artscapeレビュー
2010年05月15日号のレビュー/プレビュー
榊原メグミ 展
会期:2010/04/20~2010/04/25
ギャラリーすずき[京都府]
グリーン、ピンク、水色など、明るい色彩の画面に、風船のようなフワフワとしたイメージの丸い木々の風景が描かれている。モチーフは餅なのだと聞いて笑ったが、一見、色面で構成されたその画面はじっくりと見つめていると深い奥行きも感じさせる。そのイメージはギャラリー空間から見える外の新緑の風景と重なって心地よく、記憶に残る春の景色だった。
2010/04/25(日)(酒井千穂)
SEOUL PHOTO 2010
会期:2010/04/29~2010/05/03
Coex Hall B[韓国・ソウル]
今月は忙しい月で、中国から帰った次の週には韓国・ソウルへ飛んだ。写真に特化したアート・フェア「SEOUL PHOTO」に参加するためである。このイベントは2008年から始まったが、最初の年はプレ・イベントだったので実質的には今回で2回目。今年は韓国と日本の22のギャラリーがブースを構え、さらにスペインの写真家たちの特集が組まれ、日本の新人写真家育成プロジェクト「写真ひとつぼ展」(リクルート主催)、「Juna」(ニコン主催)、「写真新世紀」(キヤノン主催)に入賞した若手写真家たちの作品が「Beyond the Award」という枠で展示されていた。ほかにシンポジウムやゲスト作家の森村泰昌の展示(「女優」シリーズ)やトーク・スライド上映などもあり、なかなかしっかりしたプログラムだった。
ただ、見本市会場のような広いスペースの割には参加ギャラリーの数が少なく、ややスカスカの印象は拭えない。韓国のARARIO GALLERYやKukje Gallery、日本のツァイト・フォト・サロンやエモン・フォト・ギャラリーのように、見応えのある作品を持って来たギャラリーもあったが、全体的には盛り上がりに欠けているように感じた。隣の会場で開催されているカメラ・ショーが大変な賑わいなのにくらべると、観客の反応もどこかクールなのだ。実際、いくつかのギャラリーに取材したところでは、あまり作品も動いていないようだ。写真作品の市場開拓というのが大きな目標のはずなので、その意味ではイベントとしてはあまり成功とは言えないだろう。
それでも、昨年の「TOKYO PHOTO」と比較しても、韓国ではこの種の催しがかなりきちんと根づきかけていると感じる。会場には若い学生たちの姿も目立っていたが、たとえば彼らにとっては、展示を見ることで作品制作の具体的な目標をしっかりとつかむことができるだろう。最終的には中国や台湾を含めた、東アジア地域全体の写真と写真家の交流を図る必要があると思う。その拠点として、東京はもはやソウルや北京の後塵を拝しているのではないだろうか。
2010/04/29(木)(飯沢耕太郎)
佐々木耕成 展「全肯定/OK.PERFECT.YES.」
会期:2010/04/23~2010/05/23
3331アーツチヨダ[東京都]
連休初日に訪れる。3331は廃校となった旧練成中学校を改修したアートセンターで、ギャラリー空間は床まで真っ白なホワイトキューブ。その壁面を埋めつくすように約50点の絵が並んでいる。EやHみたいな記号的形態に赤、青、黄色などの原色をフラットに塗った抽象画。半世紀ほど前の前衛絵画といった印象だ。しかもそれが合板にペンキという安っぽい素材で描かれているのだから、どっちかというとアウトサイダー系を想起させる。しかしこの場合、描かれた内容とペカペカな素材が奇妙にも一致していることに注目したい。作者の佐々木耕成は今年82歳。60年代に前衛芸術運動を展開し、その後ニューヨークに滞在。帰国後は美術界との関係を断って群馬県の赤城山麓にこもり、10年ほど前から絵画制作を再開。近年ますます旺盛な制作意欲を見せているという。それを聞いて納得。彼にとって「なにを描くか」「なにで描くか」「いかに描くか」などもはや問題ではなく、ただ「描き続けること」が重要なのだ。
2010/04/29(木)(村田真)
磯崎新+新保淳乃+阿部真弓『磯崎新の建築・美術をめぐる10の事件簿』
発行所:TOTO出版
発行日:2010年2月25日
これは二人の美術史家、新保淳乃、阿部真弓が、磯崎新にインタビューを行ない、美術と建築を横断しながら語る形式の本である。第一章は15世紀のルネサンスから始まり、一世紀ごとに各章が進み、第六章からは1900~10年代となり、20年ごとに進行し、ラストは1980~90年代を扱う。かつて磯崎は『空間の行間』において福田和也と日本建築史と文学を交差させて討議していたが、今回は建築と美術のクロストークだ。1968年のミラノトリエンナーレの占拠など、いろいろなところで語られるおなじみのエピソードも多いが、美術の文脈から引き出しをあけているために、異なる角度から読む楽しみがある。本書は漫然と歴史を振り返るわけではない。もうひとつのテーマはイタリアである。本書のもとになっているのが、イタリアの建築雑誌『CASABELLA』の日本版を作成するにあたって企画された連載だったからだ。膨大な固有名詞が吐き出され、めくるめく知的な会話が展開する。読者がある程度の西洋建築史や美術史の素養をもっていなければ、知らない言葉の森のなかで途方に暮れるだろう。近年の建築論は身のまわりや現在の問題ばかりに焦点をあてる傾向が強いが、本書は時代と場所のスケール感が圧倒的に大きい。例えば、第三章の17世紀では、パトロンの問題を語っているが、バロックに限定せず、現代の状況についても触れている。もっとも、ここで語られていることくらい、普通に読まれるリテラシーが建築界や学生にも備わっていて欲しいのだが、現状は厳しそうだ。
2010/04/30(金)(五十嵐太郎)
山本理顕他『地域社会圏モデル』
発行所:INAX出版
発行日:2010年3月30日
「建築のちから」シリーズの第三弾である。今回はずばり社会が主題だ。山本理顕が近代における一家族=一住宅モデルの限界を指摘し、その突破口として「地域社会圏」を提案し、400人の共同生活のモデルを三人の若手建築家に投げかけた。フーリエなど、かつての社会主義ユートピアを想起させるが、住宅や集合住宅のプロジェクトを通じて、これまで山本が考えてきたことの集大成である。長谷川豪はピラミッドのような大きな大きな屋根の集合住宅を都心に構想した。藤村龍至は、郊外に自律性が強い囲み型の「ローマ2.0モデル」を掲げ、コンビニを散りばめた「都市国家」を再召還する。そして中村拓志は、農村に巨大な巣としてのグリッド状の構築物を提示した。これらは批判を恐れず、あえて未来の社会を考える実験的なプロジェクトだろう。本書の後半では、彼らの提案をめぐってさまざまな討議がなされている。そして東浩紀を交えたセッションでは、国家と家族のあいだに位置する地域社会をサポートするシステムとして、現代的なコンビニ、変わらない池上本門寺=宗教施設、フレキシブルな公共空間などが注目された。
2010/04/30(金)(五十嵐太郎)