artscapeレビュー

2016年05月15日号のレビュー/プレビュー

双六でたどる戦中・戦後

会期:2016/03/19~2016/05/08

昭和館[東京都]

双六から戦中と戦後の歴史を振り返った企画展。双六は江戸時代には正月を楽しむ遊びとして親しまれていたが、明治以後、印刷技術の発達に伴い雑誌の付録として定番化すると、庶民の暮らしの隅々にまで浸透した。ある一定の定型をもとにしながらさまざまな意匠を凝らす遊戯。そこには同時代の社会情勢や時事的な風俗、政治的なイデオロギーなどが、ふんだんに取り込まれているため、双六の表象には社会や歴史のダイナミズムが如実に表わされていることになる。この展覧会は、昭和館が所蔵する130点の双六によって、戦中から戦後にかけての歴史的変遷を振り返ったものだ。
注目したのは、やはり戦中の双六である。戦後の双六が人気キャラクターによって未来社会や科学技術の発展を謳う、いかにも平和主義的なイデオロギーが反映されているのに対し、戦中のそれは露骨に軍国主義的なイデオロギーによって貫かれているからだ。前者に安穏としていられる時代はもはや過ぎ去り、後者へと足を踏み入れかねないキナ臭さを感じる昨今、戦中の表象文化から学ぶことは多いはずだ。
例えば本展の最後に展示されていた《双六式国史早わかり》(1931)は、178個のコマを螺旋状に組み立てた大きな双六で、円の中心のフリダシから右回りに外縁を進んでいく構成。中心の出発点に天照大神が描かれているように、双六の時間性と国史のそれを重ねながら体験することが求められている。だが恐ろしいのは、そのゴール。そこにはただ一言、「国民の覚悟」と書かれているのだ。1931年と言えば満州事変を契機に日本の軍部が暴走し始めた時代であるから、早くも庶民の大衆文化にまで軍国主義的なイデオロギーが行き届いていたことがわかる。
だが、軍国主義的なイデオロギーとは必ずしも強権的な暴力性によって庶民に強制されるわけではない。そのことを如実に物語っていたのが、横山隆一による《翼賛一家》である。1940年、大政翼賛会宣伝部の監修により朝日新聞社から発行されたこの双六は、大和家という一家のキャラクターの人生の軌跡をなぞったもの。国民学校を卒業したのち、八百屋や本屋、大工、サラリーマンといったさまざまな職能を経ながら、勤労奉仕、防空演習、国民服、回覧板、産業報国、枢軸一体、日満支一体といった戦時体制へと突き進んでいく。その先にあるのは「忠霊塔」であり「富士山万歳」であるから、当時の国民は戦争で死ぬこと、すなわち「英霊」となることが期待されていたわけだ。つまり庶民にとって親しみのある漫画的表象が、このような恐るべき既定路線を自然に受容させる、ある種の「イデオロギー装置」(ルイ・アルチュセール)として機能しているのである。
双六のもっとも大きな特徴は、それが直線的な時間性によって成立している点にある。どれほど進路が曲がりくねっていたとしても、あるいはどれほどそれを行きつ戻りつしたとしても、出発点と到達点を結ぶ時間の流れはあらかじめ決められている。逆に言えば、未知の時間に逸脱する可能性は最初から封印されているのだ。双六が、このような運命論的な受容性を日本人の国民性に畳み込んできたことは想像に難くない。だが戦前回帰の気配が漂い始めた昨今、私たちが想像力を差し向けなければならないのは、直線的な時間性を撹乱し、新たな時間の流れを切り開くことである。既存の価値観を根底から覆すことのできる現代アートのアクチュアリティーは、おそらくここにある。

2016/04/14(木)(福住廉)

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ヨーロピアン・モード

会期:2016/03/08~2016/05/17

文化学園服飾博物館[東京都]

2階展示室は、18世紀後半ロココの時代から20世紀末まで、女性モードの通史を見せる毎年恒例のヨーロッパを発信源とする服飾史の入門展示。ドレス等の実物資料のみならず、ファッションの変遷をそれぞれの時代の社会的背景──政治、経済、戦争──とともに紹介しているので、服飾を学ぶ学生のみならず、歴史に関心を持つ人ならばとても興味深く見ることができると思う。とくに今年はファッション関連の展覧会がいつになく多く予定されており、本展はその予習・復習にも最適だ。
今回展示されているファッション関連資料で興味深いものは、19世紀後半から20世紀初頭にかけての百貨店や通信販売のカタログ、ファッション誌、そしてファッション誌に綴じ込まれた型紙。19世紀半ば以降、ファッションが産業化してゆく頃に百貨店が登場し、既製服の販売が行なわれるようになる。1870年代のルーヴル百貨店(仏)のカタログには、ドレスやコート、帽子やタイ、子供服のイラストが網羅されていた。ありとあらゆる生活用品が掲載されていたモンゴメリー・ウォードやシアーズ・ローバック(米)の通信販売カタログにも多くの種類の女性服、子供服が掲載されている。こうしたカタログからは、ハイファッションではない、人々が日常的に身につけていたファッションとその価格を知ることができる。また、服は買うものであるだけではなく、つくるものでもあった。19世紀後半には印刷技術の進歩によりモード誌は大型化、低価格化し、雑誌の購入層が下方に拡大。それにともなって実用的な記事が増え、掲載されたドレスの実物大型紙が綴じ込まれるようになった。型紙は用紙を節約するために、各所のパーツが実線、破線、点線に分けて重ねて1枚の大きな紙に印刷されており、購読者はこれを別の紙に写しとって使用する。テキスタイル産業の機械化による布の価格低下、ミシンの登場と割賦販売による家庭への浸透が、ファッションを人々に身近なものにしたであろう様相がこれらの展示資料から窺われる。
1階展示室は、「モードの帝王」と呼ばれたイヴ・サン=ローラン(1936-2008)の特集。クリスチャン・ディオール急逝(1957)の後、1958年に21歳でメゾンを継いだイヴのウールのドレス、1962年の独立から1980年代までの仕事を作品と資料とでたどる。ドレスのキャプションにはタグの写真が添えられている。1968年のイヴニング・ドレスのタグには「PAR SEIBU TOKYO」とある。西武百貨店の堤清二は、パリ在住の妹・堤邦子を通じて1960年代に百貨店業界のなかではいちはやく欧米ブランドを導入している。西武とサン=ローランはオートクチュールラインのライセンス契約を結んでいたそうだ。[新川徳彦]


