2019年07月15日号
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artscapeレビュー

2012年04月01日号のレビュー/プレビュー

プレビュー:ART KYOTO 2012

会期:2012/04/27~2012/04/29

国立京都国際会館、ホテルモントレ京都[京都府]

2010年に「アートフェア京都」として産声を上げた京都発のアートフェアが、3年目にして大変身する。名称を「ART KYOTO」に改め、会場は国立京都国際会館とホテルモントレ京都の2カ所に拡大。そこに国内外の100画廊が集結するのだ。2つの会場は地下鉄一本で連絡しているため、移動は思いのほか簡単。さらに、市内各地で複数の公式関連イベントが同時開催されるため、GWの京都はアートイベントが目白押しとなる。東日本大震災、原発事故、不況、円高と逆風が続く今の日本だが、そんな状況下であえて攻めの姿勢を貫く同フェアが成功を収めれば、京都が東京に次ぐ第2の現代アート・マーケットとして広く認識されることになるだろう。

2012/03/20(火)(小吹隆文)

プレビュー:加藤浩史「SHERTER」

会期:2012/03/20~2012/04/01

ギャラリーマロニエ[京都府]

家もしくは矢印を思わせる形態の小オブジェが多数出品されていた。壁面にはレリーフ型の作品数点も。シャープな造形とメタリックな彩色のため、金属か樹脂が素材かと思ったが、よく見ると木目がうっすら透けて見え、すべてが木工作品だとわかった。作者の加藤は長らく金工を手掛けていたが、近年木工に転じたとのこと。フォルムと素材と塗装のギャップに惹きつけられてしまった。展覧会タイトルの「SHELTER」には「小屋」の意味があり、そこから転じて人間生活の要である衣食住の住にも通じる。それゆえ金属ではなく人肌の温かみが感じられる木を素材にしたのかもしれない。

2012/03/20(火)(小吹隆文)

高橋涼子個展──MIND CONTROL

会期:2012/03/17~2012/04/28

studio J[大阪府]

高橋涼子は8年前から人毛を素材とした作品をつくり続けている。今回の個展も、人毛で覆われた球体をモティーフとしたロングネックレスやモビール、人毛でつくった筆で描かれたドローイングなどが並んだ。黒い髪もあれば、金髪やシャーベット色の髪もある[図1]。
 素材が人毛であると知って抵抗感を示す人もいるというが、高橋にとって人毛は「この世で一番美しいもの」だという。このように言うとき、彼女は人毛をあくまでコンテクストを排除した「素材」としてみなしているのだろうか。そういう目でみると、高橋の作品において人毛は、その独特の光沢や質感を作品に付与するための単なる素材であると解釈できなくもない。ネックレスをつくる球体は、人毛だけでできているような外見とは裏腹に、発泡スチロールの球状の芯に毛髪を巻いたものである[図2]。すなわち、球状の芯に金メッキを施すかわりに、毛髪が放つ輝きを求めて人毛による「メッキ」を施しているといえなくもない。
 考えてみれば、われわれが日常着るウールやシルクの服も生ける物の毛や包皮であるはずなのに、人間の髪となると人は鬘以外の用途にそれが使われることに抵抗を感じる。これは多分に、人間にとって人毛とは、それが自らの一部であった記憶を持つものだからだろう。人の毛髪を用いる作家はこれまでにも存在したが、彼ら彼女らの作品ではたいてい「記憶」のような人間の髪のシニフィエが作品を形作るがゆえに、抵抗なく受け入れられてきた。
 実のところ、高橋のモビールの毛髪の球体が生じさせる後れ毛も、それがかつて女性の一部であったことを想起させる。つまり、彼女の作品の人毛は作品制作の材料としての「素材」であるとみなされうる一方で、その次元に完全に還元されることを望むものではない。ネックレスを黒く美しく輝かせる素材としての人毛、そして、身体の一部であった記憶を残すかのような表現……タイトルの「MIND CONTROL」が示唆するように、ふたつの想反する極の狭間に危うく立とうとする繊細な感性の存在がここに感じられる。4月28日まで開催。[橋本啓子]

1──something sweets, 2012, mixed media
2──mind control, 2012, mixed media

2012/03/21(水)(SYNK)

ミクニヤナイハラプロジェクト『幸福オンザ道路』

会期:2012/03/22~2012/03/24

横浜赤レンガ倉庫1号館3Fホール[神奈川県]

