2021年12月01日号
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artscapeレビュー

2010年09月15日号のレビュー/プレビュー

Summer Open 2010 BankART AIR Program

会期:2010/07/30~2010/08/05

BankART Studio NYK[神奈川県]

前回の「Spring Open」がなかなか面白かったので、横浜のBankART Studio NYKのアーティスト・イン・レジデンスの作家たちのオープン・スタジオにまた出かけてきた。6~7月にBankARTに滞在、あるいは通って作品を制作していたアーティスト、45組の成果発表の催しである。学園祭的な乗りの作品もないわけではないが、相当にレベルの高い展示もあって、逆にその落差が普通の展覧会にはない活気を生み出している。
写真を使った作品ということでいえば、東京藝術大学美術学部先端芸術表現科の鈴木理策研究室による「私にも隠すものなど何もない」展に出品されていた、金川晋吾の「father」が気になった。「蒸発をくり返している」父親をモデルにする連作のひとつ。今回は家で何をすることもなく暮らしている父親にコンパクトカメラを渡し、セルフポートレートを撮影させている。生そのものに不可避的にまつわりつく澱のようのものが、じわじわと滲み出てきている彼の顔つきがかなり怖い。有坂亜由夢「風景家」も日常の恐怖をテーマとする映像作品。部屋の中の物が生きもののように少しずつ移動しつつ、その配置を変えていく様子をコマ撮りの画像で淡々と見せる。カフカが描き出す日常と悪夢との境界の世界の感触を思い出した。
別なのブースで展示されていた藤村豪、内野清香、市川秀之のコラボ作品「迷いの森」は夢を物語化して再演する試み。フランスパンを持った男女の儀式のような写真(「誰かの夢」を演じたもの)を見せて、その夢がどんなものだったかを想像して「誰かが見た夢の話」の物語を書いてもらうというプロジェクトだ。まだ、あらかじめ設定された枠組みを超えて、物語が野方図に拡大していくような面白さにまでは達していないが、写真、テキスト、パフォーマンスを組み合わせていく手法はかなり洗練されている。今後の展開の可能性を感じさせる作品だった。

2010/08/01(日)(飯沢耕太郎)

溝尻智哉 個展

会期:2010/07/27~2010/08/01

アートスペース虹[京都府]

大きな布にパステルで描かれた線描画。一見、抽象にも思えるが、モチーフはかつて作家が滞在していた中国の風景で、床に敷いた布の上に乗り、画面全体をできるだけ見ずに描いている。描くうちに最初の意図に「ズレ」がうまれたり、思いがけない無意識のイメージが引き出されていくことが面白く、縒れてしまう伸縮性のある布をあえて用いて不自由な状態で描いているのだという。色も少なくシンプルだが、パステルの鈍い色やザラザラとした質感、力強い筆致による煤け具合が、すがれた景色への想像を喚起して強く印象に残る作品だった。

2010/08/01(月)(酒井千穂)

杉浦貴美子『壁の本』

発行所:洋泉社

発行日:2009年9月3日

杉浦貴美子による、壁の写真ばかりを集めた本。「壁写真家」である杉浦は、ベルリンで見つけたある壁が抽象絵画のようだったことをきっかけに、まちで出会うさまざまな壁の写真を撮り始めた。それを集めたのが本書であり、まさに抽象絵画と言えるような、美しい壁写真が続く。「麻布十番」「千歳烏山」などの地名は書いてあるので、それだけでもその壁がどこにあるのか、想像力をかきたてられる。ごくごく普通の町並み、普通の建物の、しかもヒビや錆び、シミのたくさんある「傷んだ」壁から、これだけの美しい写真をたくさん切り取ることができることは、正直言って驚きである。写真だけではなく、壁コラムや壁素材についてのABC、そして壁鑑賞の方法の手順まで付いているのが、単なる写真集とは異なるところであり、この本のもうひとつの魅力と言えるところであろう。

2010/08/03(火)(松田達)

瀬戸正人「Good-bye, Silver Grain さらば、銀の粒」

会期:2010/08/02~2010/08/08

Place M[東京都]

