artscapeレビュー

2009年10月15日号のレビュー/プレビュー

トロマラマ

会期:2009/07/18~2009/09/13

広島市現代美術館[広島県]

木炭デッサンを少しずつ描き直しながら撮るアニメはしばしば見かけるが、木版画でそれをやったのを見るのは初めて。作者のトロマラマはインドネシアの若手アーティスト3人によるグループ。上映された《セリガラ・ミリシャ》は、まっさらな板に少しずつ彫りながら撮影したものだが、ある程度彫ったら新しい板に換えてまた彫らなければならないから大変な作業だ。その厖大な労力に心を奪われ、へヴィメタの音や社会的メッセージは記憶が薄い。

2009/09/10(木)(村田真)

広島アートプロジェクト2009「吉宝丸」

会期:2009/09/05~2009/09/23

広島市中区吉島地区[東京都]

街なかの広場や倉庫に作品を点在させ、観客はそれを自転車で見てまわるという、ま、最近よくあるやつ。予算も乏しそうだし、名の知られたアーティストも少ないのであまり期待しないで見に行ったら、これが意外とよかった。作品は全体に小ぶりで、場所的にも谷口吉生設計の中工場を除いて「絶景」はなかったが、それぞれの場所に敏感に反応してつくられたサイト・スペシフィックな作品に秀作が多かったように思う。たとえば、倉庫にもともと備わっていた機器類をポップにリニューアルした谷山恭子や、中工場のデッキ突端に対岸のクレーンを模して糸製クレーンを建てた岩崎貴宏、1枚のパンティをほぐした糸で数カ所にクモの巣を張った平野薫、建物の外壁の汚れを削って山水画を描いた水口鉄人(写真)などがいい例だ。また、フライドチキンの骨を組み合わせて小さな人体骨格をつくった祐源紘史や、能面の表面を削ってかわいい顔にしてしまった青田真也など、場所とは関係なくおもしろい作品も散見された。村田真賞は水口鉄人に決定。いやあ、広島まで足を伸ばしてよかった。

2009/09/10(木)(村田真)

トヨダヒトシ『NAZUNA』

会期:2009/09/11

横須賀美術館[神奈川県]

ニューヨーク在住のトヨダヒトシは、スライドショーでしか作品を発表しない写真家。日々撮影した映像を一枚ずつ、等間隔で映し出すだけで、音楽等は一切使わない。ただし時折短い言葉(思考の断片、登場人物のプロフィールなど)が挟み込まれる。そのような上映が80~90分も続くというと、退屈するのではないかと思われるかもしれないが、まったくそんなことはない。僕は彼のスライドショーを3~4回見ているのだが、いつもその流れに引き込まれ、彼の眼差しと同化して満ち足りた時間を過ごす。あえて写真集やDVDなどに作品を収録して公表することを避けているので、まだ「知る人ぞ知る」の存在だが、それでも少しずつトヨダの名前は知られてきている。映像の選択と構成に、紛れもなく独特のセンスがあり、一度見ると癖になってしまうところがあるのだ。
今回、横須賀美術館の中庭にスクリーンを立てて上映された『NAZUNA』は2005年の作品。チラシによれば以下のような内容である。
9.11.01/うろたえたNY/11年振りの秋の東京を訪れた/日本のアーミッシュの村へ/アフガニスタンへの空爆は続く/ただ、/やがて来た春/長くなる滞在/写真に撮ったこと、撮らなかったこと、撮れなかったこと/白く小さな/東京/秋/雨/見続けること
そこには時代や歴史を動かしていく流れがあり、永遠に変わらないような暮らしがあり、かかわりの深い人間の生と死があり、それらを包み込む自然や季節の変化がある。トヨダのスライドの中には、同時発生的に生成/消滅していく、複数の生と死のシステムが組み込まれており、カシャ、カシャという微かな音ととともに、それらが闇に一瞬浮かび上がって、移り変わっていくのだ。「見続けること」という小さな、だが強い思いは、スライドを見ていくうちにごく自然に観客に共有されていくようだった。トヨダの作品については、言葉で解説するのはとてもむずかしいので、ぜひ機会があったらスライドショーに足を運んでほしい。
なお、タイトルの「NAZUNA」は、「よく見ればなずな花咲く垣根かな」という芭蕉の句からとられている。9月12日には同じ会場でトヨダの別の作品『spoonfulriver』(2007)、13日には『An Elephant’s Tail』(1999)も上映された。

