artscapeレビュー

2015年05月15日号のレビュー/プレビュー

トーキョー・ストーリー2015[第1期]

会期:2015/04/18~2015/05/31

トーキョーワンダーサイト本郷[東京都]

TWSのレジデンス・プログラムにより、海外の都市で滞在・制作してきた伊藤久也(ソウル)、久野梓(ベルリン)、鈴木紗也香(バーゼル)、安野太郎(ベルリン)の帰国展。鈴木はバーゼルの男の子の部屋を描くことから発想を展開し、壁2面にマティス風の貼り紙をした上に室内を描いた絵を飾っている。しかもその画面に壁紙を部分的に貼って重層化させている。この「絵画インスタレーション」にはさらなる発展の余地がありそうだ。安野はルンバに自動演奏楽器を搭載してベルリンの路上を徘徊させた映像と、2カ月間の滞在中つけていた400-500字の日記を公開。同じくベルリンの久野は、抜け落ちた髪の毛でジャングルジムのようなキューブをつくったり、ひき肉とキウイジャムとの攻防をビデオにしたり、ある意味もっともベルリン的な作品を出している。彼女はもともとベルリン在住なのに、TWSのサポートを受けてあえてベルリンのレジデンスに滞在したという。いいなあベルリンは、なにやってもよさそうだ。

2015/04/24(金)(村田真)

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ヴァチカン教皇庁図書館展II──書物がひらくルネサンス

会期:2015/04/25~2015/07/12

印刷博物館[東京都]

紙の印刷からコンピュータへと情報メディアが大きく変換している現在、印刷博物館でヴァチカン教皇庁図書館展が開かれることはなにか象徴的な意味があるに違いない。なーんて深読みしたくなる。ヴァチカン教皇庁に図書館が設立されたのはルネサンス全盛期の15世紀なかばのこと。ちょうど印刷術の発明と同じころだから、書物のビッグバンとともに成長を遂げてきたことになる。出品はさまざまな言語の聖書をはじめ、ヘロドトス『歴史』、プリニウス『博物誌』、ウィトルウィウス『建築書』、デューラー『黙示録』、ユークリッド『幾何学原論』、トマス・モア『ユートピア』、ゲスナー『動物誌』など垂涎ものばかり。日本語があると思ったら、「天正少年使節からヴェネツィア共和国政府への感謝状」だった。それにしても西洋の書物というのは書体も文字組みも挿絵も美しいこと。こうした古書に惹かれるのは、そこに書かれてる内容もさることながら(ていうか読めないし)、文字や絵が記された紙の束という形式ゆえであり、硬い表紙にくるまれた四角い物体の存在感に負うところが大きいだろう。いってしまえばフェティシズムの対象なのだが、それは絵画も同じで、いくらディスプレイ上で画像が見られるようになってもタブローはなくならないはず。人類は表面になにか書かれた四角い物体が本来的に好きなのだ。

2015/04/24(金)(村田真)

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日比遊一「地の塩」

会期:2015/04/18~2015/05/23

東京画廊+BTAP[東京都]

日比遊一は1964年、名古屋市出身、ニューヨークで俳優、映画作家として活動している。1990年代以降、独学で写真の撮影・プリントの技術を身につけ、写真家としても『imprint/ 心の指紋』(Nazraeli Press,2005)をはじめ、多くの写真集を刊行し、アメリカやヨーロッパ各地で個展を開催してきた。これほど力のある写真家が、日本ではほとんど知られていなかったのが不思議だが、今回の「地の塩」展が日本での初個展になる。
このシリーズは、1992年に日本に一時帰国した時に、奄美大島で撮影されたもので、日比にとっては最も初期の作品の一つである。にもかかわらず、その後の彼の写真に共通する、被写体に対するヴィヴィッドな身体的な反応が、既にくっきりとあらわれていることが興味深かった。画面は大きく傾いているものが多く、時には被写体の一部がほとんど真っ黒に潰れるほど焼き込まれている。その過剰ともいえるような画像の振幅の大きさは、やはり日比が俳優としての訓練を積んできたからではないだろうか。それぞれの場面に潜んでいる物語を、演劇的な想像力を駆使してつかみ取ろうとする身振りが、彼の写真ではいつでも強調されているように感じるのだ。
もう一つ、今回の展示で面白かったのは、モデルとなってくれた奄美大島の女性に宛てた毛筆書きの手紙(かなり大きな)が、写真とともに展示してあったことだ、日比は写真だけでなく、書も独学で習得し、やはり身体性を強く感じさせる独特の書体の字を書く。以前から、日本人の写真家の視覚的体験における、書(カリグラフィ)の重要性に着目していたのだが、彼の作品はそのいいサンプルであるように思える。書が写真のように、写真が書のように見えてくるのだ。

2015/04/25(土)(飯沢耕太郎)

笠井叡『今晩は荒れ模様』

会期:2015/04/25

京都芸術劇場 春秋座[京都府]

ひたすら「踊ること」に捧げられた2時間に圧倒された。笠井叡の振付・演出により、上村なおか、黒田育世、白河直子、寺田みさこ、森下真樹、山田せつ子という錚々たる顔ぶれの女性ダンサー6人によるソロとデュオが展開されていく。衝撃を受けたのは、「振付」がなされているようにはまったく見えなかったこと。とりわけ、嗚咽のような声を上げながら破壊と慈しみの両極を行き来するような黒田育世の激しさと、異次元を切り開くような凄まじい熱量を放つ白河直子の踊りに打たれた。
アフタートークで笠井は、「即興はなく、呼吸の入れ方まで含めて振付けている」と語っていたが、出演した笠井自身も6名のダンサーも、ただ踊るためにそこにいて、その歓びと切実さをそれぞれ異なる言葉でクリアに身体が語っていた。初めて実見するダンサーもいたが、にもかかわらず、あの約20分間の踊りでどういう人なのかが伝わってしまう。躊躇いなく剥き出しにすることができる身体の強さが、圧倒的な強度で空間を埋めていく。エネルギーを放射していく。それを鎮めていく。ここでの「振付」とは、外側から形を与えて操作することではなく、本質でない部分を見極めて削いでいく作業を言うのだろう。この過酷で困難な作業をやり遂げた振付家とダンサーたちは、終盤、真紅のドラァグクイーンの衣装をまとった笠井を囲んで踊り、狂乱の嵐のような時間が吹き荒れた。

2015/04/25(土)(高嶋慈)

石田尚志「渦まく光」

会期:2015/03/28~2015/05/31

横浜美術館[神奈川県]

彼のドローイング・アニメーションの作品を、あちこちで見てきたが、それらが集合しており、まとめて見ることができた。バッハなど、音楽を視覚に変換した作品(制作のための資料がすごい)、窓を効果的に使う作品など、興味深い映像が多い。部屋の壁に絵を描き続けて、それをアニメ化する現在のスタイルを確立した労作だが、見覚えある窓だと思ったら、なんと東大の駒場寮で制作したものだった。

2015/04/25(土)(五十嵐太郎)

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