artscapeレビュー
2012年10月15日号のレビュー/プレビュー
ドバイ
[アラブ首長国連邦・ドバイ]
ストップオーバーでドバイに滞在する。すごい湿度と気温だった。ホテルを出た瞬間、カメラと眼鏡が曇る。これでは優雅にまち歩きの気持ちにならない。空調の効いたメトロに乗って、ずっと車窓から眺めていると、ポストモダンやアイコン高層ビル、超巨大ショッピングモール、反復する郊外住宅、そしてモスクのミナレットが点在する砂漠の風景が続く。これまで訪れたなかではラスベガス、香港、シンガポールなどの人工都市が近い。
ドバイの旧市街にあるスークもまわったが、あちこちで駅と近接するテーマ型の巨大ショッピングモールが見ものだ。人工の室内スキー場や大きなアクリルの面をもつ水族館が併設されている。インテリアやディスプレイのデザインも本格的で、日本と比べてもあまり遜色がない。こちらルイヴィトンのショーウィンドーにも、いま草間彌生の作品が入っている。そして外装はそれぞれ青木淳や乾久美子のスタイルを下敷きに展開していた。
写真:上から、ドバイのビル群、ドバイモールの水族館、モール・オブ・ジ・エミレーツのルイ・ヴィトン
2012/09/04(火)・05(水)(五十嵐太郎)
林ナツミ『本日の浮遊』
発行所:青幻舎
発行日:2012年6月1日
大ヒットの予感がする写真集だ。林ナツミは2011年1月1日から自分のブログ「よわよわカメラウーマン日記」(http://yowayowacamera.com/)に「本日の浮遊」シリーズをアップしはじめた。そこでは彼女自身がさまざまな場所で飛び上がり、空中を漂っているような瞬間を撮影した写真を見ることができる。最初の頃は、セルフタイマーを使っていたが、タイミングをとるのがむずかしく(最大で300回以上も飛び上がるのだそうだ)、彼女のパートナーで「バルテュス絵画への考察」シリーズで知られる写真家の原久路がシャッターを切るようになった。
このシリーズの魅力は、まずは意表をついた場面設定だろう。彼女の家の周辺や公園など日常的な場面もあるが、駅の改札口やホーム、レストランの中、バスルームなど、思いがけない場所でもジャンプしている。台湾で撮影したシリーズもあるし、最近はステレオカメラで撮影して、立体感を出すために2枚の写真を並べることもある。だがそれよりも、空中を漂っている彼女の姿がいつでも凛としていて美しく、見ていて解放感があるのが人気の秘密だと思う。鳥のように空を自由に飛ぶというのは、人間の見果てぬ夢だったわけだが、それがこのシリーズのなかで完璧に実現しているように感じるのだ。
誰でも疑問に思うのは、林がこの作品を制作するときに、コンピュータによる合成を使っているかどうかだろう。明るさやコントラストを調整する場合はあるが、基本的には画像の合成はしていない。つまり、彼女は100%自分の体を張って「浮遊」しているわけで、そのことが画像から生々しい恍惚と不安と緊張とが伝わってくる理由であることは間違いない。当初は1日1枚の「日記」の形式でアップしていた「本日の浮遊」は、あまりにも手間がかかり過ぎるのでペースが落ちて、現在はまだ6月までしか進んでいない(写真集では3月31日まで)。このシリーズが1年分たまったとき、どんな眺めが見えてくるのかがとても楽しみだ。
2012/09/05(水)(飯沢耕太郎)
田村尚子『ソローニュの森』
発行所:医学書院
発行日:2012年8月1日
タイトルの「ソローニュの森」というのはパリから車で2時間あまりの場所にあり、そこにはラ・ボルド精神科病院がある。その道の専門家には有名な病院のようで、思想家のフェリックス・ガタリが精神科医として勤務していたことでも知られている。田村尚子は、2005年にこの病院の院長であるジャン・ウリと京都で出会ったのをきっかけにして、ラ・ボルドを自由に撮影することを許された。今回まとまったのは、その後の6回にわたったという滞在の記録である。