2009/09/11(金)(飯沢耕太郎)

卒業設計日本一展2009

会期:2009/09/12~2009/09/26

ギャラリー間[東京都]

「せんだいデザインリーグ 卒業設計日本一決定戦 2009」に出展された全国527作品のうち、ベスト5となった卒業設計作品が展示されていた(上階には別作品も)。審査の過程は、出展できなかった幻の作品「オノマトペ」(菊地尊也)[東北大学]の存在も含め、さまざまに話題になったので、ここで個々の作品評についての繰り返しはできるだけ避けたいが、いくつかのレポートと本展覧会を見て、本年度の審査の軸を二つあぶり出してみたい。ひとつは破壊力/完成度の軸(X)であり、もうひとつは私性/社会性(Y)の軸である。この二つの軸は、相関関係がないわけではなく、破壊力と私性は関連し(第I象限)、完成度と社会性(第III象限)は関連するはずである。そして、このいずれかの象限にあるものは一貫性のため最終的に評価が高まり、そうでない象限(第II象限、第IV象限)にあるものは結局作品としてのバランス感が保てず、特別賞に落ち着いたというのが、事後的に見た筆者の推測と仮説である。
日本一の『Re: edit... Characteristic Puzzle』(石黒卓)[北海道大学]は、完成度と社会性の高い第III象限(端)の作品である。原点からの距離に加え、バランス性が得点を加算した。日本二の『触れたい都市』(千葉美幸)[京都大学]は、破壊力と私性の高い第I象限(端)の作品。日本一となる可能性もあったであろうが、審査員のバランスによって、結果日本二となった。日本三の『THICKNESS WALL』(卯月裕貴)[東京理科大学]は、同じく破壊力と特に私性の高い第I象限(中上)の作品。千葉の作品と同じ象限だったため日本三に。ただし、ギャラ間での展示は、巨大模型が追加されていたようで、迫力があって個人的に好印象だった。特別賞の『下宿都市』(池田隆志)[京都大学]は、完成度にやや傾いた私性の高い第II象限(Y軸正付近)の作品。バランス上、特別賞に。実はこの作品で気になったのは、ローマ都市中心の十字路(カルドとデクマヌス)のように、縦横に横断する軸があったことで、そのことがやや古典的な感じを生んでいた。同じく特別賞の『キラキラ──わたしにとっての自然』(大野麻衣)[法政大学]は、一番微妙で、完成度と破壊力が同居し、私性をむしろ社会性に裏返したような印象の、あえていえば第IV象限(破壊力×社会性)の作品で、位置づけにくいけれども、そもそもこういう軸設定そのものを再考させるような作品のような気がした。難波氏と五十嵐氏が別の理由で同作品を押したというのも、こういうねじれた方向性を持っていたからかもしれない。なお、第II象限と第IV象限は、これから新しいタイプの作品を生み出す可能性があるのではと感じている。
分析図

2009/09/11(金)(松田達)

水都大阪2009

会期:2009/08/22~2009/10/12

中之島公演ほか[大阪府]

かつて大阪は「水の都」といわれたくらい川や運河が縦横に走っていたが、近代以降は水に背を向けフタをしてきた。その水=川にもういちど目を向け、アートでにぎわいを取り戻そうというプロジェクトが「水都大阪」だ。プログラムは、中之島の東端の公園で繰り広げられる体験型の作品やワークショップを集めた「水辺の文化座」、中之島近辺の歴史的建造物に作品を設置する「水都アート回廊」など、いくつかに分かれている。いわば巨大都市を相手にした「水際作戦」だが、それだけにアーティストもプロデュース側も苦戦した様子がうかがえる。自分でポンプを押さなければ水が出ない小沢剛の《人力噴水》や、福沢諭吉らを輩出した適塾に最小限の作品しか置かなかった今村源の《茸的熟考》は、そのへんの事情を逆転させた佳作といえる。

2009/09/11(金)(村田真)

2009年10月15日号の
artscapeレビュー