artscapeレビュー
2016年05月15日号のレビュー/プレビュー
松山賢個展「ヒロインズモウコズエンコウズ」
会期:2016/04/01~2016/04/17
みうらじろうギャラリー[東京都]
謎めいたタイトルを分解すれば、「ヒロイン図」「猛虎図」「猿猴図」となる(最後は「援交図」かと思ったが)。ヒロイン図はロリ系の美少女図で、ヌードもあればマンコーズもあり、モネの《印象・日の出》など名画との合わせ技もあって3度おいしい。猛虎図はどう見ても子猫の絵で、長沢蘆雪の《虎図》が子猫ちゃんになってたり。猿猴図は牧谿をはじめ長谷川等伯や狩野派の絵師が得意としたテナガザルの図で、パステルカラーを多用してカワイさを強調している。小品が中心で、油彩、水彩、色鉛筆などさまざまな画材を用いている。芸術性のみならずポップ性や市場性まで視野に入れてる点、アーティストの鑑だ。
2016/04/16(土)(村田真)
第10回shiseido art egg 七搦綾乃 rainbows edge
会期:2016/03/30~2016/04/22
資生堂ギャラリー[東京都]
七搦と書いて「ななからげ」と読む。木彫だが、これがなかなかのクセモノ。干からびた植物(バナナの茎や皮らしい)に布を被せた状態を木に彫るというめんどうな作業だが、それがどことなく人体(しかもミイラのような異形の)を思わせるのだ。奥の部屋には《乾燥した大根の虹》と《乾燥したパイナップルの太陽》があるが、干し大根は虹というより胎児の干物みたいだし、干しパイナップルは太陽というより巨大な肛門に見えてしまう。一見地味だけど滋味あふれる彫刻。
2016/04/16(土)(村田真)
TILT/ティルト コンクリート抽象
会期:2016/04/01~2016/04/30
メグミオギタギャラリー[東京都]
グラフィティライターの展覧会がつまらないのは、ふだん壁に描いてるイメージをそのままキャンバスに縮小再生産しようとするため、のびやかさも緊張感もスケール感も失われ、妙に矮小化されてしまうからだ。だいたいキャンバスに描くならスプレーを使う必要はなく、絵筆で描くべきだ。フランスのグラフィティライターTILTがユニークなのは、キャンバスではなく大きな壁面にスプレーなどで描き、それを分割してタブロー化していること。そのためTILTの作品はオールオーバーで、ひとつのまとまった全体性より、大きなピースの一部であるという部分性が強調され、そこに壁から直接切り取ってきた臨場感が付加される。だからのびやかさもスケール感も失われていないのだ。その壁があらかじめ用意されたものであるとしてもだ。今回はグラフィティを施された建物の側面をそのまま切り取ってきたような巨大作品も展示。
2016/04/16(土)(村田真)
「建築と音楽」展 シンポジウム
会期:2016/04/16
清華大学[中国、北京]
「建築と音楽」のシンポジウム@北京・清華大学に登壇した。同大に拠点を置く雑誌『世界建築』の2月号の特集テーマに合わせた企画である。以前は『建築文化』『SD』『10+1』などの雑誌が特集主義で刊行されていたが、最近日本の建築メディアは単なる作品紹介ばかりで、こうした切り口が激減したなと痛感する。シンポジウムの後、編集者に案内してもらいながら、清華大学のキャンパスを散策する。三度目の訪問だが、周辺部の官舎、ゲストの宿泊施設のほか、大学名の由来となる場所、江南風の庭園、いわゆる西洋風の大学を思わせる一角、牡丹園など、実に広大である。多くの観光客や市民もキャンパスの自然を楽しんでいたのが印象的だった。
シンポジウムの後、清華大学近くの書店に立ち寄る。翻訳された筆者の本も置いてあったが、海外の翻訳書が全ジャンルにわたって、よく揃っていることに感心した。しかも値段が安い。日本だと新書や文庫は安いが、ハードカバー、専門書、翻訳書になると、結構高い。しかし、日本語訳なら2,000円以上はするローラン・ビネやミラン・クンデラの本でさえも、中国語訳だと、現地のコンビニでちょっと食べ物や飲み物を買い物するより安い。これなら学生も気兼ねなく本を購入できるだろう。
写真:左上3枚=《清華大学》、左下=宿舎 右上=マリオボッタによる美術館、右下2枚=《清華園》
2016/04/16(土)(五十嵐太郎)
オーダーメイド:それぞれの展覧会
会期:2016/04/02~2016/05/22