『ハーパース・バザー』付録の型紙(1880年1月)


展示風景

2016/04/15(金)(SYNK)

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大原治雄「ブラジルの光、家族の風景」

会期:2016/04/09~2016/06/12

高知県立美術館[高知県]

大原治雄(1909~1999)はユニークな経歴の持ち主である。高知県に生まれ、1927年に17歳でブラジルに渡って、パラナ州ロンドリーナで農場を経営した。その傍ら、1938年から家族との日々や農場での暮らしを撮影し始め、膨大な量の写真を残している。戦後の1950年代にはサンパウロのアマチュア写真家クラブに加わり、国内外の写真サロンに出品してアマチュア写真家として知られるようになる。死後、その評価は次第に高まり、2008年からブラジル各地を巡回した写真展は、10万人以上の観客を動員したという。その大原の代表作182点を展示した本展は、いわば故郷への里帰りの展覧会ということになる。
大原は日本で生を受けたが、写真を独学で学び、撮影したのはブラジルだった。繊細で、細やかな自然観察は日本人特有のものに思えるが、被写体の選択や構図は明らかにラテンアメリカの写真表現の伝統を踏襲している。メキシコ時代のエドワード・ウェストンを思わせる造形的、構成的な写真もある。また、のちに子供たちのために母親の生涯をアルバムとしてまとめたというエピソードからもわかるように、「写真作品」として撮影されたものではない、プライヴェートな記録写真もたくさん残している。逆に妻の幸(こう)や9人の子供たちを、のびやかに撮影したそれらの写真群こそが、彼の真骨頂であるようにも思えてくる。それらはブラジルの一家族のアルバム写真というだけでなく、誰もが自分の記憶や経験と重ね合わせて見ることができる、開かれた普遍性を備えているように思えるからだ。
なお、本展は兵庫県の伊丹市立美術館(2016年6月18日~7月18日)、山梨県の清里フォトアートミュージアム(同10月22日~12月4日)に巡回する。カタログを兼ねた写真集(サウダージ・ブックス)も刊行されている。

2016/04/15(金)(飯沢耕太郎)

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《北京建築大学 新キャンパス》

[中国]

2週連続の中国出張となったが、再び北京に到着し、郊外の北京建築大学の新キャンパスに直行する。王昀が実現した1/1の模型としての長さ48mのパヴィリオンを見学した。エリック・サティの楽譜の一部を切り取り、そのまま図面化したものである。現場を体験すると、音が大きく反響する興味深い空間が生まれていた。ガラスはなく、躯体だけ完成しており、これから、あるいはかつて家だったような建築の祖型になっている。

2016/04/15(金)(五十嵐太郎)

「建築と音楽」展

会期:2016/03/18~2016/04/28

北京建築大学 ADA画廊[中国、北京]

街中の北京建築大学へ。キャンパスにあるADA画廊の「建築と音楽」展を鑑賞した。王昀がさまざまな図形楽譜をもとに建築化を試みる模型を展示している。いずれも屋根がなく、かつての使い方を想像させる遺跡のようだった。なお、ここでは同大学の批評家・キュレーターの方振寧が関与し、過去にル・コルビュジエ、中国とフルクサス、マレーヴィチ展などを開催しており、こういう施設が大学にあるのは羨ましい。
王昀の研究室では、最近の仕事として蘇州古典園林庭園を抽象化し、現代建築的な構成に変容させる試み、世界の集落配置図を抽象絵画のように描く絵画シリーズなどを見せてもらう。いずれも何々と建築をつなぐ精力的な活動である。

写真:左上から、《北京建築大学》、「建築と音楽」展、図形楽譜の建築化 右上から、ADAギャラリー、王氏の研究室、蘇州庭園の抽象化、図形楽譜の建築化

2016/04/15(金)(五十嵐太郎)

2016年05月15日号の
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