artscapeレビュー
2010年03月15日号のレビュー/プレビュー
大阪成蹊大学芸術学部絵画進級制作展
会期:2010/02/15~2010/02/21
大阪成蹊大学芸術学部[京都府]
大学内の教室を展示空間にして開催された美術学科の2年生と3年生の進級制作展。動物や学校周辺の風景を描いた2年生の姫井孝子のドローイングが印象深く記憶に残った。鋭い感受性と観察眼がうかがえる画力で今後が楽しみ。全体に、大学ののびのびとした雰囲気が学生たちの作品から伝わってくるようだが、同時に制作に対する真摯な姿勢も垣間みることができる会場で、良い教育を受けているなあと彼らをうらやましく思った。
2010/02/18(木)(酒井千穂)
InsideOut of Contexts:大山エンリコイサム+荻野竜一/たまむし展:玉田多紀
会期:2010/02/20~2010/03/07
ZAIM[神奈川県]
2日前に年がいもなくムリをして肉離れを起こしてしまい、杖をついてZAIMへ。2展とも審査にかかわった「YOKOHAMA創造界隈ZAIMコンペ」の受賞作品展なので、オープニングに出なければならないのだ。前者は「ポスト・グラフィティ」を掲げる2人展で、歴史的・社会的なコンテキストにのっとった知的なテーマ設定が評価されたが、作品的にはきわめて整然としたタブローに収まり、グラフィティから連想される逸脱感がないのがものたりないといえばものたりない。一方、後者は昨年までカフェとして使っていた中庭に、たまむしならぬ恐竜の化石みたいなものを段ボールで毎日増殖させている。こちらはたくましさとわかりやすさが高ポイント。まったく対照的な2展。
2010/02/19(金)(村田真)
社宅研究会『社宅街 企業が育んだ住宅地』
発行所:学芸出版社
発行日:2009年5月30日
社宅街が近代日本の住宅地において重要な役割を果たしてきたことを明らかにしている研究書である。社宅街は企業所有であるという性質上、これまで歴史的にも触れられることが多くなかったが、本書は実習報文という学生のレポートを新たな資料として、これまで触れられてこなかった社宅の存在を明るみに出している。初田香成氏は、大都市におけるホワイトカラー中心の郊外住宅地と、地方都市におけるブルーカラー中心の社宅街が、近代が生み出した双子のニュータウンではないかと指摘する。だとすると、本書は知られざるニュータウン研究でもある。実際、社宅街の計画的な配置は、シャルル・フーリエら空想社会主義者の思想や、トニー・ガルニエの工業都市思想などを思い起こさせ、住宅史という観点からも、都市計画的な観点からも、社宅街は注目に値するだろう。特に、意外にも福利施設が充実しており、集会場や劇場などの施設もあったという点は興味深い。合理性を目指す企業が、住環境を重視していたことは、共同体意識の強い日本企業の特質を浮き彫りにしている。そして、社宅街は一種の研究が進むことが望まれる都市でもあり今後さらなる成果が期待される。
2010/02/20(土)(松田達)
Collection/Selection 02
会期:2010/02/13~2010/03/13
ギャラリーcaption[岐阜県]
ギャラリーcaptionで開催されていたコレクション展を木藤純子さんと見に行く。岐阜は遠いイメージだったけど意外と近いとわかって新鮮だった。井田照一、伊藤慶二、伊藤正人、大岩オスカール、大嶽有一、金田実生、河田政樹、木村彩子、先間康博、寺田就子、藤本由紀夫。百合草尚子の作品展示。通路の壁にペラッと無造作に貼られているように見える、短いテキストが書かれた伊藤正人の原稿用紙の作品が空調設備の微風にふわりふわりと揺れる光景、窓の桟に展示された寺田就子の小さな作品などを見ていると、ギャラリーの作品へのまなざしが見えてくるような気がした。派手なインパクトの作品はないけれど、作品世界をそっと味わう喜びに包まれた心地よい展覧会だった。
2010/02/20(土)(酒井千穂)
中村拓志『恋する建築』
発行所:学芸出版社
発行日:2007年12月4日
中村拓志氏は、筆者にとって隈研吾建築都市設計事務所時代の先輩にあたる。本書は、そのタイトルがよく知られているであろう。あまりにキャッチーなタイトルだと話題にもなったが、筆者は今回はじめて内容を読んだ。まず驚いたのは、中村の文章のうまさであった。全二十編のエッセイになっており、もちろん文学的なうまさというわけではない。しかし、感じたことが論理的に明晰に展開されていく手続きは、いわば建築的な文章の上手さといえるようなものであると感じた。優れた建築家は文章もうまい。これは乾久美子氏の文章を読んだ時にも感じたものに近い。その上で、中村氏は論理的なものを感覚的なもので大らかに包み込んでいるような気がする。そう、本書は正確に中村拓志の建築そのものであるかのようにも思えたのだ。
2010/02/21(日)(松田達)