精神病者の写真というと、ある種のステロタイプな画像がすぐに頭に浮かぶ。だが、田村の写真は、患者たちの歪み、ねじれ、悲惨さなどを強調したそれらの写真とは、まったく一線を画するものだ。たしかに一見して「普通ではない」人たちの姿も写っているのだが、そのたたずまいは柔らかく、穏やかな雰囲気に包み込まれている。それはいうまでもなく、ラ・ボルドが他の精神病院とは違って、患者と病院のスタッフとの、そして外部の世界との境界線をなるべくなくすような、開放性の高いシステムを導入しているからだろう。田村はその空間を「もう一つの国」として受け容れ、パリに戻った時に逆に「社会の檻の中に戻ってしまった」と感じるようになる。
とはいえ、ラ・ボルドに日本人の女性がカメラを持って入り込み、撮影することは、田村にとっても患者たちにとっても、相当に負荷のかかることだったようだ。「カメラは凶器にもなる」ことに田村は思い悩み、一度はラ・ボルドから「脱走」するに至る。だが、もう一度戻ってきて、患者たちの前で自作の写真の「上映会」を行なうことで、ようやくその存在を認めてもらうことができるようになった。一見穏やかな写真群の裏に潜む、心の震え、感情の揺らぎ。それらもまた彼女の写真は鋭敏に写しとっているように見える。
本書は医学書院の「シリーズ ケアをひらく」の一冊として刊行された。同シリーズでは写真集は初めてである。だが、「医療と生活の境界を大胆に横断し、日常を再定義する」という「シリーズ ケアをひらく」の企画趣旨にふさわしい本といえるのではないだろうか。祖父江慎+小川あずさ(cozfish)による装丁・造本が素晴らしい。薄紙を重ね、折り畳んでいくような繊細なレイアウトが、すっと目に馴染んでいく。
2012/09/05(水)(飯沢耕太郎)
建築学概論
帰りの機内、韓国で大ヒットした映画『建築学概論』を見ることができた。建築学生の初恋から10年。彼がつとめる事務所にその女性が再び訪れ、家の設計を依頼し、物語が始まる。現在と過去が交互に進行し、それぞれのエンディングを迎える平行した時間の構造は韓国で話題になった『サニー 永遠の仲間たち』と似ている。それにしても韓国は建築家を主人公とする映画やドラマが多い。自由に恋愛できるロマンティックな職業と思われているのだろうか。
2012/09/06(木)(五十嵐太郎)
第97回二科展
会期:2012/09/05~2012/09/17
国立新美術館[東京都]
夏も終わり、芸術の秋は二科展とともにやってくる……なーんてね。なぜぼくは毎年のように二科展に足を運ぶのか。はっきりいって最初は嘲笑うためだった。見なければ嘲笑えないもんね。ところが最近は二科展を見ながら新しい才能、未知の表現、現代美術にはない魅力を探している自分に気づく。そして、恐ろしいことに、自分も出してやろうかと思ったりもする。ミイラ獲りがミイラになりかねない。さて今年も数百点の駄作の山のなかから、傑作とはいえないまでもひと味違った絵をピックアップしてみよう。二科展に限らず公募団体展ではどれもこれも似たようなサイズのキャンヴァスに同じような額縁をつけて出品するものだが、ひとり長谷川正義は8号程度の小品を出していた。これは逆に目立つ。山岡明日香は既製のキャンヴァスではなく厚さ10センチほどの額縁なしの絵を出品。これも右へならえばかりのキャンヴァス画のなかで文字どおり突出している。桝井絢美は黒い画面に白いチョークみたいな線でドローイングを描いている。これもよく入選したもんだと感心する。できれば本物の黒板にチョークで描いてほしかったなあ。会期中チョークを置いといて観客が自由に描けるようにすれば画期的だし、終われば消して翌年また描き直せば安上がりだし。二科展には意外な発想源がころがっている。
2012/09/07(金)(村田真)