artscapeレビュー
2011年06月15日号のレビュー/プレビュー
レンバッハハウス美術館所蔵:カンディンスキーと青騎士
会期:2011/04/26~2011/06/26
兵庫県立美術館[兵庫県]
カンディンスキーの伴侶であった画家ガブリエーレ・ミュンター旧蔵の作品を中心に、ミュンヘン市立レンバッハハウス美術館の青騎士コレクションを紹介する展覧会。会場では「青騎士」の活動を概観しながら写実から抽象へと向かうカンディンスキーの作風の変遷を知ることができる。当時の写真資料を含めて約60点と展示数は多くはないが、同時代に展開したその他の芸術運動や芸術理念との違い、カンディンスキーの人となりなどがあちらこちらにうかがえて興味深い。特に新たな表現展開の契機となる1908年頃からの風景の習作には、果敢な実験精神の横溢が表われていて、その筆致や色彩の力強さに惹き付けられる。
2011/04/26(火)(酒井千穂)
岡林真由子 展「不在の窓」
会期:2011/04/26~2011/05/01
立体ギャラリー射手座[京都府]
風景と建物が描かれた画面に人物は登場しない。しかしそれらの月明かりやカーテン越しの空間になにかの気配が漂うような、もう一度振り返って見つめたくなる趣きがある。建物の壁面にぴたりと張り付くように描かれた植物の違和感にも視線を注いでしまう。小さなドローイングのファイルにはパズルの断片のように岡林の作品世界の魅力が詰まっていて、これもいつか展示してほしいと感じるものだった。
2011/04/28(木)(酒井千穂)
【帰心の会】伊藤建築塾・5人の建築家による「震災復興シンポジウム」
会期:2011/05/01
伊藤建築塾神谷町スタジオ[東京都]
神谷町の伊東塾にて、帰心の会のシンポジウムが開催された。東日本大震災を受けて、隈研吾と内藤廣の声がけによって始まったチームである。妹島和世は避難所の体育館に小さなテーブルを置くだけでも空間は変わるのではないかと、山本理顕はコミュニティをつくる仮設住宅を提案するが、現状では制度の壁が高いという。伊東豊雄が提唱したのは、人の批判をしないこと、私よりもわれわれを考えること、そして小さくても、できることから手をつけることである。被災地に8畳の小空間でもいいから、公共性や癒しの場となるような、(ノマド的?)建築の原型をつくれないかという。トップアーキテクトも壊滅した街の風景を前にまだ戸惑い、どう行動すべきかを模索している。3.11を契機に改めて、建築家は社会において信用されている? かを自問するようなイベントだった。会場には、多くのプレスほか、そうそうたる建築家が駆けつけていたのも印象に残る。
2011/05/01(日)(五十嵐太郎)
中山英之 展「小さくて大きな家」
会期:2011/04/27~2011/05/08
AXIS ギャラリー[東京都]
中山英之のとびらプロジェクトに弾みをつけるべく、企画された展覧会である。テーブル・クロスにまとわれた小さな机群のうえに置かれた模型たち。本人が執筆したテキストは、短い説明文だが、思考をぐらぐらさせるような飛翔力をもつ。建物の基盤をとらえなおす、中山の特徴を反映し、会場では模型を置く、テーブルとクロスの繊細なデザインが魅力的だった。
2011/05/01(日)(五十嵐太郎)
アーティスト・ファイル2011──現代の作家たち
会期:2011/03/16~2011/06/06
国立新美術館[東京都]
内外8作家が出品。特定のテーマを設けず、いま注目すべき作家を紹介するというコンセプトなきコンセプトのアニュアル展だが、絵画あり陶芸あり写真あり映像ありインスタレーションありと作品は多彩で、それぞれオリジナリティは高い。たとえばクリスティン・ベイカーの具象とも抽象ともつかない荒々しいタッチの巨大絵画。まるでカーレースの事故を思わせる破壊的イメージや、ジェリコーの《メデュース号の筏》を参照したとおぼしき図像が、表面が湾曲したツルツルの合成樹脂の上に描かれていたりして、それが成功か失敗かはともかく、果敢な試みであることは認めたい。というか、もはやこんなところでしか差別化が図られなくなってしまったのか。タラ・ドノヴァンも、100万本はありそうな透明なストローを壁面に沿って積み上げ、ところどころ出っ張らせたインスタレーションをつくっていて、アイディアとしては感心しないけど、それだけに真似するヤツもいないだろうという「独走性」は感じさせる。それらにはさまれて松江泰治の写真とビデオは一見おとなしく映るが、その質の高さは圧倒的だ。やはり基本に忠実なアートこそ人の心に残るし、歴史にも残ると思う。
2011/05/02(月)(村田真)