artscapeレビュー
2015年05月15日号のレビュー/プレビュー
プレビュー:palla/河原和彦「断面 SECTION」
会期:2015/05/02~2015/05/17
COHJU contemporary art[京都府]
写真や映像を折り返し重ね合わせ、それらを規則的にずらしていくことにより、現実の風景から思いもよらぬ時空間を取り出すpalla/河原和彦の作品世界。大阪を中心に活動していた彼が、初めて京都で個展を開催する。本展では、折り重ねられた空間をずらして行く過程に現れる瞬間に着目した映像作品2点を出品。我々の日常世界に隠された不可視の時空、それが現れる瞬間のクールなダイナミズムを味わいたい。
ウェブサイト:http://www.pallalink.net/modx/weblog/?p=2050
2015/04/20(月)(小吹隆文)
福岡陽子「本と物語、または時間の肖像」
会期:2015/04/20~2015/04/25
森岡書店[東京都]
本には、それ自体に写真の被写体としての独特の魅力があると思う。特に長い年月を経て現在まで残っている古書は、まさに「時間の肖像」とでもいえるような存在感を発しており、そこからさまざまな物語を引き出せそうな気がしてくる。福岡陽子は、ここ10年ほど古書店で洋書を扱う仕事をしており、次第にそれらを写真に撮ってみたいと思うようになった。2010年頃から17世紀~19世紀に出版された書籍を撮影しはじめる。その中から選んで、壁に10点、机の上に4点、ケースの中に1点展示したのが今回の個展である。
福岡のアプローチは、奇を衒ったものではなく、まず本をしっかりと観察し、細部に眼を凝らしつつ、その一部をクローズアップして提示している。そのことによって、革の表紙のほつれ、経年変化によって黄ばんだ紙、かすれた文字などが、あたかも生きもののような生々しさをともなって立ち上がってくる。それはまさに、本を「肖像」として撮影するという試みなのだが、そのプロセスが無理なく、自然体でおこなわれているように感じられるのは、彼女が長年古書を扱ってきたためだろう。いわば、それぞれの本を最も魅力的に見せる勘所のようなものを、正確に把握していることが伝わってきた。
会場構成で気になったのは、展示作品の上方の壁に、切り離された洋書のページが「鳥の群れ」のように貼り付けてあったことだ。アイディアは悪くないが、インスタレーションとしての精度を欠いているので、やや取ってつけたように見えてしまう。それと、そろそろ撮り方がパターン化しはじめているように思える。本というテーマには、まだまだ可能性があると思うので、違う方向からのアプローチも試みてほしい。
2015/04/21(火)(飯沢耕太郎)
尾仲浩二「海町」
会期:2015/04/17~2015/05/30
ツァイト・フォト・サロン[東京都]
「海町」は尾仲浩二が1990年代に八戸、宮古、釜石、陸前高田、気仙沼、石巻、塩竈、小名浜など、東北地方の太平洋岸を旅して撮影した写真をまとめたシリーズ。既に2011年にSUPER LABOから写真集として刊行されているが、あらためてプリントの形で展示された35点を見て、思いを新たにした。尾仲にとっても、重要なシリーズとして位置づけられていくのではないだろうか。
写真が撮影された1991~97年頃は、尾仲が最初の写真集『背高あわだち草』(蒼穹舎、1991年)と二番目の写真集『遠い町・DISTANCE』(mole、1996年)を刊行し、自分の写真撮影のスタイルを確立しようともがいていた時期だ。日本各地に旅を続け、目についた被写体にカメラを向け、シャッターを切っては次の場所に向かう。そんな「旅と移動の日々」の中から、一見さりげなく、穏やかに見えて、記憶に食い入るような強い喚起力を備えたスナップショットが生み出されていくことになる。この「海町」を見ても、写真に写っている街並にまつわりつく湿度や空気感が、皮膚にじわじわと浸透してくるように感じられた。
