artscapeレビュー

2012年10月15日号のレビュー/プレビュー

ヴェネチア・ビエンナーレ第13回国際建築展(2012)-Common Ground-

会期:2011/08/04~2012/11/25

[イタリア・ヴェネチア]

今年もヴェネチアを訪れた。美術か建築のビエンナーレのどちらかだけなら、2年に一度ですむのだが、両方見るために、毎年の恒例行事である。ジャルディーニの国別パヴィリオンをまわると、日本館は、震災という特殊事情を差し引いても、ほかの展示と全然違う。杉の丸太が地上のピロティからスラブをつきぬけ、天井にまで届くようなインスタレーションのなかに模型が点在する。そして畠山直哉による陸前高田の現在の風景写真のパノラマが囲む。やはり彼が入ったことは、絶大の効果を生みだした。ほかに国別の展示で印象に残ったのは、ITを使うSF的展示と冷戦時の科学都市を紹介するロシア館、ペトラ・ブレーゼの動くカーテンで空間が変容するオランダ館だった。全体テーマがコモングラウンド(共通基盤)だったため、アルセナーレは社会派の堅実なプロジェクトが多い。

写真:上から、日本館、ロシア館、オランダ館

2012/09/01(土)(五十嵐太郎)

ポート・ジャーニー・プロジェクト 横浜⇔メルボルン プルー・クローム個展「リフレクション! 横浜─メルボルンをつなぐ光」

会期:2012/07/16~2012/09/02

象の鼻テラス[神奈川県]

タイトルが長い展覧会は前口上や言い訳が長いのにも似て、あまり内容は期待できない。「ポート・ジャーニー……」の長いタイトルも前半はこの個展の前提を説明するものだが、これがすでに言い訳めいている。つまり横浜は世界各国の港町との文化交流をやっていて、今回はメルボルンとの交流の証として展覧会を開くのだから、意地悪くいっちゃえば文化交流が「主」で、作品は「従」ですよと読めなくもない。実際、会場を訪れたら壁や床に蛍光色のカッティングシートが貼られ、窓ガラスには文字が書かれ(なにが書いてあったか忘れたが)、それなりにインスタレーションしているのだが、会場自体がオープンスペースであるうえ、訪れた日が最終日だったせいか、あるいはなにかイベントが終わったばかりだったからなのか、床に音響か照明の機材が置かれたままになっていて、とても作品を鑑賞する雰囲気ではなかったのだ。これでは作品がかわいそう。おそらくワークショップにでも参加していれば「文化交流」も体験できて、作品の見方も違ったかもしれない。まあ作者自身も「作品そのものは二次的なものであり、作品に関わることで生まれる文化的交流が重要である」と『象の鼻ジャーナル』Vol.2(2012.09)のなかで語っているが。

2012/09/02(日)(村田真)

山村雅昭「ワシントンハイツの子供たち」

会期:2012/08/27~2012/09/09

Place M[東京都]

山村雅昭は1939年、大阪生まれ。1962年に日本大学芸術学部写真学科卒業後、フリーの写真家として活動した。1976年に第一回伊奈信男賞を受賞した「植物に」のシリーズなどで知られている。だが、1987年に急逝してからは、あまりその作品が取りあげられることはなかった。地味だがいい仕事をしていた写真家が、こんなふうに再評価され、写真展が開催されるというのはとてもいいことだと思う(同時に写真集『ワシントンハイツの子供たち』山羊舎も刊行)。
今回展示されているのは、山村が日本大学在学中の1959~62年に撮影していた「ワシントンハイツの子供たち」のシリーズ。ワシントンハイツは終戦直後から1960年代にかけて、現在に代々木公園、NHK放送センターのあたりにあった広大なアメリカ軍居住施設である。いわば「日本の中のアメリカ」がそこにはあったわけで、山村は特にそこに住む子供たちにカメラを向けていった。会場には六切り~四切りサイズのプリントが70点あまり並んでいたが、それを見ると若い山村が単なるエキゾチシズムを越えて、「子供」という存在のなかに潜む未知の領域に触手を伸ばそうとしていることがわかる。ハロウィーンの仮面をかぶった子供の写真が多いこともあって、石元泰博がシカゴで撮影した同じような写真を連想してしまう。だが、山村のアプローチは石元のそれとも違っている。わざとハイコントラストにプリントしたり、構図を不安定にしたり、極端なクローズアップを試みたりして、紋切り型の「子供写真」に陥るのを避けているのだ。スナップというよりポートレートというべき山村の写真は、石元より揺れ幅が大きく、彼自身の身体性がより強調されているともいえる。

