2024年03月01日号
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artscapeレビュー

2011年07月15日号のレビュー/プレビュー

「驚くべき学びの世界」展

会期:2011/04/23~2011/07/31

ワタリウム美術館[東京都]

デザインの視点から見たとき、北イタリアの小さな町において、なんという自由で創造性のある教育が行なわれているのかと感心させられる。これを経験した子どもはどんな大人になるのだろうか。ぐるぐると大きなリボンを巻いたような、平田晃久の会場デザインは実に彼らしい空間になっている。鑑賞者は、立体的に展開する一筆書きの面を追いかけ、ときにはそれが生みだす内部に入り、空間を体験していく。低コストでも充分に展示の場をつくるデザインだ。地下では、平田による建築模型展も同時開催されていた。

2011/06/14(火)(五十嵐太郎)

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「プラド美術館所蔵:ゴヤ──光と影」記者発表

会期:2011/06/14

スペイン大使館[東京都]

ゴヤといえば40年前、ぼくが高校生のときに国立西洋美術館で「ゴヤ展」を見たなあ。このときは《裸のマハ》と《着衣のマハ》が対で出品されたり、晩年の壁画「黒い絵」がパネル展示されたりして話題を呼んだ。もうひとつ覚えているのは、当時500~600円が一般的だったカタログがこのとき800円もして驚いたこと。以来カタログは分厚く高価になる一方だ(といっても一般書籍に比べれば割安だが)。で、40年ぶりの「ゴヤ展」はやはり国立西洋美術館で開催されるが、残念ながらマハは着衣だけで裸のほうは来られないそうだ。裸も見たいよお。でも、ゴヤ特有の暗さを放つ肖像画が何点か来るし、晩年の自画像も見られるので楽しみ。ところで、西洋美術館の青柳正規館長はあいさつで、タイトルの「光と影」を「光と闇」に間違えていた。館長、「光と闇」はつい先日まで西洋美術館でやっていた「レンブラント展」のキャッチコピーですよ。かくも西洋絵画には「光と闇」の表現が多いというか、日本人は西洋絵画に「光と闇」を見出したというか。はからずも東西の絵画表現の根本的な違いにまで思いを馳せてしまうのだった。

2011/06/14(火)(村田真)

平竜二「Vicissitudes 儚きもの彼方より」

会期:2011/06/08~2011/07/10

LIBRAIRIE6[東京都]

あまり他に例のない独特の作風の持ち主だと思う。平竜二は1960年熊本生まれ。高村規に師事してコマーシャル写真の仕事をした後、1988年に渡米し、ニューヨークで栗田紘一郎からプラチナプリントを学んだ。プラチナプリントは光と影の中間の領域を豊かなグラデーションで表現できるが、技術的にはかなりコントロールが難しい。平のプラチナプリントは完成度が高く、ここまで完璧に使いこなせる写真家はあまりいないのではないだろうか。
今回展示された「Vicissitudes 儚きもの彼方より」は二つのシリーズで構成されていて、ひとつはタンポポやオジギソウなど自分で種子から育てた植物を、シンプルに黒バックで撮影したもの。植物のフォルムを、細やかに、愛情を込めて写しとっている。もうひとつのシリーズでは、カメラの前にフィルターを置き、そこに写る影を長時間露光で定着した。光源が 燭のように淡く、弱い光なので、被写体になっている花や昆虫の影に微妙な揺らぎが生じてきている。こちらの「影」シリーズの方が、この写真家の「儚きもの」に寄せるシンパシーと、生きものの微かな命の震えを受けとめる感度の高さをよく示しているように思えた。
日本の写真家で、このように繊細な美意識の持ち主ということになると、中山岩太の1930~40年代の仕事くらいしか思いつかない。「影」シリーズの、どこからともなく射し込んでくるほのかな光の質も、中山と共通している。ただ、中山の濃密なエロティシズムを感じさせる作品と比較すると、平のプラチナプリントがどこかひ弱な印象を与えることは否定できない。さらにこの独自の作品世界を突き詰め、毒や怖さをも秘めた生命力のエッセンスをつかみ取ってほしい。

