2018年01月15日号
次回2月1日更新予定

artscapeレビュー

2016年01月15日号のレビュー/プレビュー

浜田浄の軌跡 ─重ねる、削る絵画─

会期:2015/11/21~2016/02/07

練馬区立美術館[東京都]

浜田浄は1937年生まれの美術家。70年代半ばに版画作品で評価を高めたが、80年代になるとモノクロームの絵画に転じ、その後、平面に載せた絵の具や紙を削り出す作品も手がけている。本展は初期から近作まで47点の作品を展示したもの。作品の点数と大きさからすると、決して十分な空間とは言えないが、浜田の類い稀な抽象画を一覧するには絶好の機会であると言えよう。
そのもっとも大きな特徴は、抽象画でありながら、非常に強い身体性を醸し出している点である。キャンバスや合板などの支持体の上に絵の具や紙を堆積させたうえで、彫刻刀やカッターナイフなどで削り出す。すると画面には無数の痕跡が残されることになる。それらは朱色の漆器や夕陽が沈む大海原のような具象的な風景に見えないこともないが、それ以上に伝わってくるのは、浜田自身の削除という行為の反復性である。
しかも、そのような連続的な身体運動は無闇矢鱈に繰り広げられているわけではない。画面に残された痕跡を注意深く観察してみれば、それらがじつに入念に、計算高く、緻密にコントロールされながら彫り出されていることに気づくはずだ。つまり痕跡は、たんに平面との格闘という運動の例証としてだけではなく、平面を彩る、ある種の模様や陰影としても考えられている。浜田の作品は、その制作手法からすると、じつに彫刻的に見えるかもしれないが、その中心にあるのは、きわめて明瞭な絵画意識なのだ。
「抽象画」というジャンルを内側から破るほど強靭な身体性。再現的なイメージを無邪気に再生産しがちな現代絵画の底を、浜田浄の作品は強烈にえぐり出しているのである。白い紙を黒い鉛筆でただ塗りつぶす作品が世界を丸ごと闇に陥れる暴力性を示しているように、浜田浄は平面のパンクスなのかもしれない。

2015/11/28(土)(福住廉)

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A-Lab Exhibition Vol.1 まちの中の時間

会期:2015/11/29~2016/01/11

あまらぶアートラボ A-Lab[兵庫県]

兵庫県尼崎市の、阪神尼崎駅から北東に徒歩約15分の場所にある旧公民館が、アートセンターとしてリニューアルオープンした。「あまらぶアートラボ A-Lab」と名付けられたこの施設では、今後ワークショップなどの体験型企画を中心に、美術展も織り交ぜて活動して行く。その開館を記念して開催された本展では、ヤマガミユキヒロ、小出麻代、田中健作の3作家が出品。ヤマガミは鉛筆画と映像を融合した「キャンバス・プロジェクション」なるオリジナルな表現を展開し、小出は、和室、ベランダ、倉庫という異なる3つの空間でインスタレーションを創出、田中は東日本大震災の津波被災地を取材した写真作品などを発表した。この3作家は今後1年間をかけて地域を取材し、2016年度以降に「まちの中の時間」をテーマにした新作個展を同地で行なう。こうした継続的な企画と、地元民を対象としたワークショップ等の活動を地道に続けていくことが、この施設の独自性を高めるであろう。小さくとも実りのあるアートスペースとなることを期待している。

2015/11/29(日)(小吹隆文)

ヴィジット

映画『ヴィジット』を見る。物語が始まってすぐ、唐突になんだか腑に落ちない違和感のある世界に放り込まれ、それに翻弄された挙句、どんでん返しで決着するのは、相変わらずのシャマラン節だ。しかし、今回はあからさまに特殊な設定ではなく、孫が初めて祖父母の家に訪問するという一見普通に思えるような設定が抜群によく、しかも有名ではない俳優たちの演技が冴えていた。鑑賞していくと、映画自体が、お涙頂戴の家族もの→パラノーマル・アクティビティ風→サスペンスとジャンルが変化していくように思われる。

2015/12/01(火)(五十嵐太郎)

散歩の条件

会期:2015/12/01~2015/12/06

ギャラリーすずき[京都府]

1983年代以来、関西の現代美術シーンを牽引してきたギャラリーすずきが、昨年12月をもって32年間の活動に幕を下ろした。本展はその最後を飾る展覧会だ。出品作家は、井上明彦、今村源、日下部一司、三嶽伊紗の4名。画廊内には今村のディレクションにより大きな構造物が構築され、その周辺に各自の作品と、本展のために実施した散歩の記録などが配置された。散歩とは時間の痕跡を巡る旅であり、そこには4作家の制作姿勢と共通するものがあるということだろうか。本展はもともと画廊の幕引きのために企画されたものではなかったので、特別なセレモニーは行なわず、いつも通りに淡々と会期を終えた。その潔い姿勢に画廊と作家たちの美学を感じた人も多いだろう。今はただ「32年間お世話になりました」と言うしかない。幸い京都では後進の画廊が育っている。次の時代は彼らが作ってくれるはずだ。最後に一つだけリクエストを言わせてもらうと、画廊の歴史をまとめて出版あるいはウェブ上で公開してくれないだろうか。ギャラリーすずきの存在を後世に残すために、アーカイブは必須である。

2015/12/01(火)(小吹隆文)

MOMATコレクション「特集:藤田嗣治、全所蔵作品展示。」

会期:2015/09/19~2015/12/13

東京国立近代美術館[東京都]

東近が所蔵する藤田作品25点に、京近の1点を加えた展示。このなかにはアメリカから永久貸与された戦争記録画14点も含まれており、その一挙公開は初めてのこと(ちなみに別の展示室の鶴田吾郎の《神兵パレンバンに降下す》を含めて、戦争記録画15点の展示は過去最多)。展示はパリで第1次大戦末期に描かれた暗い風景画から始まり、人気を博した乳白色の裸婦や南米の人々のスケッチを経て、幅5メートルを超す巨大な《南昌飛行場の焼打》から戦争画に突入。《哈爾哈河畔之戦闘》《ソロモン海域に於ける米兵の末路》《アッツ島玉砕》《サイパン島同胞臣節を全うす》あたりは比較的よく紹介されているが、末期の暗い《大柿部隊の奮戦》《ブキテマの夜戦》《薫空挺隊敵陣に強行着陸奮戦す》などは初めて見る。小磯良平や宮本三郎の戦争画は「うまいなあ」とは思うけどどこかウソっぽさが感じられるのに対して、藤田の戦争画は逆に壮大なウソっぽさに真実が秘められているようなところがある。戦争画は全26点中14点だから5割強だが、見終わってみれば9割方が戦争画に占められていたような錯覚に陥るほど圧倒的な存在感を放っている。それはサイズが大きいこともあるが、なにより白の多い20年代とは違って画面が濃密であり、また描かれた目的が明確であるからだろう。にもかかわらず小磯や宮本とは違って、自虐的とも反戦的とも受け取られかねない多義的な読みを許す曖昧さがある。この一筋縄ではいかないぬえのような多面性こそ藤田たるゆえんだろう。

2015/12/01(火)(村田真)

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