だが、このシリーズを見ていてどうしても強く意識してしまうのは、ここに写されている港町の景色が、今はほとんど失われてしまっているということだ。いうまでもなく、東日本大震災後の大津波によって、これらの街々は大きな被害を受けた。灯りがついたばかりの黄昏時の「呑ん兵衛横町」も、古い写真館も、「まや食堂」も、「スナックロマン」も、「大衆食堂ラッキーパーラー」も、おそらくもう残っていないだろう。それが尾仲の写真の中にそのままの姿で息づいていることに、あらためて大きな衝撃を受けた。「それはもう僕だけの旅の思い出だけではなくなっていることに気づいたのです」と、尾仲は写真展に寄せたテキストに記しているが、その感慨は彼だけではなく、写真を見るわれわれ一人ひとりが共有できるものになりつつあるように思える。
2015/04/22(水)(飯沢耕太郎)
守屋友樹「gone the mountain / turn up the stone: 消えた山、現れた石」
会期:2015/04/14~2015/04/26
Gallery PARC[京都府]
マッターホルンの山の写真を出発点に、複数の写真や立体の空間的配置の中で、「山」をめぐるイメージが連鎖的に反応し、意味の獲得と喪失を繰り返しながら、記憶と認識のズレについて問いかける。岩石を写したと思しき写真は、山の部分が切り抜かれた写真を見た後で目にすると、切り抜かれた山の形なのかただの石ころなのか判然とせず、意味の曖昧な領域へと漂い始める。小高く盛り上がった雪面を写した写真は、山の形が切り抜かれた写真の白い空白と響き合う。くしゃくしゃにした紙切れの写真は山の稜線をなぞり、脱ぎ捨てられた衣服の写真もまた、峡谷のイメージへと錯覚を誘う。逆さまに掛けられた山岳写真の中の輪郭線は、ネオン管のラインへと置き換えられ、白々しく空間を照らし出す。イメージの目まぐるしい転移、反復、連鎖の中で、「マッターホルン」という固有名は失われていく。
このようにして、守屋友樹は、写真イメージのもつ多義性と戯れ、かつ三次元のモノへと展開し、イメージ同士が干渉し合う磁場を作り上げることで、自由な連想の遊戯へ誘うと同時に、記憶と認識の危うさを突きつける。それはまた、写真は複数の意味を多義的に呼び込める場であるからこそ、逆説的に、写真それ自体は次々と意味を充填されることを待ちかまえる空白に他ならないことを暴き出している。
2015/04/22(水)(高嶋慈)
ヨーロピアン・モード
会期:2015/03/07~2015/05/13
文化学園服飾博物館[東京都]
18世紀半ばから20世紀末まで、250年にわたるヨーロッパの女性ファッションを通史で見る、毎年恒例の服飾史入門企画。この展示の特徴は、様式の移り変わりを実物資料で追うばかりではなく、そのような様式の出現、変遷の理由について、同時代の社会経済的背景を解説することで、ファッションの歴史を立体的に見せている点にある。いつものように、館内には熱心にメモを取る学生の姿がたくさん見られる。
1階展示室では特集としてデニムの歴史が取り上げられている。デニムというとアメリカにおける作業着からファッションへの展開の歴史がイメージされるが、起源はヨーロッパにあるという。デニム(denim)の基本は縦糸が藍、緯糸が未晒しの木綿の綾織地。デニムの語源は「セルジュ・ドゥ・ニーム(serge de N mes)」、すなわちフランス・ニーム地方の綾織物にあるという。この丈夫な綾織生地が19世紀半ばにアメリカに渡って労働者の仕事着となり、リーバイス(1853年創業)やリー(1889年創業)といったジーンズメーカーを生み出した。展示はニーム地方の織物から始まり、ヨーロッパの藍染の作業着、アメリカにおけるデニムの展開に至る。実物資料以外の興味深い展示品としては、モンゴメリー・ウォードやシアーズ・ローバックなど、アメリカのメールオーダー会社が刊行した通販カタログや、ファッション誌がある。展示では一部のページを見せているだけだが、これらの各シーズンのカタログや雑誌の写真を追っていくだけでもアメリカにおけるデニムの位置づけの変遷がよくわかるに違いない。展示ではさらに海外でも高い評価を受けている日本のデニムが紹介されている。日本のデニムの産地は三備地区(岡山県南部および広島県東部)。江戸時代から木綿の生産が盛んだった地域で、学生服の製造を経てデニムの生産に展開してきたという。大阪のエヴィスや児島の桃太郎ジーンズなどによるレプリカ・ヴィンテージ・ジーンズの紹介、デニムの糸染め、織布、縫製、洗い加工、シワ加工の実際を紹介する映像もとても興味深い。なかでもヴィンテージ・ジーンズのデータを用いたレーザーによるダメージ加工には驚かされた。[新川徳彦]
2015/04/22(水)(SYNK)