエを持ち制作しているという。きっと見える星の数や明るさも京都とはまるで違うだろうなあ。「陶器の始まりと終わりを考えていたら人間と宇宙のそれと同じことでした」という作品コメントも気に入ってついメモしてしまった。
2010/03/14(日)(酒井千穂)
岡本光博 展「PoA」
会期:2010/03/02~2010/03/14
ギャラリーはねうさぎroom4[京都府]
ギャラリーはねうさぎの新たなスペース、room4がオープンした。オープニングは岡本光博展。展覧会タイトルの「PoA」は Portrait of America /Americanization の略。展示はおもにTV情報誌の表紙をタブロー化した《PoA》の連作と、「ザッピング」というTV映像に接するわれわれの態度を映像化した《Zapping》。どちらもアメリカをはじめ、メキシコ、韓国、日本など作家が滞在した各国のテレビ放送やテレビ番組の情報をもとに制作されていている。どちらもマスメディアと均質化、画一化したわれわれの生活文化にアプローチする性質を持つ作品。《PoA》は1994年以降、《Zapping》は2002年以降続けられているシリーズで制作年数も長きにわたっているのだが意外にも日本では今展まで未発表だったそう。
2010/03/14(日)(酒井千穂)
高岡美岐 展
会期:2010/03/09~2010/03/14
アートスペース虹[京都府]
高岡の制作は、自分が歩く道のりで目にする風景を、携帯電話のカメラで数分か数十秒という短い間隔で撮影するところから始まる。その記録画像を水彩画に一枚ずつ起こし、描き溜め、さらにそれらから選びとった場面を油彩画に構成し直すのだという。初めて聞いたときは驚いたのだが、記録を事実の「イメージ」へと移し替えていくその行程が興味深い。今回の新作に描かれていたのは夜の北新地。手ぶれした画像をもとにした風景の、流星が縦に走るような街の光の描写が奇麗で、そのせわしない雰囲気や夜の街の喧噪のなかを歩く臨場感にもあふれている作品だった。画面の筆致の勢いやスピード感がうかがえるのも見ていて楽しい。次はどんな光景が描かれるのか気になる。
2010/03/14(日)(酒井千穂)
西山裕希子 展
会期:2010/03/02~2010/03/14
neutron[京都府]
ろうけつ染め、インクジェットプリントなどの技法を駆使した作品はどの要素をとってもとても繊細な印象。細い線で描かれている女性の姿はまるで背景に消え入ってしまいそうなはかなさをたたえている。透明感にも溢れたそれらは頼りなく、不安定なイメージだけに、かえってその作品世界に引き摺りこまれていくような気分。浮遊感漂うあやしさと、美しいけれど深淵な暗さも感じられる魅力的な作品だ。
2010/03/14(日)(酒井千穂)
前田紀貞 建築サロン TENZO
会期:2010/03/14
TENZO[東京都]
建築設計事務所の半分を改装して、バーにしてしまう。こんな意表をついたことを、建築家の前田紀貞は行なった。実際、バーテンの経験のある所員がそこで働く。天井高約4m。多くの建築模型と写真、書物、そして前田の誇るオートバイ(カワサキZ2)などが、空間を彩っている。「典座」(TENZO)とは、禅宗における炊事係を指し、単なる裏方ではなく、非常に重要な役職なのだという。前田は「炊事こそ人間の一切の“素”を計らうこと」であるといい、建築も炊事もその意味で同じだという。つまり、このバーは炊事と建築を同時に提供する空間なのである。前田は最近ブログで書いた草食系建築家批判が話題になったが、これほど男気のある建築家を僕はほかに知らない。建築系ラジオの討議をこの場所でしたいという依頼を快諾していただき、3月にこの場所で前田氏を含めて2010年代の建築を語る討議を行った。草食化され、幼児化されているという現在の建築界に対し、男を磨かなければ、そして女を磨かなければ、よい建築はつくれないという前田の発言は、いま失われつつある何かを的確に指摘していたかもしれない。
2010/03/14(日)(松田達)