2012/09/02(日)(飯沢耕太郎)

田代一倫「はまゆりの頃に 2012年夏」

会期:2012/08/23~2012/09/09

photographers’ gallery/ KULA PHOTO GALLERY[東京都]

田代一倫は東日本大震災直後の2011年4月から、被災地とその周辺の地域の人たちのポートレートを撮影しはじめた。「はまゆりの咲く頃に」と名づけられたそのシリーズは、春、夏、秋、冬と季節を追って撮影が続けられ、そのたびに手づくりのポートフォリオブックとして編集され、写真展が開催されてきた。今回の「はまゆりの頃に 2012年夏」で、ポートフォリオブックは6冊目になり、延べ800人以上の人を撮影してきたという。
田代はとりたてて特別な撮り方をしているわけではない。被写体になってくれそうな人に声をかけ、カメラに正対してもらって、周囲の環境がよくわかるような距離を保ってシャッターを切る。最初の頃は、その難の変哲もないアプローチの仕方がやや中途半端に思えた。だが、これだけの量を見続けていると、むしろ中間距離を保つことの持つ意味が、じわじわと効果を発揮しているように思えてくる。ポートフォリオブックの写真一枚一枚に記載された丁寧なコメントも含めて、田代のジャーナリスティックでもアーティスティックでもない視点の取り方が、被災地の人々の状況とその微妙な変質をしっかりと捉え切っているのがわかってくるのだ。
今回、田代は今まで撮影するのをためらっていった仙台市の歓楽街、国分町の人々のポートレートを撮影し、 KULA PHOTO GALLERYでまとめて展示した。震災直後には「復興バブル」でにぎわっているという報道もあって、「遠い場所」と感じていたのだが、「被災者の気持ちが少しずつ変化」してきているのを感じて、あえて国分町にカメラを向けることにしたのだ。結果として、被災地の「いま」がよりクリアーに浮かび上がってくるいい展示になったと思う。たしかに、東日本大震災をきっかけにして始まった仕事だが、それ以上にこの時代の日本人のポートレートとしての厚みを持ちはじめているのではないだろうか。撮影は「2013年春」、つまり震災から2年後まで続けられる予定だという。ぜひ、やり遂げてほしいものだ。

2012/09/02(日)(飯沢耕太郎)

『会田誠ドキュメンタリー──駄作の中にだけ俺がいる』

会期:2012/09/04

映画美学校試写室[東京都]

この秋、森美術館で大規模な個展「天才でごめんなさい」をひかえた会田誠のドキュメンタリー映画。2009年から約1年間、北京のアトリエと首都圏の自宅やギャラリーを行き来する会田を追っているのだが、そのあいだしこしこと制作を続けていたのが、30人以上の水着姿の女子高生を大画面に詰め込んだ《滝の絵》と、数百人のサラリーマンの山を描いた《灰色の山》。どちらも超大作なのでなかなか完成せず、酒やタバコを飲みながらグチをこぼし、自分に言い訳しながら進めていく様子が描かれている。彼にはいささか自虐的、露悪的なところがあるが、それは自分の才能や立ち位置をよくわきまえていることの裏返しともいえる。だいたい絵がうまいということは単に描画テクニックに長けているというだけでなく、物事の本質を的確につかむ能力があるということなのだ。その点まさに会田は「天才」である。でなければ「駄作の中にだけ俺がいる」なんていえないだろう。監督はおもにテレビのドキュメンタリー番組を手がけてきた渡辺正悟。ひとつ意外だったのは、ナレーションで語られる「私」の主語が妻の岡田裕子であること。つまりこの映画は妻の視点で見られ、語られた会田誠なのだ。
[ユーロスペースほか、2012年11月10日(土)~]

AIDA a natural-born artist

2012/09/04(火)(村田真)

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