2011/06/15(水)(飯沢耕太郎)

東日本大震災:いわき市、いわき市久之浜、いわき市小名浜、日立市、日立市河原子町ほか

会期:2011/06/15

[福島県、茨城県]

常磐線に乗って、いわき、久ノ浜、小名浜、日立、河原子町などをまわった。茨城も津波は襲っているが、岩手や宮城に比べると被害が少ないこともあり、メディアではほとんど報道されていない。また津波よりも相対的に地震の被害が目立つ。数カ所の被災地を見て、すべてをわかった気にならないよう、北は青森、南は千葉まで歩いたが、身体で日本列島をスキャンするような作業に、東日本大震災の被害の広域さを思い知らされる。

2011/06/15(水)(五十嵐太郎)

安井仲治 写真展 1930-1941

会期:2011/06/06~2011/07/31

写大ギャラリー[東京都]

何度見ても、安井仲治の作品には驚かされる。「安井仲治は日本近代写真の父である」と喝破した森山大道をはじめとして、多くの論者がその天才ぶりに驚嘆し、38歳という早過ぎた死を惜しんでいるが、それでもなおまだ充分な評価を得ているとはいえないのではないだろうか。今回の東京工芸大学中野キャンバス内の写大ギャラリーでの展示を見ても、この人の存在は時代に関係なく底光りをする輝きを放っているように思えるのだ。
今回は新たに収蔵された安井のモダン・プリント30点のお披露目ということで、1930年に「第3回銀鈴社展」に出品された「海港風景」から、早過ぎた晩年の傑作《雪》(1941)まで、ほぼ過不足なく彼の代表作を見ることができた。人によっては、彼の作風が余りにも大きく広がっていて、その正体がつかみにくいと思ってしまうかもしれない。シュルレアリスムの影響を取り入れた「シルエットの構成」(1938頃)のような作品から、メーデーのデモに取材した《旗》《検束》《歌》(以上1931)、切れ味の鋭いスナップショットの「山根曲馬団」シリーズ(1940)など、たしかに同じ作者の作品とは思えないほどの幅の広さだ。だが、現実を内面的なフィルターを介して独特の生命感あふれる映像に再構築していく手つきは見事に一貫しており、どの作品を見ても「安井仲治の世界」としかいいようのない手触りを感じる。『アサヒカメラ』1938年5月号の「自作解説」に「自分が小さい智慧で細工出来ぬ姿に出くわした時は其儘素直にこれを撮ります」と記した《秩序》(1935)のような作品を見ると、彼がアメリカやヨーロッパの同世代の写真家たちと、ほとんど同じ問題意識を共有していたことがよくわかる。この「トタン板の切れっぱし」の集積のクローズアップは、ウォーカー・エヴァンズの写真集『アメリカン・フォトグラフス(American Photographs)』(1938)におさめられた「ブリキの遺物(Tin Relic)」にそっくりなのだ。
なお、会場に置いてあった芳名帳を兼ねたスケッチブックに「写大ギャラリーはオリジナル・プリントを展示する場所だから、モダン・プリントはよろしくないのではないか」という指摘が記してあった。だが、写真家の死後に制作されたモダン・プリントも、オリジナル・プリントの範疇には入る。ただ、写真家自身が最初にプリントしたいわゆる「ヴィンテージ・プリント」とは、位置づけが違ってくることは否定できない。今回のモダン・プリントはほぼ完璧な出来栄えだが、混乱を避けるためにも、このプリントが誰によって、どのような経緯で制作されたのかを、会場のどこかに明記しておく方がよかったのではないだろうか。

2011/06/16(木)(飯沢耕太郎)

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2011年07月15日号の
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