2019年09月01日号
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artscapeレビュー

2012年04月01日号のレビュー/プレビュー

タイム

会期:2012/02/17~2012/03/15

TOHOシネマズ日劇[東京都]

生命の時間を貨幣に置き換えたSF映画。富める者がいつまでも若いまま半永久的に生存できる反面、貧しい者はわずか20数年しか生きながらえることができないという設定が、今日の新自由主義的な資本主義経済の暗部を巧みに照らし出している。若々しい美しさという特権、社会階層に応じて居住空間を切り分けるゲーティッド・シティ、生存のための労働が生命の時間を削るという究極的な逆説。今日の現代社会が抱える諸問題がこれでもかと言わんばかりに盛り込まれているため、この映画にはSFらしからぬ生々しいリアリティが醸し出されている。ただその一方で、惜しむらくは、物語がきわめて凡庸な筋書きに陥ってしまっているところ。『俺たちに明日はない』のような強盗劇はともかく、ボニー&クライドのような悲劇的な結末を巧妙に回避したうえで、安っぽい革命賛歌に終始しているのは、ハリウッド映画の限界というべきか、それともあくまでもフィクションに徹したというべきか。これでは、今日の恐るべき現実にとても太刀打ちはできまい。

2012/03/01(木)(福住廉)

蘭にみた、夢 蘭花譜の誕生

会期:2012/03/03~2012/05/27

アサヒビール大山崎山荘美術館[京都府]

大山崎山荘を建設した加賀正太郎は、実業家であると同時に多趣味の人であり、蘭栽培でも日本屈指の実績を残した。大山崎山荘の温室には、大正から昭和の約30年間に1,140種・1万鉢近い蘭が育成されたという。彼が1946年に監修・制作した『蘭花譜』は、木版画83点、カラー図版14点、単色写真7点の計104点でその成果を記録したポートフォリオである。本展では、『蘭花譜』の全作品を初めて一堂に展示。なかでも木版画は浮世絵ゆずりの技術が惜しみなく投入されており、肉筆画と見間違うほど質の高いものだった。また、手書きの校正や版木など貴重な品も残されており、企画に一層の深みを与えていた。それにしても、昔の富豪の道楽(とあえて言う)は凄い。大山崎山荘には、まだまだお宝が隠れているのではなかろうか。

2012/03/02(金)(小吹隆文)

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平成23年度第35回東京五美術大学連合卒業・修了制作展

会期:2012/02/23~2012/03/04

国立新美術館[東京都]

清水穣が的確に喝破したように(「制作展の翳り」[『美術手帖』2012年4月号])、今日の美大の卒展は「ゆとり世代」の弊害とも言うべき雰囲気に支配されている。全体的に漠然としていて白々しい展示の風景は、少なくとも大都市圏の美大の卒展に共通する一般的な傾向と言ってよい(むしろ地方都市の美大のほうが、実感としてはまだ希望がある)。政治的社会的表現の圧倒的な不在と、メディウムの即物的な改変の流行は表裏一体の現象であり、美大におけるアカデミズムにかなり前から巣食っていたが、以前にも増してそれが際立って見えるのは、ひとえにその外部にある今日の政治的社会的状況がこれまでにないほど緊迫しているからだろう。物質に閉じこもる「ゆとり」を必ずしも否定するわけではないが、そのような今日の状況にあっては、それが同時代を批判的に示すより逆に黙認することになりかねないし、同時代のアート、すなわち現代のアートを志すのであれば、むしろ美術に頼るより世俗的な社会の現場に直接的に飛び込むほうが有効であることは、もはや誰の眼にも明らかである。
さしあたってそのように現状を診断したうえで、本展に展示されていたおびただしい作品を見渡してみると、注目できたのは次の2点。武蔵野美術大学の長谷川維男による《2011年府中の旅》と、女子美術大学の緑川悠香による《フクシマ》だ。長谷川は、昨年のDIC COLOR SQUAREでの個展では赤い地蔵コーンのシリーズを発表していたが、今回は府中を宇宙に見立てたドキュメント作品を展示した。府中人とは一切の交流を持たず、公衆トイレの使用も自ら禁じ、さながら宇宙旅行のごとく、3日間の予定で生存圏外の府中の街へ繰り出した。こうしたパフォーマンスがウケ狙いの遊戯にすぎないと切り捨てられがちであることは否定できないとしても、一方でそれが今日の危うい生存圏を鈍く逆照していることもまた事実である。尋常ではないほどの放射性物質が拡散され、それらが循環する生態系の中で生きることを強いられている私たちにとって、生存圏外としての府中=宇宙は、笑って済ますことができないほどリアルな問題だからだ。2日目に警察の職質を受けて旅が頓挫させられたのも、生存圏内というフィクションの綻びを暴くパフォーマンスへの政治的な中止命令として考えられないこともない。いかにも乱雑なアウトプットにやや難が残るものの、この愚直な挑戦は評価したい。
緑川による《フクシマ》は、直接的なタイトルはともかく、絵画表現として得体の知れない強度を感じた。おそらくは男女の横顔を描いた具象的な平面作品の対は、それぞれ陰鬱な背景と生々しい肌色が鮮やかに対比させられているが、細部に仕掛けられた抽象的な操作が、不穏な雰囲気を倍増しており、なんとも怖ろしい。もしかしたらとんでもないものを見てしまったのではないかという不安な気持ちにさせられるほどだ。「いま」を平面に落とし込む意欲すら見られない作品が多勢を占めるなかにあって、それに取り組んでいる非常に稀有な例として印象に残った。

