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2009年10月15日号のレビュー/プレビュー

北島敬三 1975-1991

会期:2009/08/29~2009/10/18

東京都写真美術館 2階展示室[東京都]

北島敬三のコザ(沖縄)、東京、ニューヨーク、東欧、ソ連でのスナップショット、200点近くを集成した回顧展。手法を微妙に変えつつも、出合い頭の一発撮りに徹した作品群がずらりと並ぶ。特に興味深かったのは東京のパート。1979年に毎月10日間、12回にわたって「イメージショップCAMP」で開催された「写真特急便─東京」の展示風景のスナップ写真である。現像液を染み込ませたスポンジで、壁に貼った印画紙をその場で現像・定着するという伝説のパフォーマンスにあふれ出している、無償のエネルギーの噴出はただ事ではない。
展示を見ながら感じたのだが、北島にとっての最大のテーマのひとつはスナップショットにおける「自己消去」ということではないだろうか。スナップショットは基本的に自己─カメラ─世界という関係項によって成立する。撮影することによって、世界の中に位置する写真家の存在が少しずつ、あるいは一気に浮かび上がってくるということだ。ところが北島は最初から、撮影者としての自己の影をなるべく画面から放逐し、被写体の好みや画像構成の美学もニュートラルなものに保とうとして腐心してきた。初期においては意識的な画面作りを回避するため、ノー・ファインダーやストロボ撮影が多用される。後期ではあたかもわざと下手に撮られた記念写真のような、強張ったポーズ、画面全体の均質化が貫かれる。その「自己消去」への身振りが高度に組織化され、潔癖な清々しささえ感じさせる強度に達したのが、1983年に第8回木村伊兵衛写真賞を受賞した「ニューヨーク」のシリーズだった。
この「自己消去」によって北島が何をもくろんでいるかといえば、その時点における都市と人間、そしてそれらを包み込む時代のシステムを、自己という曖昧なフィルターを介することなくクリアにあぶり出すことだろう。確かに1970年代のコザと東京、80年代のニューヨークと東欧、90年代のソ連の社会・経済・文化などのシステムが、彼の写真群からありありと浮かび上がってくるように感じる。むろんそのシステムは、人々の無意識的な身振りの集積をつなぎ合わせることで、ようやくおぼろげに形をとってくるような、あえかな、壊れやすい構造体である。北島は90年代以降、緊張感を保ちつつスナップショットを撮り続けていくデリケートな「自己消去」の作業を、これ以上続けるのはむずかしいと感じたのではないだろうか。その結果として、あのガチガチに凝り固まった「PORTRAITS」のシリーズに至る。「PORTRAITS」では「自己消去」はあらかじめ作品制作の手順のなかに組み込まれているため、スナップショットの不安定さや曖昧さを耐え忍ぶ必要はなくなる。
スナップショットから「PORTRAITS」への転身は、それゆえ必然的なものだったというのが、今回展示を見て感じたことである。だがそれは同時に、論理的な整合性の辻褄合わせに見えなくもない。スナップショットという揺らぎの場所に身を置きつつ「自己消去」を進めていくことは、本当に不可能なことなのだろうか。

2009/09/05(土)(飯沢耕太郎)

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稲越功一「心の眼」

会期:2009/08/20~2009/10/12

東京都写真美術館 地下1階展示室[東京都]

北島敬三展と同時期に、同じ東京都写真美術館で稲越功一の展覧会が開催されているのが興味深かった。稲越といえば有名女優のポートレートや広告・ファッション系の写真家というイメージが強いが、実はシリアスなスナップショットの写真集も、デビュー作の『Maybe, maybe』(1971)以来何冊も出している。今回の展示は『meet again』(1973)、『記憶都市』(1987)、『Ailleurs』(1993)など、それらの代表作約130点を集成した展示である。
北島と比較すると、いかにも古風な佇まいのスナップショットであり、ここには明らかに自己─カメラ─世界の構造が明確に透けて見える。彼がどの位置に立っているのか、どんな「心の眼」で世界に視線を送っていたのかがすんなりと見えてくるのだ。稲越の好みの立ち位置は、くっきりとした手応えを備えた事物の世界と、不分明で曖昧な現象の世界とのちょうど境目のあたりらしい。近作になればなるほど、ぼんやりとした、何が写っているのか見境がつかないような濃いグレーのゾーンが、画面全体を覆いつくすようになってくる。その正体を彼自身も見きわめようとしていた様子がうかがえるが、残念なことに今年2月に急逝してしまった。「写真家・稲越功一」の像にようやくきちんとフォーカスが合ってきた矢先だったので、無念だっただろう。デビュー写真集の出版元だった求龍堂から、展覧会にあわせて瀟洒な造本の同名の写真集も出ている。

2009/09/05(土)(飯沢耕太郎)

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きのこダンス「キンシーズ!」

会期:2009/09/05

まつだい雪国農耕文化村センター[農舞台][新潟県]

越後妻有の山林には子どもだけに見えるキノコの精霊が棲み、その霊を鎮めるためのキノコ踊りが行なわれてきたという。そのキノコ踊りを現代によみがえらせようとする試みが行なわれた。珍しいキノコ舞踊団ではない。村上華子企画の「キンシーズ」だ。キノコ踊りを再生させるためダンサーの森下真樹が呼ばれ、地元の素人よさこい団体「華焔」とともにダンスワークショップを重ねて、今回の発表となったもの。いわば村上華子と森下真樹と華焔ががっぷり4つならぬ3つに組んだ三位一体のダンス……のはずなのだが、村上のいかにもありそうな空想物語と、森下のモダンダンスから少し脱線した振付けと、華焔の農耕民的な素人丸出し踊りが、それぞれ自己主張しながら3すくみ状態に陥った印象だ。まあ3者がそれぞれやりたいことをやりたいようにやったのなら、それに越したことはないが。ひとつとてもよかったのは、企画者がどこまで計算に入れていたかは知らないが、舞台の向こうの棚田にカバコフ夫妻による農耕民の彫刻が闇のなかから時たま浮かび上がり、舞台上のモダンもどきのキノコ踊りとオーバーラップしていたことだ。

2009/09/05(土)(村田真)

芦田尚美 展「不思議なお茶会」

会期:2009/07/31~2009/09/05

TKG エディションズ 京都 | Tomio Koyama Gallery[京都府]

『不思議の国のアリス』をモチーフにした芦田尚美の陶磁器の作品展。会場に入ると、まず、蓋の部分に“ウサギ”を載せた器が展示されていたのがニクい。展示そのものに物語が設定してある!と胸が躍った。動物や登場キャラクターの立体モチーフが載った蓋物も、封筒や帽子の形をした器もどれも見ているだけで連想が広がっていく。小さな作品が多かったが、クイズのような言葉遊びがいくつも隠されているような気がして、会場を何度もぐるぐると歩き回った。

2009/09/05(土)(酒井千穂)

越後妻有アートトリエンナーレ 大地の芸術祭2009

会期:2009/07/26~2009/09/13

越後妻有地区[新潟県]

午前中に松代の城山に登って汗をかき、昨晩の酒を抜く。中腹に点在する作品は以前にも見たけど、もっと上のほうの國安孝昌と豊福亮の作品は見てなかったのだ。どちらも力作だが、空地に材木とレンガを積み上げた國安のモニュメンタルな構築物がファロス的だとすれば、松代城の内部を金でおおって胎内巡りをする豊福のそれは明らかにヴァギナ的。見事な好対照を見せていた。

2009/09/06(日)(村田真)

2009年10月15日号の
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