京都国立近代美術館[京都府]
英語の展覧会タイトル「ORDER & REORDER CURATE YOUR OWN EXHIBITION」が端的でわかりやすい。所蔵品を用いた本展では、展覧会の入り口が2カ所用意され、観客は好きな方を選択できる。エントランスの吹き抜けから階段で展示室に上がる「ORDER(秩序)」を選ぶと、右回りの一筆書きの導線に沿って、11個のキーワードに仕切られた展示空間を順番に回れるようになっている。一方、エレベーターを使って展示会場に入る「REORDER(再配列)」を選ぶと、左、右、中央、どちらへも進める導線のない空間が現われ、仮設壁が立ち並ぶ迷路のような空間を進むことになる。
本展のもうひとつの特徴は、作者別、年代順、素材やジャンル毎といったオーソドックスな分類方法を採らず、11個のキーワードを設けて展示構成を行なう点であり、コレクションの再配列であるとも言える。11個のキーワードは、「Color/Monochrome」「Frame」「Object」「Money」「Readymade」「Beyond Order」「ID」「Play」「Body」「Still/Moving」「Reorder」。日本画と写真、写真と油彩画が並列化され、映像インスタレーションと静物画が対面する。一方、笠原恵実子や森村泰昌、デュシャンなど複数出品された作家の作品は、会場のあちこちに点在して置かれている。そこでは、隣接した/離れた作品どうしの関係性を読み解く知的な楽しみとともに、新たな「タグ付け」を増やすことで、さらなる再配列を呼び起こす流動性が潜在している。例えば、「REORDER」に配された都築響一の《着倒れ方丈記》の写真シリーズは、エルメスやマルタン・マルジェラ、アンダーカバー、ナイキといったファッションブランドによって自己のアイデンティティを規定する人々のポートレートであるという点で、「ID」のキーワードとも結びつく。一方、色とりどりの市販のマニキュアを、魅惑的な商品名のアルファベット順に並び替え、グリッド状のカラーチャートとして整然と並べた笠原恵実子の《MANUS-CURE》は、「Color/Monochrome」に配されているが、「REORDER」に組み込むことも可能である。さらに、「ID」に配されたクシシュトフ・ヴォディチコの映像インスタレーション《もし不審なものを見かけたら……》は、暗い展示室に縦長の4つの窓が開けられ、すりガラス越しに映る人々の行為を眺めているような作品である。談笑する2人、携帯電話で話す人、窓ガラスの掃除をする人、うろつく犬、メッカへの祈りを捧げる人……。話し声は頭上のスピーカーから途切れがちに聴こえるが、影絵のシルエットで映される彼らが何者であるのかはわからない。しかし不穏なタイトルは、彼らが不法移民であるかのような可能性をちらつかせる。不透明な「窓」という装置を通して平穏な日常風景と不穏さのあいだを不安定に揺るがせる本作は、「Frame」のキーワードとも接続可能であり、この接続によって「Frame」は絵画の額縁やカメラのフレーミングといった美術内部の文脈から、移民の排除や監視などの社会制度や規制をも含むようになり、より社会的な意味を帯びたものへと拡張していくだろう。
美術館は、秩序化されたコードに従って作品を収集・分類し、理想的なコレクションを目指して目録を埋め充実させていく使命を帯びているが、その現実的な現われとしては、テンポラルな流動性や仮設性を伴っている。またそれぞれの個別的な作品には、カテゴリーや分類化を逸脱するポテンシャルが内在しうる。その意味で、美術館のコレクションとは、完結することなく、無数の再接続や秩序の組み換えの可能性を秘めた巨大な資料体である。一つの作品を複数の文脈へと接続させていくこと、新たな作品の追加・参入によって、文脈自体が更新・書き替えられていくこと、貼られたリンクが固定的ではなく、動的な流動性を秘めていること。このように、既存の秩序の再配列やオルタナティブな展示の可能態を観客の想像力のなかで促し、逸脱と(再)接続、相対化によってつねに活性化され続ける有機的な場所としてコレクションを捉える視座を開くとともに、「美術館における主体は誰か(誰がありうるのか)」という問いを喚起させている点に、本展の優れた意義がある。
2016/04/17(日)(高嶋慈)