2012/03/02(金)(福住廉)

林加奈子

会期:2012/02/18~2012/03/24

Gallery αM[東京都]

ストリートのアートといえば、グラフィティやスケートボード、ブレイクダンス、ラップなど、広義のヒップホップカルチャーとして語られることが多い。むろん、スクワッティングや海賊放送なども含めれば、より広いカウンターカルチャーの文脈に接続できるだろうが、いずれにせよ「ストリート」には男性文化の色合いが濃かった。アイス・キューブにせよ、バスキアにせよ、バンクシーにせよ、ストリートとは何よりもまず男性にとっての舞台であり、女性はあくまでも従属的な立場に甘んじるほかなかった。だが、本来ストリートが誰にとっても表現が可能なオープンな場であり、あらゆる人びとにとっての公共財であるとすれば、こうしたジェンダー・バイアスはきわめて不当であると指摘しなければならない。社会が男性だけで成り立っていないように、ストリートは男性だけのものではない。いや、社会の中枢が男性に牛耳られているからこそ、逆にストリートは女性が闊歩しなければならない。
こうした点で、林加奈子のパフォーマンス作品は興味深い。路上を行き交う人びとの前でしゃがみこんだり、公園の樹木に着衣の毛糸を延々と巻きつけたり、林のパフォーマンスはストリートと少女性を両立させながら、ヒップホップカルチャーに偏っていた従来の男性中心主義的なストリート・アートを是正しているからだ。ややもするとすべての作品に通底する詩的雰囲気に流されてしまいがちだが、林の作品の醍醐味は詩的な陶酔感というより、ストリートの野蛮性に少女性を巧みに忍ばせる鮮やかな手並みにあるのであり、その一見無邪気に見える振る舞いこそ、従来のストリート・アートにはなかった林加奈子ならではの特質であるように思う。

2012/03/02(金)(福住廉)

陶芸の提案 2012

会期:2012/02/20~2012/03/03

ギャラリー白[大阪府]

大阪のギャラリー白で毎年開催されている若手陶芸作家展。今回はギャラリー白と白3での展示に11名が参加した。秀作揃いの作品をみていると、20-30代の美術家がなぜ、表現手段として陶を選んだのかなどの疑問を抱くこと自体、無意味に思えてくる。どれほど新しいメディアが開拓されようとも、新旧各々のメディアにはそれのみが持ちうる性質があるという当たり前のことに気づかされるからだ。
 木野智史の《翠雨》はその土という素材のみが持つ質感だけがそこにあるような印象をもたらす[図1]。ラッパ型に丸められた、紙のように薄い磁器土は轆轤と焼成の技術を駆使したものには違いない。だが、木野の作品をみていると、土という素材が、たとえ機械仕上げのように滑らかな表面に仕上げられるにせよ、人間の手の痕跡をその内部に抱き続ける素材であるということを考えずにはいられない。そして、木野の手の痕跡は、抽象的な空間美へと昇華させられている。
 対照的に、増田敏也の陶の野球ボールがモニターの内部から画面を突き破って外に飛び出す作品は、その「手の痕跡」とハイテクとのあいだで宙づりになるジレンマを吐露するかのようだ[図2]。1977年生まれの増田の心象風景は、幼い頃テレビゲームで遊んだ初代スーパーマリオの粗いドットの画像であるという。彼は、虚構が虚構としての記号を有していた最後の時代の証人のごとく、重い陶の野球ボールを初代マリオと同様、粗いドットでつくる。このボールは増田自身の投影であるのか? そのボールはデジタル世界から外の物質世界へと抜け出て、ふたつの世界の境界であるモニター画面の破片とともに落下するのだ。ここに暴き出されているのは、もはや現実と虚構の境目にしか居場所がなくなった現代人の姿であるのかもしれない。[橋本啓子]

1──木野智史《翠雨》、2012
2──増田敏也《Low pixel CG 「場外」》、2012
ともに撮影=南野馨

2012/03/03(土)(SYNK)

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