2018年10月15日号
次回11月1日更新予定

artscapeレビュー

2016年01月15日号のレビュー/プレビュー

ローラン・グラッソ展「Soleil Noir」

会期:2015/11/11~2016/01/31

メゾンエルメス8階フォーラム[東京都]

屏風形式の壁を幾度も反復しつつ、「黒い太陽」をテーマに擬古典的な手法で制作された作品を並べ、超越的な現象と接触したイタリア(ローマ万博の会場予定地だったEURなど)や日本の偽史を演出する。またドローンによる非人間的な視線の動きで撮影されたポンペイの映像がおそろしく美しい。なお、1階の入口のショー・ウィンドウでは、大西麻貴+百田有希の作品が設置されていた。

写真:大西麻貴+百田有希

2015/12/02(水)(五十嵐太郎)

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アントワン・ダガタ「Aithō」

会期:2015/11/28~2016/12/27

MEM[東京都]

写真家は多くの場合、外界へと伸び広がっていく志向と内面に深く沈みこむ志向とに引き裂かれている。だが、フランス・マルセイユ出身のアントワン・ダガタの場合、その振幅が極端に大きいのではないかと思う。ダガタはこれまで、娼婦やドラッグ中毒者を被写体として、快楽と痛みに引き裂かれる人間の存在を凝視する作品を発表し続けてきた。だが、今回東京・恵比寿のMEMで発表された新作「Aithō」では、一転して瞑想的な趣のあるセルフポートレートを試みている。
タイトルの「Aithō」は、イタリア・シチリア島の活火山、エトナ山のギリシャ名である。そこはダガタの一族の故郷であり、彼自身の出自にも深いかかわりを持つ土地だ。そこの古城で撮影したのが今回の49点のシリーズで、剥落し、染みや汚れのついた鏡の表面にぼんやりと彼の横顔が浮かび上がっている。やや下を向いて、目を閉じたその顔は、亡霊のように見えなくもないが、同時に奇妙に生々しい触感も備えている。「AIthō」という言葉は、元々「私は燃えている」という意味だという。冷ややかな鏡の中の像は、手が触れれば火傷するような熱を発しているのだろうか。
それにしても、ダガタが2004年以来マグナム・フォトスの正会員として活動しているというのは驚くべきことだ。マグナムは本来、報道写真やドキュメンタリーの写真家たちの団体だったはずなのだが、いつのまにかダガタのような、強烈に主観的な表現の写真家をも取り込みはじめている。時代が変わりつつあるということだろう。

2015/12/02(水)(飯沢耕太郎)

改組 新 第2回日展

会期:2015/10/30~2015/12/06

国立新美術館[東京都]

日本画と洋画を見る。少しは変わったかなと期待したけど、ほとんど変わりばえしないなあ。どっちかといえば日本画のほうが新しさを感じる。たとえば、二科の工藤静香風の乙女チックなイラストを白っぽくしてレース編みの装飾を散りばめた松岡千瑛《MIRROR》や、マンガチックな線画とコマ割りで津波後の瓦礫と更地を描いた市川信昭《記録・わたしのまち》などは、これまでの日展には見られなかった傾向だ。洋画でも、商売繁盛の熊手に大黒さまやら弁天さまをキッチュに描いた小川八行《市の夜「麒麟のいる橋」》みたいな珍しい作品も入るようになった。でも数百点、数千点のうちのごくわずか。ここから一点突破を期待するか、多勢に無勢とあきらめるか。

2015/12/02(水)(村田真)

新聞家『川のもつれホー』

会期:2015/12/02~2015/12/06

The 8th Gallery(CLASKA)[東京都]

