artscapeレビュー
2014年06月15日号のレビュー/プレビュー
「ウフィツィ美術館展」記者発表会
会期:2014/05/23
イタリア大使館[東京都]
有楽町から三田へ記者発表会のハシゴ。最近、イタリア関連の展覧会の記者発表会はイタリア大使館で開かれることが多いが、ここは会見場から窓越しに池が見えるのでなんとなくうれしい。同展は9点のボッティチェリを中心に、フィリッポ・リッピ、ブロンヅィーノ、ヴァザーリ、ポントルモらの出品。中(レオナルド、ミケランジェロ、ラファエロ)を抜いたルネサンス美術展だな。10月11日から12月14日まで東京都美術館にて。
2014/05/23(金)(村田真)
作間敏宏「治癒」
会期:2014/05/19~2014/05/31
巷房2+巷房階段下[東京都]
作間敏宏は、電球をさまざまな構築物に配置、増殖させていくインスタレーション作品で知られる現代美術作家である。一方で、1996年に生後すぐから約40年間の自分の顔写真を合成した「self-portrait」を発表したのをきっかけに、写真・映像を積極的に作品に取り込んできた。今回の巷房2+巷房階段下での展示でも、木造の家の形の構造体に無数の電球を配した作品に加えて、壁に映像作品を投影していた。
その画像は、インターネットから任意に抽出された100枚の日本の家の写真を重ね合わせることによって作られる。ぼんやりと輪郭が定まらない二階家が、ふわふわと宙を漂うように浮かびあがってくるのだが、そのたたずまいが何とも心騒がせる奇妙な魅力を発していた。どこにもないはずなのに、どこかで見たことがあるように感じてしまう「不在の実在」とでもいうべきリアリティが、インターネット画像の機械的な抽出によってなぜ生じてくるのか。おそらく、そこにわれわれの記憶の中に蓄積された「家」の視覚像に、極めて近いイメージが立ち上がってくるからなのだろう。19世紀以来、人類学の領域では、同じ人種や社会集団に属する人の顔を重ね合わせて平均的な容貌を探り出す合成写真が作成されてきたが、ここでも日本の「家」の原型(アーキタイプ)があらわれてくるように思える。
もう一つ、その画像の不思議な浮遊感について作間と話していて、二人とも同じイメージを思い浮かべていたことがわかった。実は作間は僕と同郷の宮城県の生まれである。東日本大震災直後に、二人とも津波で流出して海や川に漂う「家」を目にしていた。堅固に地上に打ち建てられていたはずの「家」が、水の上にはかなげに浮かんでいる。その記憶が今回の作品に結びついた。壁に投影された画像には仕掛けが凝らされていて、彼がよく作品に使う電球の光のような白い複数の球体が、ぼんやりとあらわれては上方に消えていく。そこにはおそらく、震災の犠牲者に対する鎮魂の意思が込められているのではないかと感じた。
2014/05/23(金)(飯沢耕太郎)
阪本勇「天竺はどこや!!」
会期:2014/05/12~2014/05/29
ガーディアン・ガーデン[東京都]
阪本勇は2006年に第27回写真「ひとつぼ展」に出品して入選した。今回のガーディアンガーデンでの個展は、最終審査までは残ったが、グランプリには届かなかった出品者の作品をあらためて取り上げる「The Second Stage at GG」の枠での展示になる。
会場に入ってすぐに目につくのは、天井から床の近くまで壁一面に貼られた巨大壁画である。ピカソの《ゲルニカ》をモノトーンで実物と同じ大きさに複写・プリントし、色のついた布テープをモザイク状に切り貼りして色をつけていく。まだ完成途上だが、でき上がったら子供たちとピクニックに行って、レジャーシートのように地面に敷いて楽しみたいのだそうだ。この壁画は、阪本の写真作品とは直接かかわりはない。だが単なる会場の装飾でもない。彼の創作全体を貫く無償のエネルギーの放出の仕方、被写体をパッチワークのように画面に構成していく感覚が、写真も壁画もまったく同じなのだ。おそらく彼にとっては壁画の制作も、写真を撮ったり、プリントしたりすることも、勢いのある文章を綴ることも、すべて根っこの所ではつながっているのだろう。そのあふれ出るエネルギーのボリューム感とスピード感が、以前に比べて格段に増しているように感じた。
それにしても、阪本の写真は「大阪的」としかいいようがない。彼はいま東京で暮らしているが、被写体の選び方、撮り方、見せ方に、派手好きで、演劇的なシチュエーションにさっと反応する大阪人の血が通っている。阪本だけでなく、佐伯慎亮、辺口芳典、鍛冶谷直記など、大阪出身の写真家に特有の、こってりとしたディープなスナップ写真のスタイルは、ひとつの水脈を作りつつあるのではないだろうか。
2014/05/24(土)(飯沢耕太郎)
AAA30s「住まいが風景をつくる」展
会期:2014/05/25~2014/06/01
GALERIE hu:[愛知県]
名古屋へ。車道のGALERIE hu: にて、AAA30s展の会場を見る。単に愛知県の同世代、すなわち30代の若手建築家9組を集めたのではなく、建築を現代美術の「ギャラリー」で展示することの意味を考え、しかもキャプションなしで見せるというのは、思い切った試みだ。建築は、どこで、どう見せるかについて意外と無頓着だからこそ評価したい。名古屋工業大学では、AAA30sのシンポジウムが開催された。9組による矢継ぎ早のプレゼンテーションの後、筆者がコメントを行い、最後は全体で討議を行なう。「住まいが風景をつくる」というタイトルは、50年代の計画学による最小限住宅、70年代の閉ざされた住宅などを歴史的に振り返っても、現在の若手の意識をよくとらえたものだった。ちなみに、愛知の家づくりでは、親と子の関係が重要らしいことも浮上した。公共施設でなくとも、個人住宅から共有される風景をつくることを議論し、海外経験のある建築家からは日本の特殊な住宅事情が語られ、マニフェストとしての自邸兼オフィスにも触れて、さらに建築家の仕事を獲得し、拡張していく活動などに触れる。最後は、現在は住宅から次のステップに進めないという隈研吾の論「パドックからカラオケへ」の問題提起を考えることになった。
2014/05/24(土)(五十嵐太郎)
遠藤秀平《サイクルステーション米原》、《ハーモニーホール駅》、《えちぜん鉄道大関駅(駐輪場)》
[滋賀県、福井県]
米原駅の横にある遠藤秀平の《サイクルステーション》を久しぶりに訪れる。さらに福井に移動し、田園の中の福井電鉄《ハーモニーホール駅》と、えちぜん鉄道大関駅の《駅輪場》に足を運んだ。これらは初めてである。いずれもコルゲート鋼板をうねらせて独自の幾何学を描く、1990年代半ばの仕事だが、とくに大関駅の駐輪場に、遠藤のデザインの特徴がよくあらわれていた。平坦な日本の街の中に人々に共有される風景を生みだしている。
写真:遠藤秀平《ハーモニーホール駅》
2014/05/25(日)(五十嵐太郎)