artscapeレビュー
2010年03月15日号のレビュー/プレビュー
原広司『YET』
発行所:TOTO出版
発行日:2009年12月25日
わずか2,000円で、フルカラー。しかも、全文がバイリンガル。京都と大阪と札幌に都市のランドマークとなる巨大建築を実現し、70歳を過ぎてもなお走り続ける原広司のこれからを堪能できる一冊だ。こうした豪華な本をつくれるのは、TOTO出版ならではの企画だろう。『YET』というタイトルがついたのは、彼が提示した構想でまだ未完のプロジェクトを紹介しているからだ。磯崎のアンビルドは、過去─現在─未来の時間の錯乱であり、現実と虚構も反転させるトリックである。一方、原の『YET』は、1965年の有孔体の世界から2008年のΣ3まで、40の作品を通じて、未来に投げかける強いヴィジョンを打ちだす。それは思惟を重ね、言葉によって構築された固有の概念が、建築に結晶していく意志というべきものだ。90年代以降に定番となった日常の生活の延長としての建築ではない。宇宙のスケールから、原は建築を構想している。京都駅が完成したとき、ニュータイプの空間が実現したと感じたが、まさに来るべき新人類のための建築なのだ。
2010/01/31(日)(五十嵐太郎)
原克『美女と機械』
発行所:河出書房新社
発行日:2010年1月30日
本書は、20世紀において、いかに女性の理想的な体型を求めてきたか、あるいは体型が求められてきたかを批判的に分析する、身体論である。原克は、雑誌の記事や広告の写真を素材に、健康=美の神話や身体のイメージを追いかけていく。その特徴は、ジェンダー論よりも科学の表象の問題として読み解く点である。なるほど、空気式バスト成形下着、ストレッチ機械、ベルト式振動機、拷問器具のようなストレッチ寝台、電動式乗馬マシン、体重計など、さまざまな器具が身体のまわりに登場した。通販でも人気の商品である。そして健康工場のようなモダンな病院。コルセットから解放された近代以降も、矯正やエクササイズを通じて、女性の身体は機械と接合した。理想の身体の神話によれば、痩せ型が批判され、スリーサイズがつくる曲線が美を生み、すぐれた男性と結婚でき、優秀な子供を産める。本書は、見慣れた身体の形成に機械がすでに介入していたことを教えてくれる。
2010/01/31(日)(五十嵐太郎)
磯崎新+浅田彰編『建築と哲学をめぐるセッション 1991-2008』
発行所:鹿島出版会
発行日:2010年1月30日
1990年代に行なわれた建築の国際会議シリーズ、Anyコンファレンスの日本語版のために行なわれた討議を収録したもの。いずれも会議の後で行なわれたものなので、各開催地での裏話や参加者のエピソードなど、磯崎と浅田の尽きることがない、おしゃべりが楽しめる。と同時に、1990年代の建築界において何が起きていたのかを振り返るための定点観測としても読めるだろう。デリダの脱構築からドゥルーズの流体的生成へ。そして獰猛なグローバル資本主義の台頭によって、理論やデザインが無効化し、コールハースだけが残った。本書の最終章「Anyコンファレンスが切り開いた地平」において、浅田が「新しい理論的な枠組みを示すというより、旧来の理論的な枠組みが瓦解していくプロセスを体現している」と総括しているのが、印象的だ。20世紀を看取るイベントだったのかもしない。
2010/01/31(日)(五十嵐太郎)
磯崎新+浅田彰編『ビルディングの終わり、アーキテクチュアの始まり』
発行所:鹿島出版会
発行日:2010年1月30日
本書は、全10回のAnyコンファレンスにおける定番の出し物、磯崎新と浅田彰による掛けあいのプレゼンテーションを再収録し、巻頭と巻末にそれぞれのエッセイを加えたものである。それぞれの討議から切り離して、二人によるトークの部分だけを改めて通読すると、そのときどきに磯崎が関与していた著作、プロジェクト、展覧会などをトピックとしつつ、浅田が注釈を入れるかたちで進行していたことがよくわかる。キーワードに注目すると、「デミウルゴス」「島」「ネットワーク」「分子的」などが挙げられるだろう。やはり、90年代の急激な情報化を引き受けつつも、建築の概念を問うている。Any会議の終了後、言説のシーンは変貌し、ゼロ年代において、アイコン建築やアルゴリズムの問題系が浮上するわけだが、そこへの助走として読むこともできるだろう。
2010/01/31(日)(五十嵐太郎)
物からモノへ モノ学・感覚価値研究会、展覧会
会期:2010/01/16~2010/01/31
京都大学総合博物館[京都府]
「もののあはれ」に象徴される日本文明のモノ的創造力と感覚価値を検証し、「モノ」と「感覚価値」をあらゆる角度と発想から考察する、という「モノ学・感覚価値研究会」の研究成果発表として開催された。会期中はシンポジウムやワークショップ、レクチャーなど、関連企画もいろいろ開催されていていたのだが、結局出かけたのは最終日。しかし運良く会場では、ちょうどクロージングイベントが始まったところだった。宇宙をイメージしたCG映像を背景に、宗教学者の鎌田東二が神主の白装束姿でホラ貝を吹き、ギターを演奏しながら歌う。そのなかで観世流能楽師の河村博重が能舞を披露。神秘的というよりも可笑しいのだけれど目は釘付けになった。その後展覧会場へ。展示ケースには絵画から、陶芸、詩といったものまでさまざまな作品が展示されているのだが、もともと博物館が所蔵する化石や土器などの資料も使って新たなイメージを創出するという展覧会で、まさに混とんの有様。ただ、文脈の異なるものが並列した展示を見つめていると、言葉の連想が広がりたしかに面白い。展示を見ながら想像の広がりによってモノのイメージやそれまでの認識がくずれたり、変化していく過程を楽しんだ。楽しみにしていたのは大舩真言の作品展示だったのだが、展示ケースのガラスに反射する照明の光が邪魔してどの角度から見ても、その微妙な表情が解りにくい。今展のテーマに沿って大舩が試みたインスタレーション自体は時間性を孕んだ興味深い主題だったので、それが発揮されておらず残念。
2010/01/31(日)(酒井千穂)