2015年1月の前作『スカイプで別館と繋がって』には驚いた。一人の役者がきわめて複雑な抑揚とともにこれまた言葉づかいの複雑なセリフをしゃべる。そのしゃべりのリズム(音楽性)にも驚いたが、なにより役者の身体性には目を瞠るものがあった。役者の身体には独特の質があった。セリフの難解さのみならず、床に置かれたスマホに役者は自身のまなざしを固定し、重そうなオブジェを胸に抱えていた。多重な縛りが身体に緊張をもたらしていた。その緊張は豊かな徹底に映った。筆者は、それを「強烈にストイックでモダニスティックな形式主義」と形容したことがある。さて、本作。複雑な抑揚(タイトルの語尾「ホー」に表われているような、意味を切断するような言い回しも含めて)は前作と同じかそれ以上に作り込まれていて、役者はそれを巧みに表象する。聞こえてくる言葉から「川」や「橋」をめぐる家族の話が展開されているようなのだが、抑揚の音楽性が理解を妨げる。すると、目の前に見えるのは役者というよりも一人のヴォイス・パフォーマーなのでは、という気持ちが生まれてくる。ここで起きているのは、クレメント・グリーンバーグがキュビスムを論じる際に、ピカソやブラックの試みた独特な立体性の効果がいつのまにかたんなる模様になりかけていると指摘したのに似た事態に思われる。前作にあったオブジェやスマホのような枷がないぶん、身体の立ち上がりが弱く感じられる(それにしたって、大抵の演劇に比べれば、身体の集中は強烈なのだが)。たんに前作を踏襲するのでは満たされなかったのだろう。演出の村社祐太朗には、そうあえてした狙いがあったに違いない。ただし、筆者にはその狙いは、演劇の形式主義の徹底というよりは、演劇の消滅を帰結するように見えたのだ。絵画がたんなる模様と化すのに抗して、キュビスムは、いったん消した表象(意味)作用をあらためて採用したり、キャンバスにダイレクトに壁紙を貼り付けたりした。ひょっとして、そうしたアプローチが今後あるならば、新聞家の「総合的キュビスム期」なのかもしれないのだが。

2015/12/04(金)(木村覚)

マカオのアズレージョ──ポルトガル生まれのタイルと石畳

会期:2015/11/26~2016/02/20

LIXILギャラリー[東京都]

マカオで建物などに用いられているポルトガル由来のタイル(アズレージョ)と街路を彩る石畳(カルサーダス)の現在を紹介する展覧会。アズレージョは、技術的にはイスラムで発達した色絵のタイルで、11世紀初頭にスペイン南部でつくられはじめた。ポルトガルでは15世紀後半以降、スペインから輸入されるようになり、16世紀後半にリスボンで制作が始まっている。東インド貿易によって輸入されるようになった中国の染付磁器の影響を受けて、白地に青い絵付のタイルが多くつくられたという。他方、カルサーダスはポルトガルで19世紀に広まった石畳の路面鋪装である。
 ポルトガルとマカオとの関係は深い。ポルトガル人が初めて中国に来航したのは1513年。その後1557年に定住が認められて以来、ポルトガル人はマカオに居住を続ける。1887年にポルトガルはマカオの統治権を獲得し、1999年に中国に返還されるまで東西文化が入り交じった地域として発展してきた。2005年にはマカオ歴史地区はユネスコの世界遺産に登録されている。と聞くと、アズレージョやカルサーダスは長い歴史のなかでマカオに根を下ろしてきたポルトガル文化なのだろうという印象を受ける。ところが興味深いことにアズレージョがマカオで広まったのは1980年代以降、カルサーダスが導入されるようになったのは1992年以降のことだという。アズレージョは西洋建築やその修復の際に新造されたり、広場の装飾として制作されるほか、1983年ごろからは街区表示に中国語(広東語)とポルトガル語を併記したアズレージョが採用されている。もともとはポルトガルから輸入されていたアズレージョであるが、現在では中国にポルトガル風のタイルを製造するメーカーも登場しているという。また、カルサーダスは中国人居住区とポルトガル人居住区を隔てなく結ぶ要素として道路に用いられている。展示は、いくつかのアズレージョとマカオ市街の写真、カルサーダスが敷設された街路を歩く映像で構成されている。統治機構が変わり、街の姿が変化するなかで、アズレージョやカルサーダスはマカオの歴史とアイデンティティを表わし伝える手段として、都市計画のなかで積極的に活用されているようだ。[新川徳彦]

2015/12/04(金)(SYNK)

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