2019年07月15日号
次回8月1日更新予定

artscapeレビュー

2012年04月01日号のレビュー/プレビュー

麻生知子「内祝」

会期:2012/03/03~2012/03/31

Gallery Jin Projects[東京都]

「VOCA2011」展に参加した麻生知子の個展。畳やちゃぶ台、焼き魚、親父の剥げ頭などを描いた平面作品を発表した。おもしろいのは、それらの大半を真上から見下ろす視点から描き出しているところ。それらが壁面に展示されているから、水平方向に鑑賞しつつも、垂直方向に見下ろすようなトリッキーな視覚経験を味わえる。今回の新作のなかには盆踊りを描いた作品があったが、これも三面図のようにいろんな視点から描いており、視点がめまぐるしく入れ代わる運動性がおもしろい。麻生が描き出しているのは、彼女にとっての記憶の原風景のように見えるが、それをいろんな視点から再構成することで、見る者に記憶を立体化するトレーニングを求めているようだ。ここに、「平面」の今日的な効能が認められるような気がする。

2012/03/18(日)(福住廉)

ハギエンナーレ2012

会期:2012/02/25~2012/03/18

萩荘[東京都]

谷中に建つ築50年以上のアパート「萩荘」で催されたグループ展。東京芸大の学生の住居やアトリエとして使用されていたが、この春の閉鎖と解体に先立ち、10人前後の若いアーティストたちが作品を展示した。室内にあるはずのカーテンを室外に、逆に室外に置かれている植木鉢を室内に設えたり、一部屋を丸ごと鳥小屋に改造して小鳥を放ったり、随所で工夫を凝らしていて、なかなかおもしろい。ただ全体的には控えめで、解体が決定しているという空間のメリットを十分に活かしきれていないようにも思った。このように居住空間を展示場に転用する展覧会は数多いが、無理にホワイトキューブに仕立てたとしても逆効果に終わることが多い。むしろ、東京・麻布のフランス大使館で催された「5th Dimention」展や大阪・西成の新福寿荘における「梅田哲也展」のように、解体を見越して破壊に破壊を重ねる作品のほうが、よく映える。自己の内発的な表現といえども、アーティストであれば、空間の質に応じてかたちを整える才覚も必要とされるのではないか。

2012/03/18(日)(福住廉)

東日本大震災復興支援プロジェクト展「つくることが生きること」

会期:2012/03/11~2012/03/25

3331 Arts Chiyoda[東京都]

東日本大震災の復興に向けて各地で活動している支援プロジェクトをまとめて紹介する展覧会。単独のアーティストをはじめNPO団体、建築家チーム、大学研究室、企業などを含めて約70組による活動が一挙に展示された。会場には、プロジェクトの活動を記したパネルや写真、映像が密集しており、その圧倒的な情報量の迫力がすさまじい。一つひとつの声に耳を傾けることが難しくなるほど、こちらに発信する熱意がひたむきなのだ。その困難を回避するためだろうか、復興リーダーへのインタビュー映像はモニターを縦に設置して、来場者がその前に座ると、目線がちょうど合うように工夫されていた。復興のために尽力しているのが、まさしく一人ひとりのヒトであることを強調していたようだ。復興が必然的に長期的なプロジェクトになる以上、このような展覧会も持続的に開催されることが期待される。

2012/03/18(日)(福住廉)

VOCA展2012

会期:2012/03/15~2012/03/30

上野の森美術館[東京都]

19回目を迎えたVOCA展。特定の様式や流行に収斂しがたいほど多様な平面作品をそろえた展観は例年とあまり変わらない。けれども例年以上に気になったのは、全体的に作品のサイズがあまりにも大きすぎるのではないかということ。出品規定の限界ぎりぎりまで巨大化させたような作品が数多く、その大半が必ずしも功を奏していないように見受けられた。
たとえば、桑久保徹。例によって海岸の夢幻的な光景を描いた油絵を発表したが、壁面を埋めるほど巨大なそれは、2点の作品をひとつにまとめて額装したものだという。たしかにサイズの迫力は認められるものの、桑久保の他の作品と比べると、画面の構成が粗く、全体的に大味すぎる。絵具の塗り重ねも単調で、何より桑久保絵画の真骨頂ともいえる艶やかな光沢感がまったく失われていた。そこに震災の影を見出すことはできるにしても、これはやはり支持体のサイズが大きすぎるがゆえに、肝心の絵が間延びしてしまったのではないかと思えてならない。桑久保が描いた六本木トンネルの壁画にも同じような粗い印象を覚えることを、例証として挙げておきたい。
さらに、ボールペンを塗りつぶす椛田ちひろの作品は、縦方向に3点展示されていたが、これも出品作品がそれぞれ空間を食い合っているため、次善の策として垂直方向に伸ばしているように見えて仕方がない。桑久保も椛田も、横浜市市民ギャラリーあざみ野の「いま描くということ」展に出品していたが、ここでの展示が抜群に優れていたことが、そのように見させてしまったのかもしれない。
しかし、作品の形式としての大きさと内容が必ずしも合致せず、むしろその矛盾が露わになっていることは、多くの来場者の支持を集めていたワタリドリ計画(麻生知子・武内明子)の作品にも該当するように思われる。日本全国を旅しながら各地で撮影した白黒写真を油彩で着色した絵葉書の作品だが、その活動を報告する「ワタリドリ通信」は本来A5版の印刷物であるにもかかわらず、会場にはそれらをひとつにまとめた手書きの大きな「絵画」が展示されていた。活動を手短に紹介するダイジェスト版としては有効なのかもしれない。だが、彼女たちの全国行脚を伝えるメディアはあくまでも「印刷物としての平面」であり、「絵画としての平面」ではなかったはずだ。つまり彼女たちが選び取ったマテリアルは、「絵葉書」と「印刷物」という私たちの身体にきわめて近い(裏返して言えば、「絵画」や「芸術」からは程遠い)、それゆえ本来的に私たちの文字どおり手の中に収まるサイズだったのだ。それを、無理やり身体から引き離し、「絵画」や「芸術」として仕立て上げることを余儀なくされるところに、同時代を生きるアーティストにとっての「平面」のリアリティがある。
VOCA展が「絵画」や「芸術」に拘泥することは、もはやさほど大きな問題ではない。肝心なのは、それらとの偏差によって同時代のリアリティをその都度計測することである。

2012/03/18(日)(福住廉)

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プレビュー:すべての僕が沸騰する─村山知義の宇宙─

会期:2012/04/07~2012/05/13

京都国立近代美術館[京都府]

ダダや構成主義といった前衛芸術から多大な影響を受け、大正末期から昭和初期にかけてジャンル横断的な活躍を見せた村山知義(1901~1977)。彼の業績を、1920年代以降の美術作品を中心に、雑誌、建築、舞台美術、商業デザインなどで振り返る。また、村山がドイツ滞在時に大きな影響を受けたカンディンスキーやクレー、活動を共にした和達知男、永野芳光の作品も展示される。1920年代日本の前衛芸術を語るうえで欠かせない存在ながら、今まで回顧展が開かれなかった村山。その全貌が遂に明らかにされる。

2012/03/20(火)(小吹隆文)

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2012年04月01日号の
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