写真家たちにとって、デジタル化により銀塩印画紙の多くが製造中止になりつつある状況は他人事ではない大きな問題だ。これまでの作品制作システムが、根本から変わってしまうのだから、現場の混乱がおさまらないのは当然だろう。Place Mを主宰する瀬戸正人も、まさにそのような事態に直面しており、「写真を撮りはじめた30年前に立ち返って自分を検証する」という意味をこめて、今回の展覧会を企画した。すべて全紙サイズの銀塩印画紙によるプリントをずらりと並べており、特に1996年の第21回木村伊兵衛写真賞受賞作「サイレント・モード」のシリーズをひさしぶりに見ることができたのは嬉しかった。電車の車内の女性をスナップしたこのシリーズは、たしかモデルのプライヴァシーの問題があって発表を控えていたはずだが、瀬戸も覚悟をきめて出してきたということなのだろう。
展示を見ながら思ったのだが、銀塩印画紙の魅力は必ずしも最終的なプリントの出来栄えということだけではないのではないか。デジタル・プリンターの進化によって、現在ではクオリティ的にはむしろデジタルのプリントの方がよくなっている場合もある。それよりは、印画紙を引伸し機で露光して現像液につけ、停止、定着の処理をするそのプロセスそのものが、他に得がたい経験を与えてくれるのではないかと思う。瀬戸は展示の解説文で、印画紙の銀の粒子に「リュウ子」という女性の名前で呼びかける。そして、その現像のプロセスを「精液に似たタルタルした液の中で、キミが悶えながら姿を見せた」と描写している。たしかに、印画紙にイメージが少しずつ、ぼんやりと浮かび上がってくる様は、どこか性的な行為を思わせるところがある。暗室の赤い灯りと、現像液や停止液の饐えた匂いが、そのエロティシズムをより増大させているようにも感じる。
銀塩印画紙がなくなるということは、そういう代替不能なエロス的な体験も消えてしまうということだ。その方がむしろ大事なことなのだ。

2010/08/04(水)(飯沢耕太郎)

瀧浦秀雄「東京物産」

会期:2010/07/31~2010/08/10

コニカミノルタプラザ ギャラリーC[東京都]

10年あまりの時間をかけて、東京23区内を隈なく歩きまわり、目についた「物」を6×6判の二眼レフカメラで丁寧に採集していく。東京で見つけた「物」だから「東京物産」というわけで、2007年に発表された人物スナップのシリーズ「東京体」と対になる作品である。なお、既に写真集『東京体』(ギャラリーバルコ)が刊行されており、今回の展示にあわせて刊行された写真集『東京物産』(同)とともに、ダンボールのケースに2冊組でおさめられるように造本されている。写真撮影、プリントのプロセスと同様に、本作りにおいても瀧浦の仕事は実に丁寧で用意周到だ。
さて、今回のシリーズに関していえば、赤瀬川原平らの「トマソン」=路上観察学の成果とどこが違っているのかということになる。基本的には両者にそれほどの違いはないのだが、瀧浦の作業の方が方法論的に厳密で、その採集の基準がクリアーであるといえるかもしれない。展示されている写真のクオリティが見事にそろっていて、まったく揺るぎがないのだ。おそらく膨大な量の写真が切り捨てられているのだろうが、そのことによってある時代区分における「東京物産」のスタンダードが、きちんと確立しているように見える。
やや個人的な感想ではあるが、瀧浦の写真を見ていると「きのこ狩り」によく似ているのではないかと思った。「きのこ狩り」も経験を積んで「きのこ目」ができてこないと、なかなか大物は見つからない。カメラを手にした禁欲的な歩行の積み重ねによって、普通の人なら何気なく見過ごしてしまう光景の中から「東京物産」がすっと浮かび上がって見えてくるのだろう。そういえば、ある特定の「物」が増殖して、そこら中に生え広がっているような写真がけっこうたくさんある。そのあたりも、どこかきのこに似ているようだ。

2010/08/05(木)(飯沢耕太郎)

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