演劇の矢内原美邦は高速を目指す。台詞回しも、ときに台詞とはほとんど関係なく行なわれる身体動作も、超速い。速すぎて言葉は聞き取れない。時折、ぐっとくる名言が飛び出しているようなのだが、しゃべりの速さと同じくらい速く記憶される前に消えてしまう。反演劇? でも、矢内原は以前から早口でも観客に台詞は届けたいのだと言っているのだ。ならば、目指すは明瞭に聞き取れる速い演劇? 難しいのなら、台詞担当(声)と動作担当(身振り)を分けてみたらとアフタートークで岡田利規は提案していたけれど、矢内原はそれを両立しうる身体こそ求めているのだから、解決にはならないだろう。以前どこかでぼくは矢内原の演劇はビデオの早回しのようだと書いた。その喩えで言えば、二倍速でも声は明瞭に聞き取れる「時短ビデオ」が矢内原演劇の目標であると、さしあたり言うことができそうだ。
 次の問いはこうなる。なぜ矢内原は高速化を目指すのか? おそらく矢内原が求めているのは役者の身体が非人間化することであり、裏返して言えば、機械化であると推測する。早口でしゃべりながら台詞と無関係な動作を高速で行なうというのは、人間業ではない。人間業を超えたパフォーマンスとともにしゃべることで、言葉というものの人間性を乗り越えようとする、ここにおそらく矢内原演劇の核心がある。そこまでは予測がつくが、さて、それを目指した先になにが見えるのか、この点はまだわからない。だが、こうした発想自体は、歴史を振り返れば、それほど無謀とは言えないはずだ。例えば、戯曲の内容に即応しないアクロバティックな運動を演技に採用した、メイエルホリドの俳優訓練法「ビオメハニカ」と矢内原の考え(とぼくが思うもの)とはそれほど大きく違いはないだろう。矢内原がメイエルホリドならば、岡田利規にはブレヒトを重ねてみてもいい。そう仮に考えることで、演劇の原理的な問いから彼らの取り組みをとらえられるようになるだろう。
 と書きつつ、矢内原演劇の魅力の核心は、さながらアウトサイダー・アーティストのようになにがしたいのか実のところわかっていないかもしれない矢内原の闇雲に前進する様に、はらはらドキドキしながらついていくところにあると思っている。

ミクニヤナイハラプロジェクト『幸福オンザ道路』本公演 トレイラー

2012/03/22(木)(木村覚)

編集のススメ──世界にひとつの本棚

会期:2012/03/23~2012/05/06

ATELIER MUJI[東京都]

本棚を見ればその人がわかる、と言われる。趣味の本、思想の本、娯楽の本……その人が何に、どのように関心を持っているのか、本棚は無言で語ってくれる。この展覧会でギャラリーに展示されているのは3つの本棚。それぞれに収められているのは、3人の編集者たち──鈴木芳雄(『ブルータス』エディトリアルコーディネーター)、矢野優(『新潮』編集長)、岩渕貞哉(『美術手帖』編集長)──の蔵書である。「編集」という仕事に焦点を当てたこの展覧会は、編集者の蔵書を公開することで、彼らが日常生活のなかでどのような情報に接しているのかを知ろうという興味深い試みである。
 ギャラリーの中央には、編集を知り実践するための本(ブックコーディネーター中西孝之によるセレクション)が置かれており、手に取ることができる。だれもが日常生活のなかで多様な情報に接するなかで、取捨選択を行なっているが、それを体系的に行なうための技術を学ぶための本である。3つの本棚には編集者とその知人からのコメント。本棚の本は背表紙を見ることができるだけであるが、それでも読み込まれていることがわかる本、丁寧に保存されている本、複数の同じ本など、本の使われかた、読まれかたがうかがえる。また、3人の本棚をならべることで、それぞれの関心のありかたや、読書のスタイルの違いも見えてくる。
 この企画では、無印良品の大きな本棚ひとつ分(段ボール20箱分)の蔵書をそれぞれの編集者が提供している。もちろん、これが蔵書のすべてではないだろう。となると、この本棚がどのように「編集」されたのかも知りたくなる。そして会期は5月6日までの1カ月半。ここに運ばれた本は、そのあいだ手元になくても困らない本ばかりなのか。本当にその編集者を知るためには、この本棚には何がないのか、なぜそれが選ばれなかったのかについてもよく考える必要があるかもしれない。[新川徳彦]

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2012/03/28(水)(SYNK)

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